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2010年12月4日土曜日

久々の更新です。来年度の研究計画を書いてみました。

 こんばんわ。御無沙汰しております。大変久々の更新にて失礼いたしました。
 年末の寒い季節になってきましたが皆様はお体のほうは大丈夫でしょうか。私は風邪をひいてしまったみたいで、マスクが欠かせない必須うアイテムになっています。
 さて、本当に久々なので皆さんにご報告いたしたいことが山のようにあります。それを話しているときりがないので、本年度の研究成果として大きかったものを挙げるとすれば、念願かなって日本民俗学会の年会に発表者として出席できたことでしょうか。大変喜ばしいことです。病床に伏せていた時からの念願かなっての年会発表でしたので、その場にたてたことだけでもうれしかったです。それと、来年の話になりますが、多分おそらく初春に私の書いた原稿が書物になります。生活改善諸活動研究の集大成として多くの偉大な方々と名を連ねて書かせていただくことができました。まだ出版の詳しい日程はわかっていませんが、以後こちらから皆さんに本ブログにてご報告差し上げます。
 ところで、来年から私はどうなるかってことですが、今のところ現状維持…研究員として来年も佛教大学にてお世話になる予定です。そこで、来年度の研究計画書を現在作成中でして、途中経過ですが以下のようにご報告させていただきます。

研究題目:


戦後の「生活改善」が果たした地域生活での役割

-保健衛生面の諸改善をめぐる社会事情と地域-(仮)



研究内容:

 本研究は、戦前から現在にわたってその時代の政府行政、各種啓蒙団体が起こした人々の生活の「近代化」「合理化」を目指した「生活改善」と呼ばれる運動もしくは活動の概論を述べることと、それらが地域社会に果たした役割を位置付けるものである。「生活改善」は戦前から現在に至るまで数多くの団体が行い、その時代その場所で活動の目的が異なりその当時の政治的、社会的気風を持って語られることが多い。従来の研究では戦前の生活改善運動や戦後の生活改善諸活動を通じて教育学、生活学、経済学、社会学、歴史学、民俗学といった諸科学によって様々な角度から各種団体の理念、活動、その時代背景などが浮き彫りにされてきた。しかしながら、これらの研究は各種団体個々の分析に留まることが多く、その団体ではなくその活動が行われた地域での実際の動きにおいてどうであったのかという点についてはあまり研究が進んでいないのが現状である。また、地域においてもこれがどのような背景の基に受容されそして活動を促進してきたのかについての分析も進んでいない。そこで、本研究では「生活改善」の具体的な諸相を地域というフィールドでどのように位置づけられていたのかを試みることにしたい。また、この活動が起きた背景にどのような事情がありそれはどのような時代背景の基に作りだされていったのかも考えてみたい。具体的には、戦後から高度経済成長期を中心に、地域で起こった保健衛生上の「生活改善」と呼ばれる活動、衛生改善、台所改善などを取り上げ、その活動の背景となった社会的、政治的事象を分析しながらこの活動がいかにして地域生活に位置づけられたのかを考察する事にする。

戦後という時期に設定するのはこの時期、「生活改善」と呼ばれた活動は戦前のそれに比べてより具体的諸政策としての活動を展開しようとしていくためである。特に農林省、厚生省、文部省の動きは活発であり、この政府諸団体の活動によって戦後の「生活改善」の外延が語れると言っても過言ではない。但し、この「生活改善」は全て各政府諸団体によって執り行われたものではない、その下請けとしての婦人会、青年会、「生活改善」を標榜する団体によっても担われている。また農林省にはじまる官僚によるそれは、地域社会においてそのまま励行されたかというとそうでもない、各地域の事情それによりその地域での活動が規定され執り行われたとされる。その為、「生活改善」には二つのファクターがある。一つは官僚の標榜する「生活改善」、もう一つは地域社会が欲する「生活改善」というものである。この二つによって、「生活改善」は地域生活に受容される。そういった、「生活改善」の重層的な位置付けが見られるのは、戦前戦中の「生活改善」ではあまり見られない。戦前戦中のそれはスローガンやイデオロギーによって構築されたもので、上からの一方的な活動のそれでしかなく、その実態が生活に直接結びついていたかというとそうではないと考える。ところが、戦後の「生活改善」は実質的な部分においてスローガンに依拠せず、その実行に重きを置いている節がある。つまり、戦前戦中期のそれに比べて具体的事象として地域生活に見ることが可能なものであると言えよう。そういう意味において本研究では戦後を取り上げたい。また、対象期間を高度経済成長期までに区切っているのは、この期間に最も盛んに「生活改善」が執り行われたことに依拠する。戦後のそれは特に農山漁村をベースに活動を行っており、都市部から離れた農村部の生活の「近代化」「合理化」を目指している。これは当時の政策自体が、農村部の疲弊した生活、特に衣食住や社会生活面での「規範」「規律」を「正そう」「改めよう」としたことにはじまり、農村生活の質的向上を目指したことによる。その上で、この政策が執り行われたのがちょうど戦後から高度経済成長期という期間にくみするのである。

