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2012年11月30日金曜日

書評:木村哲也『駐在保健婦の時代1942‐1997』(その1)

 おはようございます。朝から結構ハードなことをしようかと思います。といいましても、そんな大層なものではなく、気になったことをメモにまとめるようにして書評を書いてみようかと思ったまでです。もしかしたら、研究者にとっては物足りない感があるのかもしれませんが、それはご容赦ください。民俗学でもあまりこうした研究というのはまだないので、手探りなのです。

 さて、本日書評をさせていただくのは、木村哲也氏の『駐在保健婦の時代1942-1997』という医学書院から2012年に発刊されたものです。保健婦の歩んできた歴史がわかる一冊となっています。これまで、こうしたまとまった歴史の書物というのは、医学史の中では取り上げられてきましたが、保健婦というくくりの中での研究は少なく、また戦後の保健婦の駐在制について言及したものというのはほとんどありません。どこか一文で触れる程度の扱いでしたから。で、ちょっと出てしまいましたが、木村氏の著書の特徴は、保健婦のなかでも駐在保健婦という、戦後において無医村などに駐在して活動を行っていた保健婦を中心に描いていることです。

 目次については以下の通りです。

はじめに

第一章 総力戦と県保健婦の市町村駐在
 第一節 近代日本における公衆衛生政策の外観
 第二節 総力戦と県保健婦の市町村駐在
 第三節 戦時高知県における保健婦駐在活動の実態

第二章 戦後改革と保健婦駐在制の継承
 第一節 GHQ/PHWによる公衆衛生制度改革の特徴と問題点
 第二節 高知県における保健婦駐在制の継承
  一 四国軍政部看護指導官・ワーターワースの指導
  二 高知県衛生部長・聖成稔の構想
  三 高知県衛生部看護係・上村聖恵の役割

第三章 保健婦駐在制の概況 高知県駐在保健婦経験者の聞き書きから(その一)
 第一節 聞き書きした保健婦の略歴
 第二節 中村保健所の沿革、管内の状況
 第三節 駐在所
 第四節 交通手段
 第五節 指導体制
 第六節 業務計画
 第七節 家族管理カード

第四章 保健婦駐在活動の展開 高知県駐在保健婦経験者の聞き書きから(その二)
 第一節 結核
  一 家庭訪問指導
  二 集団検診と予防接種
  三 隔離療養室の無料貸与制度
 第二節 母子衛生
  一 助産の介助
  二 障害児への取り組み
  三 授乳や子育ての指導
  四 出産状況をめぐる変化
 第三節 受胎調節指導
 第四節 性病
 第五節 急性伝染病
 第六節 寄生虫
 第七節 ハンセン病
  一 暮らしのなかのハンセン病
  二 隔離の現場で
  三 社会復帰・里帰りを見守る
 第八節 精神衛生
  一 私宅監置の禁止
  二 精神衛生法改正以後
  三 施設入所から地域でのケアへ
 第九節 成人病
  一 栄養改善指導
  二 リハビリ教室
  三 健康体操
 第十節 小括

第五章 沖縄における公看駐在制 保健婦駐在制の関係史(その一)
 第一節 沖縄戦と保健婦
  一 保健婦駐在の実態
  二 指導者たち
 第二節 米軍占領と公看駐在制―保健婦から公看へ
 第三節 公看駐在活動の展開
 第四節 日本復帰と駐在制存続問題
  一 高知県との交流
  二 日本復帰と駐在制存続問題

第六章 青森県における保健婦派遣制 保健婦駐在制の関係史(その二)
 第一節 農村恐慌以降の保健活動
  一 戦時における衛生環境
  二 さまざまな保健活動
 第二節 戦後改革と「公衆衛生の黄昏」
 第三節 保健婦派遣制の実施
  一 夏季保健活動
  二 派遣制の実施
 第四節 活動の成果とその評価
  一 活動の成果
  二 評価

第七章 「高知方式」の定着と全国への波及 保健婦駐在制の関係史(その三)
 第一節 「高知方式」の定着
 第二節 国民皆保険と無医地区問題
 第三節 高度経済成長と無医地区対策
 第四節 「保健婦美談」と駐在制批判

