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2011年9月12日月曜日

2011年度研究計画書

こんばんは。

2011年初めての更新です。ご無沙汰しております。

長々とお待たせして申し訳ございませんでした。



研究題目:

戦後の「生活改善」が果たした地域生活での役割

-保健衛生面の諸改善をめぐる社会事情と地域-



研究内容:

 本研究は、戦前・戦後にわたり人々の生活の「近代化」「合理化」を目的に、政府行政、各種啓蒙団体、地域組織等が行った「生活改善」と呼ばれる活動の概論を述べることと、それらが地域社会に果たした役割を位置付けるものである。「生活改善」という言葉に対する定義は未だ整理がされていないが、仮に定義するとなれば以下のようになる。生活の「合理化」や「近代化」といった従来の生活規範から脱却した新しい生活規範のモデルを構築するため、さらにはそれを普及するために行われた社会活動である。「生活改善」は戦前から現在に至るまで数多くの団体が行い、その時代その場所で活動の目的が異なりその当時の政治、社会を持って語られることが多い。従来の研究では戦前戦後の活動を通じて教育学、生活学、経済学、社会学、歴史学、民俗学といった諸科学によって様々な角度から各団体の理念、活動、その時代背景などが浮き彫りにされてきた。しかしながら、これらの研究は各種団体個々の分析に留まることが多く、その団体ではなく「活動」(1)、地域での「実働」(2)という点についてはあまり研究が進んでいない。また、地域においてもこれがどのような背景のもとに受容されそして活動を促進してきたのかについての分析も進んでいない。さらに、民俗学の研究に至っては、改善前後の民俗の変容の諸相のみを取り上げ、民俗がいかに変わったのか、また変わらなかったのかを理由づける一つの要因として扱ってきた。しかし、そうした変容の諸相といった側面だけでなくそこに関連してくる改善活動自体にも目を向けなくてはならないのではないか。特に民俗生活に大きな変容を「意図的」に行おうとした活動であり、人々が暮らしうる民俗社会においてそれを受容した拒否したに限らずその諸相を取り上げることは重要なのではないか。活動は単に政府行政だけでなく、婦人会や青年団といった男女問わず多くの担い手によって支えられてきた。社会的側面から見てもこれほど広く地域を巻き込んだ事象はあまり見られない。さらに言えば、この活動自体も直接的ないし間接的にあれ、人々の生活そのものを「改善」という形で変えようと働きかけ、人々はそれを享受した背景があることからも民俗生活で果たした役割は大きい。こうした方面から「生活改善」を正しく捉え直し、その位置付けを再検討することは、社会を取り巻く諸相とその事象との関連性を見る中でも重要ではないか。本研究はそういった民俗学で見落とされてきた「生活改善」との地域生活の具体像を明らかにする。

これまで、私自身、幾度かこれらの分析を試みてきた。兵庫県宍粟市千種町というフィールドのもとで、「生活改善」と呼ばれた地域保健活動やいずみ会活動などの衛生に関わる「活動」の分析し、それがいかにして地域に定着、どう普及してきたのかを、官側である保健婦と民側であるいずみ会の双方から見定めた。いずれも一様にその時代その地域の諸事情により誘発され活動を展開したことが分かった。双方同じく「衛生上の悪化」から派生しており、官はそれに「脅威を感じ」行政的に「取り除き」「宍粟郡下における衛生行政の立場を向上」させようとし、民はそれに「恐れを抱き」自分達の生活を「(衛生的に)改め直そう」とした。そうした双方の思惑が重なり、それぞれの活動で結果的にひとつの「生活改善」として形成されたことを述べてきた。この論は地域の実際の動きが重層的であること、地域の状況によってそれが構築されているということの二点が判明した。しかしながら、論中では活動の歴史的、社会的背景についてはあまり触れられなかった。「衛生の悪化」という理由をそれぞれが「脅威」「恐れ」と感じ、それを「改善」せざるを得なかった背景にはどういう事情があったのかも含めて見ることによってより地域の「生活改善」の諸相が見渡せるのではないか。単に「恐れ」から台所や住宅、さらには食生活自体に至るまで「改善」、「変化」させようとしたのではない。そこには衛生的脅威を取り巻く様々な要因が考えられないだろうか。社会的背景や位置付けなどを見るだけなら従来の団体における「思想」という言葉でも仮に説明はできるが、それは現地の「実働」とは違う。「実働」はその場その時で変わり、その活動を行った側受け入れた側相互間のやり取りなしには語れない。つまり、この「生活改善」を取り巻く事情は、単に地域だけ社会だけを取り出して活動の外郭を語ることは限界があり、もっと俯瞰した立場で考えないといけない。そこで、本研究では「生活改善」の具体的な諸相を地域から見るという点、加えて活動の背景にどのような社会事情があったのかという点、「生活改善」を取り巻く地域、社会の双方から考えてみたい。具体的には、戦後から高度経済成長期を中心に、地域で起こった保健衛生上の「生活改善」と呼ばれる活動、衛生改善、台所改善などを取り上げながら地域の諸相を描き、一方で衛生行政や保健衛生事業、さらに衛生思想の流布と啓蒙といった同時代の社会事情も含めて論じたい。