本研究で取上げる「生活改善」は、特にその時期に頻繁に見られた保健衛生上にまつわる活動である。数多くある「生活改善」の分野の中でも、生活にダイレクトに影響を与え、且つ自分達の生活に「善い」ものとして積極的に受け入れられていったのが保健衛生に関する活動である。主として、保健医療に関する活動をはじめ公衆衛生に関する活動も含む広い領域にわたるが、本研究では公衆衛生活動を中心としてそれを描いていこうと考える。こうした公衆衛生活動に関する「生活改善」からの切り口は先行研究からはあまり見受けられない。そもそもこの活動を「生活改善」と位置付けることがあまりなかったことにも由来するが、その内容を再検討してみると「生活改善」と密接につながりは深く、例えば便所の改善、台所改善、住宅改善の活動の発端となるのはやはり衛生上の理由からということが多い。そういった意味においても、この保健衛生に関する活動を見ていくことが重要であることが見受けられる。そこで、本研究では数多くある「生活改善」でも生活にダイレクトに影響を与えた保健衛生面の諸改善について検討し、それがどのように行われ、その背景にはどういった社会事情があったのかを分析してみたい。

現時点においては、対象とする事象についてははっきりしているものの、具体的な地域については未検討であり、今後検討していきたいところであるが、いずれにしても初めは「生活改善」の先行研究におけるこれらの事象の整理、そして「生活改善」の運動史における位置付けをまずは試みることとしたい。内容が近現代史、特に政治史、文化史に依拠する部分も多少多くあるが、実態面については実生活においてそれがどう変化を招いたのかという部分に執着する事もあり、村落生活上の事象に対しどのような角度からどのような言説を持って変え且つそれを人々は受容したのかといった民俗学的なアプローチも含めて検討したい。特に衣食住を中心とする民俗生活において多大な影響を与えている事象であるからこそ、こうした民俗学でのアプローチが必須である。