第八章 保健婦駐在制廃止をめぐる動向
 第一節 地域保健法制定の経緯
 第二節 各県の対応
 第三節 保健婦経験者による駐在制廃止への思い



あとがき

 となっています。結構長いのですが、いずれの章も隣接している問題ですので、一個いいっ子がばらばらなのではなく、一つのストーリー上に成り立っているので、読み応えがあります。

 さて、全体的な流れといいますか、まずそこからまとめていきましょうかね。木村氏は祖母に駐在保健婦経験者を有しており、保健婦駐在制について調べるようになったとのこと。「はじめに」でも描かれているのですが、「日本の公衆衛生の戦時・戦後史を、その実質的な担い手であった保健婦に焦点を当てて」、「保健婦活動の一形態である保健婦駐在制を題材とし、その中心的役割を担ってきた高知県の実践を中心に、制度実施の経緯、各地への波及、地域のける駐在保健婦による活動の実態を、一九四二年の制度実施から一九九七年の制度廃止までを通して、歴史学の方法を持って明らかにした」ものとのことです。保健婦駐在制というのは、木村氏によると「本来保健所内に拠点を置いて活動するのが一般的である保健婦が、管内各地に駐在し、保健所長の指示の下、日常的に住民の衛生管理をおこなう携帯を」指すといいます。一般的に保健婦というと保健所で働く人、現在は保健師となっていますが、そういう風なイメージをもたれると思いますが、保健婦はその発足当時二つの潮流がありました。一つは、ご存知の通りの保健所内にいる保健婦。これは都道府県身分の保健所保健婦のことです。もう一つは、国民健康保険の関係で市町村身分の国保保健婦(のちに市町村保健婦へ)があります。駐在制はこの二つの命令系統を一本化し、地区分担をしながら業務を行います。保健所保健婦や国保保健婦が管内や地域内での業務を事業別にして担当するのに対し、駐在保健婦は地域の中に身を置いているためにすべての業務をやらなければならないところに違いがあります。この駐在制の導入は戦前にさかのぼり、一九四二年から健民健兵政策のもと、警察の駐在制に倣い設置されたものではありますが、敗戦を契機に公衆衛生政策も占領下で改革されて、この駐在制も見直しがされていきます。そのような中、一九四七年から唯一高知県で継承され、「高知市式」としてその後の保健婦活動の手本のようになっていきます。また、これと同時期に、沖縄県でも公衆看護婦制度が確立し、アメリカの指導のもと活動が行われて行きます。さらに、青森県でも僻地対策にと保健婦派遣制が独自に導入されて行きました。
 ざっと、保健婦駐在制のことを木村氏の著書に即してまとめてみましたが、要するに地域に駐在しそこで活動を行った保健婦のことを指すということを念頭に置いていただきたいのと、この活動が戦時下の健民健兵によって出されたこと、さらにこの活動が戦後高知県に継承されてその後も生き続けたことを時代背景として持ってほしいのです。
 
