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2013年10月13日日曜日

日本民俗学会年会を終えての反省

 こんにちは。お疲れ様です。
 さて、本日は日本民俗学会年会in新潟大学二日目で、発表日でありました。発表内容は以前よりこのブログをご覧いただいていた方々はお分かりいただいていらっしゃると思いますが、「手記にみる日常生活―保健婦と農婦が綴る生活変化の断面―」というもので、生活変化の構造を理解するうえで単に物質に依拠しない人間を介した有機的な関係性を、保健婦と農婦との関わりとそれによって生じた生活変化、特に女性の発言権の確保に迫ってみました。発表は20分と限られた時間中で、私が集中して今回挑んだのは、「保健婦の手記」「農婦の手記」の紹介でした。
 しかしながら、こうやって発表に踏み切ってみると思いも知らない場所から漏れが生じていることがよくわかり反省する限りでありました。特に、手記の紹介に終始していたこともあって、生活変化の具体的様相に触れることもありませんでしたし、変化後に女性の発言権がどうなったのかという部分について言及できなかったことが悔やまれます。フロアーから上がった今後の課題について少しまとめておきたいと思います。私が整理する限りにおいて下記の課題が挙げられました。どれも重要な内容ですし、①に至ってはそもそもこうした研究に対しての先行研究の提示がまったくなかったことによるご批判でした。このご指摘を真摯に受け取り、今後の研究に生かしていきたく存じます。

 
    有機的なつながりを持つ生活として打ち出しているものの、その研究史に関することが出されておらず、発表も研究史を踏まえていない。研究史を踏まえたうえで着眼点を探ることが重要。

    女性史の立場。女性と生活とのかかわり方について、特に家内労働と賃金労働とのかかわり方を整理する必要性がある。例:「嫁が稼ぎに出ていた」というのはどういう意味を持っているのか、それがなぜ女性の地位向上という役割を担っていなかったのか。

    「保健婦」と「農婦」という言葉の定義をそのまま運用していいのかどうか。並列に扱うことのできない言葉を扱っている点。女性や嫁という言葉に置き換えるか工夫をすることが大切。

    「保健婦の手記」を民俗学的にとらえる。資料論。特性と見方を方向付ける。

    地域に対する説明の皆無。行政の予算額などの行政資料の補てん。⇒地域を描きなおす。なぜ日吉町を扱うのかということ。

    日吉町外の全国的な流れを俯瞰する。生活レベルがどうあったのかという点を具体的にとらえる必要性がある。年表化が必要。地域と社会と個人(保健婦) 

 

反省のまとめ

 手記をみてもらうがために提示に走ったことが原因。細かい部分、研究史や分析方法の在り方、結論への結び付けについてが曖昧であった。批判論から入るのにもかかわらず、研究史への読み込みが足りなかった。

日本民俗学会のねらい③

 おはようございます。発表日当日の朝です。何とも言えない昂揚感に襲われるとともに、若干の緊張感があります。
 さてと、これまでブログでは日本民俗学会開催前から、今学会での研究発表にむけてのねらいを整理してきました。
 「手記から見る日常生活」。このタイトルからわかる通り、既出のねらい①と②を見てきたわけですが、まだ、ここまでは「生活変化」ということに対する言及であって、今回のはぴょうのかなめである「手記」については言及していませんでした。そこで、今回は、発表直前となりますが、今回扱う手記に対する私のねらいを整理しておきます。

3)手記を民俗学的な視点での資料化に向けて
①手記という主観的産物の資料化
 本題となる「保健婦の手記」を述べる前に、まずは「手記」全体を俯瞰して、民俗学的にこれらの資料をどう扱うべきかということにいて若干整理しておきます。
 民俗学における手記の扱いについては、従来聞き取り資料と同等に民俗学の調査体系において、聞き取り調査の対象項目の当時性を、そして当事者性を立証する補助的な役割を担ってきました。但し、それ自体に対しての批判的な立証が出来ていたかというと、手記は当然書かれた人間の主観性の発露によって成り立つものであり、事実としての歴史的指標に立った場合、部分的に活用されることは有れど、それだけを扱い整理する事についてはあまり立証されていないが現実としてあります。先に述べて通り、手記は補助的な役割としての位置づけが主であり、つまり研究上の従的な役割を担っています。あまりこれ自体を研究するという視点は民俗学内にはなく、この手記と主たる目的であるテーマを基軸に研究がされるのであって、どうしても補助的にならざるを得ないものです。
 その原因としてはやはり主観性をどう客観性の中で描き、また時代や地域という大枠の中で発露するのかという視点が実は矛盾としてあらわれてくるからだと考えます。例えば、Aという事象を主観性の中から読み取れば、それこそAという事象の中身についてそれを語る当事者の側面からは理解できても、そのAを俯瞰する位置にある歴史という潮流の中では、そうした当事者意識なるものは捨象されていくのがあります。どうしてもそこは避けがたいものがあるでしょう。
 ではそれをいかにして、主観性と客観性を同等に見るのかという点ですが、文字通りこれをうまくバランス良く配置することは至難の業ですし、対局する事例の見方はそれこそA1とA2という視点とで全く異なるものでしかありませんから、これを素直に主観と客観の両側面を理解することはできません。但し、一つとして、主観性の産物である手記を読み取り、解読することという作業の過程おいて、その主観性の産物を、一度歴史的潮流の中で理解し、それでいて当事者性の側面を補完することは可能だと考えます。
 まぁ、言えば妥協点ですね。手記を理解するうえで重要なのは、それを当事者側面といいながらも、それを読む人によって客観化されていくプロセスはちゃんとあります。それをいかに発露し、同意風に理解を結ぶのかが本研究の課題になります。

