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2012年12月2日日曜日

保健婦をどう見るかということ。(その2)

 おはようございます。朝っぱらから何をしてんだと言われかねない時間帯ではありますが、昨日考えたことを整理しているまでです。ご了承ください。

 昨日、「保健婦をどう見るかということ」としてブログにアップさせていただきましが。この記事についてあと後自分で考えてみて、少し付け加えるところといいますか、自分なりに保健婦研究をするにあたっての諸注意事項としてもう少し深く見ていこうと思ったからです。以下の文は、先のブログに対しての振り返りと、今後のことについてを少しまとめたものです。

 保健婦の研究には、単に保健婦個人、保健婦という存在をまるっと扱うのではない。保健婦個人を扱うのであれば、それは個人史であったりして別段民俗学の中でこれを定義することは必要ないし、その上民俗学との関連性を言うのであれば、保健婦個人よりもその周辺のことであり、あくまで個人はその上にあるものだという考え方がある。保健婦がその労働力を向けた地域やそこに住む人々についても深く掘り下げる必要性があり、保健婦はそうした地域において規定されなければならないとさえ思う。保健婦を民俗学の中で位置付けることというのは、地域生活、地域住民との有機的な関係性をそこに見出したのであり、保健婦個人を調べるものではない。また、保健婦を特別に強調し、その存在を文脈の中で明らかにすることが主体ではない。確かに、保健婦の略歴や経験の記述は大切ではあるが、それは地域活動において、保健婦が有する経験知がどのように働いていたのかということを明らかにする手段であり、目的というわけではない。民俗学で保健婦を扱うときの目的は、どうしても地域生活の変化の中で保健婦が与えた影響であったり、保健婦がどのような働きをしていたのかということを地域社会の役割の中でみていくことにこそあると思う。
 しかし、ただ地域生活での分析を進めていくにあたって、それでは保健婦の存在意義というものがあまりに薄くなってしまわないかという疑問もある。そもそも、保健婦でなくとも別なものであってもいいと思うことすらある。ここで、保健婦をあげる以上、この保健婦にしかない特徴をまず取り上げる必要性があるのではないだろうか。その上で上記のような地域生活の中で彼女らの活動をみていくことが大切であると思う。つまり、単に地域生活の中での彼女らをみるだけでなく、保健婦自身にも気を配らなければならないということである。保健婦自身がどのような経験を経て、どのような経験知を得て、地域で活動をしているのかといった、彼女らのスキルの部分をみることは、地域での活動の根底部分、意図する部分においての動機付け、意図などを読み取ることにもつながる。なので、民俗学で保健婦を位置づけするに当たり、地域活動の中で保健婦を規定するだけでは、保健婦のことをあまりに軽んじてはいないだろうかと思ったりする。
 民俗学における、保健婦の見方を論じるに当たっては、二つの視点が以上のことから言えると思う。一つに、地域生活の中における彼女らの働きから保健婦を論じるということ。二点目は、保健婦自身がどういう経験知をもって活動に挑んだのかという保健婦自身を論じるということ。この二点は本来は別々のものではあるが、双方ともにみて初めて一本の保健婦の諸相を明らかにするものである。だから、どちらか片方の見方に偏って、考えていけば、あまりに視野の狭い論になりかねない。例えば、結核診断のことをあげるならば、この結核診断は地域生活においては保健衛生上必要なことであり、行政としても結核予防法に基づき、結核患者を隔離しなければならない。そのために保健婦がその役割を担っているのだとするのである。これをみる限り、保健婦は結核という地域の問題の中に位置し、地域生活と結核患者の中でのみ語られるような形になっている。そこはどこか業務的であり、報告的な描き方でしかないような形だ。従来の民俗学ではこうしたちょっとした報告に保健婦をあげることは多い。だが、結核予防ということは保健婦の経験知の中でこそその業務はあり、保健婦がどのような気持ちでどのような方法をとりながら結核患者と接していたのか、そういう保健婦の働きの中に地域生活を置くことも重要なことである。つまり、保健婦を民俗学で見る場合、そこに地域と保健婦双方をみる視点がひつようであるということ。地域生活も大事であるが、同じぐらい保健婦自身のことも重要であることを念頭に置きながら考える必要性がある。この地域と保健婦の関係性が交わるところにこそ、保健婦の真骨頂が見られるではないだろうか。

 ちょっと長くなりましたが、先の保健婦をどう見るかという問題について自分なりに決着をつけてみました。まぁ、これは何かを参照して出した答えではなく、私なりの知識の中でどのような方法が民俗学としてありうるかそういうのを考えた結果です。