 さて、本書の研究史の外観といいますか……その前にこの研究をどのように位置づけるかについて木村氏は、三つの柱から研究を進めています。まずそれを紹介しようと思います。一、医療・公衆衛生史の再構築、二、総力戦体制・戦後改革研究、三、地域研究といった中で駐在保健婦の問題をおいています。詳しくは本書を読んでいただいた方がわかるのですが、簡単に言うと、①これまでの医療・公衆衛生を扱った歴史の潮流は、「近代的価値の進歩の過程として描かれる」ものと「逆に近代批判の文脈で、「権力」として批判的に描かれた」ものとがあり、木村氏は二項対立ではなく、国家と国民のはざまに立つ存在として保健婦に注目し、新たな医療・公衆衛生史を考える。②保健婦駐在制が戦後から始まったとする先行研究が多い中、木村氏は実際は戦時中に生まれた制度を戦後になって地域の事情から継承しているとし、その連続性の中で保健婦駐在制を語る③単に国の政策が地域にあるのではなく、地域同士の連携において保健婦駐在制はどうであったのかということを、沖縄県や青森県の事例を通じてみていく。という視点からおっています。
 用いる資料については、これまで「雑多」なものとして扱われてきた、雑誌類(特に『保健婦雑誌』)してそこから読みとれる駐在制の実態について分析しています。また、民俗学で用いられる聞き取り方法も取りいれ、駐在保健婦経験者からのインタビューを合わせて記述しています。木村氏はこうした方法論について、「本書で扱う駐在保健婦は、決して「国家指導者」でも「底辺民衆」でもない。むしろそのはざまに立つところに固有の活動領域があるのであり、これまであまり明らかにされてこなかった子、こうした対象への接近方法として、聞き書きという方法は有効であろう」と唱えている。また、これは同館で私もこのことついて強く主張しておきたいのですが、助産婦や看護婦もある意味保健婦と同様の活動を行っていることは、数多くの研究からなされています。但し、助産婦も看護婦も決まった臨床の場でしか活動することがなく、保健婦はそれと違って、「より日常的に密着した且つ度の場を持って」いて、それをみつめることこそ、今まで注目されてこなかった領域での実践を明らかにできるではないだろうかと述べています。将にその通りでしょうね。「より日常的に」あるあたりに、単なる医療史とか制度史としてのそれではなく、保健婦の人間史的な部分があるのだと私は思っています。
 あと、木村氏は「実際に地域で衛生指導に当たった人々の意識や行動が、地域住民の生活の改編とどうからみあっていたのか、その実態を十分に明らかに」したいと述べて聞き取り調査の有効性、保健婦経験者が語る歴史の重要性を述べています。これは、保健婦の柔軟性という部分にかかわってくるのでしょうが、私も聞き取り調査で分かったのですが、保健婦は国家からの命令をそのまま流用するようなことはあまりしていません。その地域に合った、その住民に合った形での最善策として指導を行っていますし、そこに感情や意識があり、地域住民との関わりがあり、それで生活を見つめていたことがわかっています。その点において、意識や行動がどう生活の改変にかかわってきたのかを見つめることは、大変意義のあることなのです。これは歴史学だけではなく、隣接する民俗学においてもそうだと思います。

 さて本論に入りますが、あまりに長々としてしまったためか、退屈になると思いますので、一度ここで区切っておこうと思います。(つづく)

2012年11月26日月曜日

民俗学で保健婦を考えるということ。

 朝から失礼しますね。保健婦活動について、『生活教育』の「保健婦手記」や、出版されている保健婦に関する記録類をみていて少し思ったこと。

 保健婦という職業は、医学的、衛生学的な視点からの生活指導を主たる目的にはしているが、実際地域での活動をみてみると、単にそれだけではなく、生活学的、教育学的な視点からの生活に根差した指導も行っている。また、指導といっても上から下への命令的な指導ではなく、地域の事情を踏まえ、その上での活動を展開している。つまり、地域住民にとって近しい関係にあり、それでいて専門性を有していることになる。さらに加えるならば、保健婦はその職業としてのそれだけにあたるのでは、地域住民との信頼関係を築けないため、同じ目線に立って考えることをしている。いうなれば、職業としての「保健婦」ではなく、もっと人間性としての「保健婦」がそこにあるのではないかと思う。