②「保健婦の手記」という資料の特性を理解する
 今回の発表で取り上げる手記は二つ。保健婦自身が実体験に基づき、生活を綴るという側面を強調し、業務の内容を自己の内在的なファクターによって理解し記述したもの「保健婦の手記」と、そうした保健婦の活動を農村にいる人びとが観察し、その指導をと入りれる際にいかなることを考えそれにどう同調していったのか、また批判的にとらえていったのかを知る手立てとして、農婦自身が実生活を振り返って綴った「農婦の手記」という二つのものを対比的にみていきます。
 農婦の手記については、これ自体また違った歴史的側面の中から登場した物であり、本来別斧として扱うべき産物ではありますが、今回の発表には「保健婦の手記」の中身において住民側はどう理解し、それを受け入れていったのかということを書き出しています。1)①や②で述べてきたように、本発表の目的はあくまで、保健婦側、住民側の双方間における生活の変化の諸相を、「動かす側」と「受ける側」の二項対立的側面から理解し、双方の言動の在り方がどのようになって変化に結びついてきたのかを明らかにするのであって、「保健婦の手記」がメインというわけではありません。なので、ここでの説明は「保健婦の手記」を発表においてどう資料化するのか、そして評価しどのようにしてそれを見つめなおす必要性があるのかについて言及するものとします。
 さて、前置きというのが長くなってしまったのですが、「保健婦の手記」がもつ資料的特性と、資料価値をじゃあどういうふうに民俗学の中で立証していくべきでしょうか。本来ならこうした資料として扱うにあたっての部分を発表内で行うべきなのですが、あいにくそれを説明するための時間を持ち合わせておりませんし、手記を直に見てもらってそこから読み取れる対象をまず知ってもらうことが先決ですので、発表内ではさらりと流してしまっております。しかしながら、資料的特性を、資料価値を明確にしないままに、これを明文化してしまうことには少々危険性を伴うので、ここでは補完的に、「保健婦の手記」というものについて、今一度振り返ってみることにします。
 「保健婦の手記」と一言に行っても、それは多様な性格を有しておりますし、今回の発表でも前に「手記に見る日常生活」のなかで触れたとおり、多くの雑誌を媒介にしております。さらに言えば、その雑誌ごとに特性はまちまちであり、俯瞰して述べると、やはり原稿に述べた三つの特性という部分に限られます。
 第一に、生活描写という側面。保健婦は公衆衛生にかかわる人間であるとともに、彼らは活動するに際して住民の生活把握を絶対的な観察項目として着眼しています。つまり、記された当時の生活模様の克明な描写が可能であるということ、さらに保健婦という専門的な立場における住民生活の矛盾点、まぁこれを部分的に民俗としてとらえてもいいわけですが、その点を鋭く切り出している部分が多々あります。きれいごとではない現実的な側面を有しているといえばいいでしょうか。そういうものを持ち合わせています。
 第二に、この手記が載せられる雑誌というのの性格は、雑誌中の外の記事の多くが医学的な側面からの記事が散見される中で、逆に保健婦の体験というまなざし、つまり主観的な体験談として載せている点において、単に医学的で保健衛生上の啓蒙に則したものというよりも、もっと社会啓蒙的な側面を有していたこと、さらにいえば保健婦が記事を書く、見ることを通じ得られる客観的な医学側面と、主観的な社会側面を同時に配備しているという雑誌の特性との絡みから言えることもあります。
 そして第三に、保健婦の手記が内包する情報の所在というのは、対象読者層である保健婦にありますが、その保健婦らがこの手記に対して思っていたのは、自己と他者との共通認識性、多様性を理解し、その中で自己を見つめなおすという役割を担っており、書き手と読み手相互間に連絡的な意味を持ち合わせる。共通の話題の中からケースへの対応はどうであったのかということを、双方から見つめなおす機会となっていたことにあります。但し、この手記が内包する書き手と読み手の理解が実のところどこまで立証できるのかという部分については、一方的な配信としての場合と、それに対して応答がある場合とで差があり、すべての事象がこの特性を以て理解できうるものかというのは難しいものがあります。
 以上の三点の特性は、あくまで多様な手記の在り方を俯瞰してみた場合に出てくる論点であり、これがすべてとは限りませんが、そのなかにおける「保健婦の手記」の価値化というのは次のように言えると考えます。当事者としての保健婦が内在的に地域を理解したときにおいて、地域生活を客観的な側面、または社会啓蒙的な側面からとらえなおすことを目指したものであり、所謂民俗の事象としてそこにある、地域生活の総合的な理解に立った場合、地域の生活を補完的に位置づけることが出来るという点がまず一点。さらに、先にも「手記」を扱うにあたっての事でもふれたとおり、この資料が主観的な立場にたって読み手によって客観化される対象であるということを踏まえれば、それを読み込むことは地域生活の保健婦側の意図から見た視点が明らかになるのではないかと考えます。

 総合して、この①と②は「保健婦の手記」の資料的価値を民俗学の中で位置づけるために、地域生活と絡めていくことにより立体化していくことをねらいとしています。