現在予定しているのは、第一に保健衛生に関する大まかな法令、条例の立案、制定、施行といった中に見られる政治的動向、各種団体の理念や政治性についての諸相を残存する資料等を突き合わせながら整理し、まずはこの改善活動に対する政治的ないし歴史的経緯をはっきりさせることとしたい。さらにこれには戦前や戦中期のことも多少関わりがあると見られるので、そうした時期の改善の動向にも着目して描きたい。但し、先行研究からも明らかになっているがこの改善活動は多種多様な団体によって営まれ、単に歴史的連続性を持って謳われるだけではなく横のつながりを持って表されることが多い、そのため必ずしも団体個々が結び付き数珠つなぎの連続性で表せる活動ではないと思われるので、ここでは大体の概論としての保健衛生面に関する「生活改善」がどのような団体がどのような時代にどのような言説を持ってどのように取り組んできたのかを概観として表すこととする。政治的動向を整理した上で第二に、戦後から高度経済成長期という期間内の社会的諸相を並行して提示してみたいと考える。各省庁や各種啓蒙団体が活動に踏み切るのはなにも法令や条例、政策や思想理念に基づくものばかりではない。どこかで当時の社会風潮における己の立場を確立しているであろうし、時代諸相に似合った活動を展開していくのであれば、単に政治的な流れをもってのみ語られることはないと考える。そのため、当時の社会諸相においてそれらがどのような関係を見せていったのかを同時に整理する必要性がある。現時点では公衆衛生に関する催し物、特に戦後しばらくの間行われた衛生展覧会、戦前戦中期から続くラジオ体操、戦後広まっていった健康優良児表彰などなどのメディアイベントにも着目していきたい。その上で、政治的な流れと社会的な流れの交差を見てみることとする。第三には、具体的な事例をもとに保健衛生に関する「生活改善」がどのようにして地域で実際に行われていたのかという部分に着目したい。「生活改善」の説明においても述べたが、官僚ないし各種啓蒙団体の有識者が唱えた「生活改善」と末端部でそれらを行っていた「生活改善」の実行者では少し考え方が異なる場合がある。そこでそうした末端部において実際にどのような形で「生活改善」を行っていたのかということを念頭に婦人会組織等の活動を事細かく見ていきたい。但し、ここで扱う「生活改善」が全く官製のそれと違うと言うのでとらえるのではなく、なぜ官製の「生活改善」と末端部のそれとに誤差が生じているのかを見ることも重要である。つまり、ここでは婦人会の動きを見る一方で、政府行政や啓蒙諸団体がどのようにこれと接触をもち、婦人会がどのようにそれを受け取って行ったのかを考えてみたい。その上で、第四に第一から第二での日本国内での政治的、社会的風潮の中、第三で説明した実際の動きがどうリンクするのかを分析してみたいと考える。つまり、時代諸相と実際の動きを照らし合わせることで、人々が何を望み、それをどういった形で取り入れていったのかという住民の部分、さらにそうした活動をどのように社会は定義し且つ実行しようとしていたのかという社会の部分の突き合わせを試みたいというものである。総じて本研究の行きつく先は、保健生成面という限られた部分ではあるが、その「生活改善」の歴史的位置付けと社会的役割、さらにその実態と受容関係に見る誤差などを検証し、活動がどのように人々に行きわたり、どのようなかたちで人々の心をつかんでいったのかを考えるものとしたい。

となります。指導教授と相談してから決定していこうかと思うのですが、路線としては「生活改善」研究の俯瞰的位置づけをもとにした歴史的、政治的、文化的などの側面からのアプローチを試みようと思っています。ようするに、「生活改善」の全体像を今まで以上に広く取り上げてみたいと思うわけです。これまでの私の研究はどちらかというと狭い範囲内での「生活改善」の動き、特に実態を見てきたわけですが、どうも私が対象としているそれはもっと全国レベル、歴史レベルで物事を見なければいけないことに気付きまして、今度は視野を広く持って取り組もうと考えています。
 
 これからも精進して研究に励んでいきたいとおもいますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

2010年5月31日月曜日

「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開」と民俗

 昨今、「民俗学とは何ぞ」という超大な質問に自分なりの解答を示してきましたが、今回はその問題に直面している私の論文「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開」についてお話したいと思います。

 タイトルからして「ザ・社会学or生活学or家政学」っと思う方もおられるでしょう。
 その答え、間違っていないですよ。私としてもこの研究は上記の社会科学の分野からの学際的研究として行おうとしているわけですから。まぁ、どちらでもいいと言えばいいです。ですが、私は民俗学者として研究員として民俗学を学ぶ大学にいます。ですので、立場をちょっと明確にした方がいいのじゃないかと思うわけです。そのことを指導教授に指摘されたとき。「これは民俗学じゃないね」と言われやはりショックを受けました。当然といえば当然の反応です。その時発表したのは地域保健活動の動向のみだったわけですから…これを聞く限りではだれも「民俗学」とはおもわないでしょうね。
 そこで、私なりに考えてみたわけです。「民俗学」を時間的空間的なものにおける暮しうる社会とするのであれば、地域生活の変遷過程における「他者」(私の場合は地域保健活動もしくはそれを率先した保健婦)の介入も考えるべきなのではないでしょうか。これまでは地域保健活動の動向に熱を入れていましたが、それだけではなく地域社会にそれがどのように介入していったのかという時系列的な介入過程を示すことで、それなりに民俗学としてなりうるのではないかと思うわけです。
 簡単にいえば、「地域の生活への介入」それをなした人物と住民との関係性を見ることにあります。目的としての地域保健活動の展開もさながら、保健婦(「他者」)と地域住民との関係を描くことでよりリアルにそれを描くことができるのです。まぁ付け焼刃といえばそうかもしれませんが、私としては本気でこれを信じています。まずこれを教授に提案してみて、意見を得たいと思います。

2010年5月29日土曜日

「民俗学」って何を持って「民俗学」となりうるのか?