 保健婦に関する民俗学での研究は、直接的なものとしてはあまりなく、近年出版された木村哲也氏の『駐在保健婦の時代』が最新のものであろう。木村氏は、著書の中で高知県の駐在保健婦について触れ、彼女らの活動がどのように展開し、どう位置付けられていったのかという部分について詳しく論じられており、これまであまりみられなかった保健婦の総体としてどのような経緯を戦前戦中戦後とたどってきたのかを明らかいにしている。保健婦というものがどのようなものであるのか、はたまたそれがどのように歴史的に位置付けられるのかという点において、木村氏の著書は素晴らしい内容である。木村氏のほかに、このような保健婦を扱う研究は今のところない。助産婦のことについては、出産の変遷の場で論じられることはあっても、保健婦はそうした論じられ方はしない。しかしながら、出産の場にしても保健婦の存在というのはかなり大きい位置を占めている。母子保健に関わる活動には、助産婦だけでなく看護婦、そして保健婦も深くかかわりを持っている。つまり、出産一つにとっても保健婦の位置付けというのはかなり大きいはずだ。にもかかわらず、これまで民俗学では保健婦ということにつて触れてこなかった。これはどういった意味があるのだろうか。現時点ではあまり資料がなく、どういう意図でこれを避けてきたのかはわかっていない。産婆や助産婦の役割が前面に出て、保健婦の活動についてはあまり表だって出てこないのではないだろうか。但し、こうしたことは誤りであって、保健婦活動は母子保健という立場に立てば、産婆や助産婦よりも、母と子に対してかなり密に連絡を取り、妊娠前後から出産後にいたって、子どもの成長などを見届けるなど、かなり長いスパンにわたり関与している。このことを思えば、助産婦などが一時の活動であるのに対し、継続的な関与として保健婦が位置付けられる。このことを今一度見直す必要性があるのではないか。また、母子保健に関わらず、保健婦活動は多岐にわたり、健康、衛生の教育普及に始まり、身の上相談的なものもこなす。ある意味地域のアドバイザーとしての側面が強い。彼女らを地域の中でとらえることは、地域生活の機微をとらえることにもつながるし、保健婦と住民との関係性をみるなかで、生活変化の考え方の一過程をみることができる。つまり、保健婦という存在は地域の民俗において、多大な影響を持っており、その活動の隅々をみることにより、地域生活の変遷過程を細かく見ていくことができるのではないかと思うのである。

 民俗学での保健婦の取り扱いについて述べてみたが、これは試論であり、まだまだ分析する部分は多いと思う。生活の部分だけではない。保健婦が及ぼしたのは精神的な部分においてもそうである。健康観や死生観などそうした生活を規定しうるものにさえ、彼女らの影響がみられる。分析の仕方、研究の切り口でいえばまだまだ未開拓地である。このことを踏まえ、民俗学における保健婦の位置付けを今後も考えていきたい。

 また、これは私の持論ではあるが、保健婦の活動をとらえることを、単にその職業性をもって、専門性を持ってとらえようとは思わない。どちらかというと彼女らが、地域住民と具体的にどう接し、どういう感情を用いたのかという人間性という部分において、彼女らの活動をみていくことにしたい。というのも、助産婦にしろ産婆にしろ、その専門家的な位置づけがされてはいるものの、彼女らが地域でその専門性以外にどう付き合ってきたのかということはこれまでの研究で明らかにされていない。保健婦も同じくその方面が強い。そうした意味においても、彼女らの住民との接し方をもう少し具体的に見つめ、単に活動を追うのではなく、彼女らの人間としての動きを立体的にとらえ、それを地域社会でどう位置付けるのかを問うてみたい。

 具体的にどのような方法論で行うのか、どのような資料を持って述べていくのかについてだが、私はこれまで述べてきたように『生活教育』にあるような「保健婦手記」での記述を、その資料として用いたいと考える。『生活教育』で述べられる「保健婦手記」は、保健婦の経験を内外的に示す役割を担っていた。この投稿をみていく中で、保健婦がどのような苦境に立たされ、そのたびにどういう判断をし、どう切り抜けていったのかというような事の顛末が記されている。この記述には、単に活動の内容だけでなく、保健婦がどのように地域住民と接し話していたのか、また地域住民がどのようにそれに応答していたのかといった具体的な経緯を知ることが可能である。つまり、「保健婦手記」をみることにより、保健婦の内面、そして地域での受容をみていくことにもつながるのである。但し、問題はある。『生活教育』という雑誌は「保健婦手記」に対して、その選考過程において文章的表現力を指導し、巧みにその記述を操作しようとしている部分が否めない。つまるところ、この文章が実際の活動であったのかという部分においては疑問が残る。保健婦がどのような過程からこの手記を描くのかという部分についても分析が必要であるし、どういう選考基準になっていたのかということも念頭に置くべきだろう。しかしながら、こうした問題点はあるにしろ、「保健婦手記」は保健婦の内情を知る上で必要不可欠な資料であり、これを読み解くことは民俗学的にも、地域の生活の変化を知りえる上で重要なことであろう。今のところ、方法論というのについては、比較をとるべきか地域の中での歴史的変遷をとるべきか悩む部分ではあるが、私は少なくとも比較するべきものではないと思っている。その保健婦個人個人が地域で行き当たった問題というのは、同じケースであってもそれは見方が異なるし、保健婦の経験知からしてもやはり違った見方があって当然である。そのような場合、比較をしたところでそれは何の意味があるのだろうか。地域比較をしたところで、どういったデータをとれるというのだろうか。それは全く保健婦の人間性とか地域での根差し方とかを無視した論になりかねない。私は、そういった意味では地域の中で彼女らが果たした役割とその活動により変わりゆく生活を見つめる方が有意義ではないかと思う。その意味も、歴史的変遷をみていく方で方法論は考えてみたい。

