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2012年12月21日金曜日

生活研究と保健婦

 おはようございます。先日の生活改善諸活動研究会の再開でかなり興奮気味の一週間ではありましたが、とりあえず少し緊張も解け、自分なりに観察でできるようになったのでその手始めに、生活研究の大きな枠組みというか方向性と、そこで私が抱える保健婦研究がどのような役割を果たすのかという部分について触れてみたいと思います。

 先日の研究会のブログ記事でご紹介したとおり、昨今民俗学において「生活」(日常生活)について注目が集まってきています。それは、戦後からの生活変化についてこれまで民俗学はどちらかというと平面的に扱い、それがどのように変化し、どう受け入れられるものであったのかという具体像についてはあまり触れられてこなかったからです。そのような中ですので、衣食住の研究というのも、生活道具などの道具研究が主となってしまい、生活自体の動き、社会との関連性というもの、さらに人間との関連性というものについて論じることはこれまであまりなかったのです。
 私は、「生活」というものについてこう考えます。「生活」とは単に物や技術の動きだけに限らず、それを使う人間の動きであり、そのものや技術に直面した時の感情などといった人と物、さらにその技術を伝える行為の中で描かれる人間同士の関連性の中でみられるものである。つまり、物が技術が発達して生活が変化していったという考え方ではなく、それを使う人間がどうそれを関連付けて自分たちのものへとしていったのかということが「生活」なのではないかと思うのです。私の考え方からすれば、従来の民俗学での生活研究、特に生活変化に関する研究というのはそうした関連性にかけているのではないかと思うのです。
 この関連性についてなぜ私が思ったのかということは、先日の研究会での富田氏による発言があったからです。「民俗学は一カテゴリ内に依拠してしまい、ほかの生活の部分についての関連性が描けていない」。その通りであると思います。そのため、今一度自分のやりたいことについてこの疑問を当てはめてもう一度研究をくみ上げていくことが私に課せられたものだとおもっています。

 さて、ここまで、生活研究の土台となる「生活」をどうとらえるのかということについて記してきましたが、要するに「生活」を人間や物、技術、さらに人間同士の関連性の中で描いていくことの必要性を問うたのです。では、これらを具体的にどう描いていくのかという方法について、次は私の研究である保健婦研究で分析したいと思います。

 保健婦研究なるものがいまのところ民俗学には存在しないので、私のオリジナルなところがあるのですが、そのままずばり、保健婦がどう民俗に接近していったのかということを研究するものです。これだと抽象的すぎますので、具体的には、全国各地にいる保健婦、特に戦前戦中戦後という激動の時代、生活変化が顕著だった時代に職務についていた保健婦を対象に、彼らがどのように地域で活動し、どのような指導を行っていたのか、またその指導はどのようにして生活に影響を与え、地域住民にどう受け入れられていったのかということについて研究するものです。もともと、私の研究方針としては、保健婦がどのような人物であり、どのような活動をしていたのかという、保健婦を全対象にするものではありましたが、これだと、単に特殊な職業における民俗となってしまいかねませんし、そもそも保健婦が民俗学の対象であるということには、必ずしも当てはまるとは言えません。ただ、保健婦が行った活動を見ていくと、それは民俗学者のように地域の民俗、生活の細かいところを覗き込み、それを記録し、そのうえ衛生指導にのっとりながら生活の細かい指摘をしていくのです。それこそ手取り足取りといった具体的な所作を含めての指導ですので、単なる言葉だけの指導ではありません。そういった意味において、生活に直接に触れると同時に、そこの民俗に対して理解を深め、そのうえで活動していたことになるので、保健婦がいかに民俗学的に見て重要な人物であるかは自明のことだと思います。もちろん、生活改善という含みを持たせるのであれば、何も保健婦だけではなく、生活改良普及員などの指導者もこれに含まれますが、保健婦の一番の特徴は、その手腕に人間の生命ないし健康という一番重要な部分がかかっており、なおかつ彼らの活動は「医師の代わり」としてあったようで、それこそ発言力にはかなりの力を持っていましたし、その技術力については地域住民の良き相談相手になっていたのです。このことをかんがみると、保健婦が生活にどう組み込んでいったのかということをみることにより、いずれにしても生活の変化の機微がわかってくるのではないかと考えるのです。ですので、保健婦研究は生活研究に関連していくものでもあり、これこそ「生活」の関連性を描く上で重要なものではないでしょうか。

 具体的な保健婦研究を持ち出して生活研究の中に位置づけようと思うのではありますが、実は私は少し迷っている部分があります。生活研究の中にそのまま保健婦を位置付けてしまった場合、保健婦が固定化してしまわないかと思うのです。つまり、保健婦というものが生活に影響を与えたことは明確であるからそれには異論はないのですが、保健婦が生活の域を出ていないかというとそうでもありません。様々な方向への関連がうかがえます。この場合、私がさす「生活」は衣食住の従来の研究を指しているわけですが、この研究の範囲内では保健婦の力量のほんの一部のみにしか焦点がいきませんし、いずれにしても保健婦の見方がかなり狭まってしまうことになりかねません。そこで、私は、保健婦と生活研究を二つの大きな輪として考え、それが接近する部分において関連性として描こうかと思っています。また、保健婦という人物がどうほかのカテゴリーと関連していくのかという部分についても触れておきたいので、衣食住に限らず様々な場面での彼らはどう映っていたのかも含めて考察していきたいのです。要するに、保健婦を狭い範囲でとらえるのではなく、保健婦から派生する様々な関係性の中で生活をとらえてみるということです。先に述べたことと少し矛盾があるかと思いますが、私の意見としては、単に生活研究、衣食住に依拠した研究の中で保健婦を取り上げるのではなく、保健婦という視点からもっとマクロな「生活」を取り上げられないかと思うのです。私がさす方向にある「生活」というのは、衣食住に限らず、それを基本としながら関連していく諸領域も含めてのものです。多分、このことについては生活改善諸活動研究会の方向も同じであると考えます。いずれも、生活というのを狭い範囲内でみるのではなく、もっと広い視野で見ていくというもの、それが大事なんだと思います。

 ちょっと話がそれてしまいましたが、上記の二つのこと。生活研究のこれから。そして保健婦研究と生活研究というの中でどうかんがえてみるのかというものでした。私がこの記事の中で一番言いたいことは、「生活」ってのは衣食住だけじゃないし、ものだけ、技術だけではない、人々の息遣いが聞こえるようにして生活もいろいろな関係性の中で「生きている」ものであり、それを分析するに当たっては、その生きたもの関連し続けるその様相をうまく立体的に取り込まなければならないということです。従来のような一カテゴリーの中での民俗をとりあげるのではなく、もっと複雑にもっと人間味のあるものを描いていくべきではないかと思うのです。そのための一つの手段として、人々の暮らしに直接関与し、生活の指導者であり、良き相談相手として位置づけられていた保健婦を具体事例に出すとともに、彼らがどう動き、どういう風に受け入れられていったのかということと、生活の変化について述べてみたいと思うのです。

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