 昨日、大学院の講義にて「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開ー行政、地域住民参画型事業の活動実態についてー」というタイトルで発表しました。内容について簡単に述べますと、昭和30年代から50年代にかけて兵庫県宍粟市千種町という町で地域住民の健康を理由に、直接的ないし間接的に関与しようとした活動がありました。その活動を地域保健活動と総称していいます。この研究の原点たるものは、地域生活の変遷過程において行政もしくは地域住民などの介入者がどのように動き、どういった目的を持ってそれを動かしたのかを追及することにあります。
 
 まぁ、タイトルから見れば「民俗学か?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょうが…昨日の発表でも指導教官より率直に言って「民俗学とは言えない」といわれる始末でした。確かに、発表では行政関連のことばかり申しており、地域住民側の意図などを述べていなかったこともあり、論自体が研究の原点から離れたものとなってしまったことが最大の原因であると考えます。
 しかしながら、指導教官はそういった研究の原点部分に問題を求めているのではなく、テーマそのものに原因を求め、そこに「民俗学」としての意味を見いだせないと仰っておられました。

 では「民俗学って何を持って民俗学となりうるのか?」

 そもそも「民俗学」って何という時点で、私は民俗学者として不適格な存在となりうるのですが、そこは反論しないでいただきたいと思います。私は私なりに「民俗学」の考え方を踏襲していると思います。しかし、一般的に「民俗学」と定義する場合、どうもその人それぞれで定義が異なり、一定の言葉の羅列はあっても、確固たる文面での定義がないのが問題です。そこで再び戻るのですが、「民俗学」って何?と問うた時点で民俗学者ではないというのは、ちょっとおかしい感じがします。民俗学者に限らず学者は、自分の学問が何たるものか自分の位置はどこにあるのかというものを求めて研究するものであって、初めからわかっているのであればこの学問の思考する意義はなくなります。そもそも学問は批判から生じるものであって、肯定から生じるものではないものですから。

 しかしながら、こうした考え方をしても、何が「民俗学」なのかといった疑問には答えていません。そこで私なりの民俗学の定義みたいなものを出したいと思います。
 私が思うに「時間的空間的な時点もしくは経過における人々が暮らしうる社会の仕組みもしくは知恵」が「民俗」であって「それを客観的ないし主観的にとらえ、暮しうる社会の平面もしくは側面をとらえ立体的に描くことができる学問」が「民俗学」ではないかと思うのです。ここでの「暮しうる社会」というのは短絡的に考えると「生活」という言葉に置き換えることができますが、私としては「セイカツ」と片仮名書きにしたいものです。その理由としてそれは単に個体としての人間の生産活動を意味しているのではなく、複数の人間がかかわる社会における活動も含まれることを意味しての「セイカツ」です。ですから一般に言う「生活」と「社会」をミックスしたものが「暮しうる社会」であり、それをとらえることが「民俗学」なのではないでしょうか。

 じゃあ、私の研究はどうして「民俗学とは言えない」のか?という疑問がわきます。私がやっているのは地域生活の変遷過程、つまり時間的経過における複数の人間の関与、社会的関与ですので、先ほどの定義からいえば、あまり離れていないように思います。
 では、今後、私の研究は「民俗学」としてどうやっていくべきなのでしょうか。確かに社会的(公的)な立場から考えれば「民俗学」とは言えないといわれ続けるでしょう。しかし、定義自体があいまいなうえ学問構築が不安定なこの学問において、何を持って民俗学となすのかという疑問は正直不必要な疑問ではないでしょうか。個々の研究者が自分なりの「民俗学」を築いているからこそ、今があると同様に、「相手に対し自分の土壌で戦え」というような視差を求めるのは無謀です。よって、この「民俗学」って何を持って「民俗学」となりうるのか?そんなものは破棄すべき問題なのではないでしょうか。