 以上のように、民俗学で保健婦を考えるということを書いてみたのであるが、この分析はまだまだ試行錯誤の段階であり、幅広く意見を聞きたい所存である。何か不明な点があればご指摘いただきたい。

2012年11月24日土曜日

『生活教育』の特性と「保健婦手記」

安曇野にてのメモ書き

 保健婦資料館所蔵の『生活教育』を拝読し、一つ気になったこと。『生活教育』という雑誌において「保健婦手記」はどのういう記事として扱われていたのか。その当時、保健婦の読み物または参考書として出されていた『保健婦雑誌』は、記事の特性からして専門的、学術的なものに対し、『生活教育』はどこかしら、そういった学術的な記述というよりも、保健婦の心構えのようなものがその特性となっている。細部の記載については現時点で判断できないが、『保健婦雑誌』は技術、学術系とするならば、『生活教育』は保健婦の規律、規範を重んじる精神系のものではないだろうか。その中では特に目につく記事が「保健婦手記」である。これは読者である保健婦による投稿で成り立っており、日々の業務で感じたこと、経験して学んだこと、困ったことなど様々な記述がなされている。また、この記事は選考会が開かれており、多数の投書から選ばれたものだとわかる。その選考理由も編集委員の意見としてまとめられている。編集委員の中には丸岡秀子の名も見られ、あらためてこの記述が社会教育的な側面を有していることがわかる。さらに、本誌は投稿者と委員との対面形式だけをとらず、広く読者からの意見や声を合わせて記述されているあたり(「おたより」欄)に参画型の取り組みがなされていることが考えられる。「保健婦手記」に書かれた活動の内容や心情は単なる発言に留まるのではなく、本誌を介した共有性をもった内容であり、各道道府県で働く保健婦全体に訴えかけるものがある。先の選考にみられるように本誌は、保健婦の教養にも使われ、意図的に選考し表彰することで、各人に保健婦の理想や規律を促している。「保健婦手記」はそういった意味においては、日々仕事に精を出している保健婦への教養と励ましを与えるものであろう。

上記のメモ書きは、11月22日に安曇野で私がメモ書きしたものをうつしたものです。私が保健婦資料館で拝読した『生活教育』の「保健婦手記」欄をどうみるのかということを考えてみました。雑誌にどういった特性があり、その記事にはどういった意図が見られるのかという点です。

保健婦資料館と保健婦資料

 こんにちは。お久しぶりです。さてと、Twitterで私の発言をご覧の方はご存知だと思いますが、先日まで長野県安曇野市へ行ってまいりました。

 風光明美なところで身体も心もリフレッシュしました。

 なぜいきなり長野県安曇野市かというと、穂高に「保健婦資料館」という施設があり、そこには保健婦関連の資料がかなり豊富に取りそろえてあるということをTwitterで知り合った方から情報を頂いたからです。

 これまでのブログの記述からわかるとおり、私は生活改善の中でも保健衛生活動、とりわけ保健婦の活動を取り上げて研究しておりました。しかしながら、研究しているとは言っても保健婦がどのような存在でどういう活動を主たるものとしていたのか、どういう風に地域に入って行ったのかというのを聞き取りでしか知らず、基本情報としての知識があまりに少なかったのです。そこで「保健婦資料館」のお話しをいただいたのでして、これを機に一から保健婦という存在について勉強してみようと思い、いろいろと資料を集めてみたいと思ったのです。

 これまで、私自身フィールドで資料を追うことはあっても、本格的な資料調査というのをしてきたわけではなく、どういう資料がそこにあるのか、どういう調べ方ができるのか、またどういう資料を選んで研究すべきなのかということを結構悩んでいました。正直なところ私の保健婦のイメージは、村の中で臨床を取り扱ったりする専門家という位置付けでしかなく、私の論文でも彼女を取り扱うのはどうもその職業性のみで語ってきたきらいがあります。しかしながら、保健婦の語ることについてよくよく考えてみると、ただ単に臨床でやってきたわけではありません、公衆衛生の知識を広く村人たちに触れて回るのですから、彼らの生活の中に直接入っていくことをしなければ、うわべだけのその場しのぎの活動になってしまいます。私が、兵庫県宍粟郡(現宍粟市)でお話しを聞いたA保健婦は、こんなことを申されていたのを今でも覚えています。「衛生環境が悪いことを説明するのに、まず生活をみてからじゃないとわからない。家庭訪問の際は些細なことでも、訪問家庭の生活事情を記録し、それをもとにしてさまざまな(公衆衛生活動ないし、保健)活動をおこなった」という。つまり、保健婦は村の生活について理解をしなければならず、そのために家庭訪問を繰り返し行い、そのたびに衛生知識の普及に努めたというのです。保健婦はこうした村人の立場の中に身をおいてこそ実践が可能のあのであって、単に臨床の現場だけを抑えておかばいいというわけではないのです。

 そうしたこれまでの調査でうすうす気づいていたものを少しずつ考えていくことがこのところの私の作業でした。そこで、はたと気づいたのです。保健婦というのを職業として、保健活動を業務としてみているのでは、民俗学の中で保健婦を取り扱うのはかなり無機質になってしまわないかと。要するに、活動の流れや地域での位置付けをするだけでは、民俗とのかかわりは描けないし、たとえ描いたとしてもそれは人間の営みのなかでの生活と活動との間に隔たりをもったものになってしまわないかと。そういう心配をしたのです。よくよく考えてみると、保健婦というのは先にも話した通り、村の中に身を置いて活動しているわけですから、生活に深く根ざしており、民俗にも多大に影響を与えていたのではないかと思ったのです。人々の生活意識において保健婦が与えた影響は民俗学としても無視できないのではないかなと思ったのです。そして、これが重要なことなのですが、単なる活動の記述として民俗学で保健婦を扱うのではなく、村人と保健婦がどういう風に接してきたのか、そこでどのような生活への取り組みが向けられていったのか、その時どういう感情があったのかということも含めて立体的に活動をとらえる必要性があるのではないかと。今までの私のやり方っていうのはそこらへんの立体感にかけていて、どこ無機質な記述になっていたのではないかなとおもったのです。

 そこで、話は少し戻るのですが、保健婦資料の中に「保健婦手記」という保健婦の活動を記録したものがあります。この資料は、度々書籍として刊行されており、私もそれを何点か集めています。その中で重要なのは、彼女らがいかに活動したのかということと同じぐらいに、どのような思いでどういう風に接してきたのかという、業務にかかわる苦悩や喜びといった感情が描かれていることです。保健婦は専門家ではありますが、その前に一人の人間として職務に当たっています。つまりそこには人間らしい、その表情豊かな記述があるということなのです。そこで、今一度この資料類をみていくことで、どうにか保健婦活動を立体的に描けないものかと思ったのです。保健婦活動はなにも兵庫県だけが特別ではないし、日本各地で様々な活動が営まれ、各地の保健婦は創意工夫しながら村の中に身を置き活動しています。そのことをもう少し知りたかったというのが、私を「保健婦資料館」へいざなったと思うのです。

 保健婦資料館で所蔵されている資料の中には、そうした手記類は多数あります。そうした記述を丹念に見ていき、そこから民俗学にアプローチしてみることもできるのではないかと思っています。私のアプローチ方針としては、「保健婦手記」や保健婦の証言から、村人の生活にどういう風にかかわり、どういう風に変えようとしたのか、またそこにはどのような葛藤があり、どういう賛同をえたのかといことを今一度民俗学の中で位置付けてみたいと思うのです。

 これまでの研究が生活改善という言葉にゆらされて、どこかしらあまり有益な情報を得られていませんでしたので、保健婦というキーワードにもう一度立ち返って、考え直す必要性もあるのではないかと反省したことが今回の収穫です。