2010年5月26日水曜日

民俗学における生活変化と行政介入

 こんばんは。かなりの確率でひきこもっております御京楓です。さて、この度は皆さんにご報告とそして質問したいことがあり登場いたしました。
 といっても、これは日本民俗学においても大きな問題となるのでそれも踏まえて呼んでいただければ幸いです。
 さて、1点目。報告。今年度の日本民俗学会で皆さんにお会いできるかもしれません。それも発表者として。まぁ、このブログをご覧の方は私の研究が何なのかはご存じでしょうが、少し違う視点から発表したいと思っておりますゆえ、もしご参加される方は是非とも身に来ていただきたいと思います。発表内容はまた近くなったら発表いたします。ヒントは…そうですね「保健婦」とだけ申しておきましょうか。
 続きまして2点目。質問。民俗学の研究をなされている皆さんであればお気づきかと思いますが、民俗学にとって行政をどう位置付けるかという部分についてご意見を伺いたいのです。従来、地域で民俗の採取を行っておりますと行政の介入がよく耳にします。しかしながら、民俗誌などを呼んでいても、その村落の村政部分において若干の報告が見られますが、それほど重要視されていないと思われます。私は兵庫県の山村部で昭和30年代以降の生活の変化について調べておりますが、どうしてもこの行政の介入なしには語れない部分が多くあります。にもかかわらず、従来の民俗学においての研究が乏しく、なかなかその位置づけが難しいものとなっております。そこで皆さんに質問したいのですが、民俗調査などで民俗対象に行政の介入が見られた場合、どのように「説明」「解釈」していますか?

何卒ご意見いただきますようお願い申し上げます。

2010年5月3日月曜日

研究の方向性と奥行きの点検

 久々の投稿となります。大学の研究員になって二年目が始まりました。相変わらず、大学院の授業(民俗学)にもぐりこませていただいています。この授業はいつも人気があるのか?なぜか人が多いので不思議です。まぁそれは置いておいたとしても他分野の方々が集うので私としてはいろんな意見が聞けて面白い場となることを願っています。
 さて、今週の金曜日から個別発表がはじまるのですが、私にも当然順番が回ってくるのでそれなりの研究の進展や方向性、論の奥行きなどをチェックしなくてはいけません。毎日少しずつではありますが、論文が読めるようになってきたので(ここ最近は病気の症状もあってか論文から離れて生活していました)、ちょっと振り返りをしてみたいと思います。

 私の研究は「地域(住民)運動」からわかる地域生活の推移です。以前はこれとは違った言葉で表していたかと思いますが、「生活改善」もいわば「地域運動」にあたりますし、広い意味での社会における運動をターゲットとしています。でも広すぎるのではないかと思われるかもしれませんが、一応私の場合は地域社会という限定した空間内、時間内における地域運動の動きとそれに伴う変化を求めることが視点ですので、この場合の社会というのはある限定条件下における地域社会のことを指します。この研究における民俗学内での位置というものを考えてみたのですが、それ以前に民俗学での地域運動へのアプローチはあまり少ないように思います。民俗誌で村制の欄に地域社会の「組織」について触れられているところで記されることはあっても、それがどのように生じどのように活動したのかというものはありません。ですが、地域社会における生活の推移を追ううえで、地域の社会組織がいかに作用したかを見つめることはその生活を具体的に記すことにつながるのではないでしょうか。これは私見の限りでのものではありますが、皆さんもお気づきのことと存じます。
 さて、そうした中でこの研究をいかに具体的なものかに高めるためには、地域組織の動きもさながらそれに影響与えた事象についても触れなくてはなりません。例えば、地域の保健活動においてAという組織が立ち上がったとします。それにはBという行政のかかわりが重要となってくることが考えられますのでこのBの動向についても調べなくてはいけません。私の研究においてはAの部分の調査及び研究は進んでいました。しかしながら、Bつまり地域運動にかかわった側についての研究はまだできていないのが現状です。そこで、昨年よりこの地域運動にかかわった側の方々について調べることに成功しまして、現在それの整理中です。まぁ、今のところはこれぐらいですかね。今後発展があればこのブログで報告させていただきます。