戦後という時期に設定するのは、この時期「生活改善」と呼ばれた活動が戦前のそれに比べてより具体的諸政策として展開したためである。特に農林省、厚生省、文部省関連の動きは活発であり、この政府諸団体の活動によって戦後の「生活改善」の外延が語れると言っても過言ではない。但し、この「生活改善」は全て各政府諸団体によって執り行われたものではなく、「生活改善」を標榜する団体、婦人会、青年団によっても担われている。また政府によるそれは、地域社会においてそのまま励行されたかというとそうでもない、各地域の事情によりその地域での活動が規定され執り行われたとされる。その為、「生活改善」には二つのファクターがある。一つは政府の掲げるもの、もう一つは地域社会が欲するものである。官民双方の歩み寄りによって、「生活改善」は地域生活に受容される。そういった、「生活改善」の重層的な位置付けは、戦前戦中ではあまり見られない。但しこれは、現状の資料的制約や社会分析に傾倒した研究に問題があり、戦前戦中期の「実働」ははっきりしないことに由来する。しかし、そうした研究の問題を抜いても、戦前戦中のそれはスローガンやイデオロギーによって構築されたもので、上からの一方的な活動でしかなく、地域側の生活実態に直接結びついていたかというとそうでもない。ところが、戦後の「生活改善」は実質的な部分においてスローガンだけに依拠せず、地域生活に根差すにはどうするべきかといった実行に重きを置いている節がある。つまり、戦前戦中期のそれに比べて具体的事象として地域生活に見ることが可能である。また、対象期間を高度経済成長期としているのは、この期間に最も盛んに「生活改善」が執り行われたことに依拠する。戦後のそれは特に農山漁村を中心に活動を行っており、都市部から離れた農村部の生活の「近代化」「合理化」を目指している。これは当時の政府行政の政策自体が、戦後の食糧増産などを主目的に、農村部の疲弊した生活の立て直しを図ったことによるもので、特に衣食住や社会生活面での「規範」「規律」を「正し」「改め」農村生活の質的向上を目指したことによる。その政策が地域で執り行われたのが戦後から高度経済成長期を中心とする期間に相当し活動の隆盛を極めている。

本研究で取上げる「生活改善」は、数多くある活動の中でも、生活にダイレクトに影響を与え、且つ自分達の生活に「善い」ものとして積極的に受け入れられていった保健衛生に関する活動である。主として、保健医療をはじめ公衆衛生に関する活動も含む広い領域にわたるが、本研究では公衆衛生活動を中心としてそれを描いていこうと考える。こうした公衆衛生活動に関する「生活改善」からの切り口は先行研究からはあまり見受けられない。そもそもこの活動を「生活改善」と位置付けることがあまりなかったことにも由来するが、その内容を再検討してみると「生活改善」と密接につながりは深く、例えば便所の改善、台所改善、住宅改善の活動の発端となるのはやはり衛生上の理由からということが多い。そういった意味においても、この保健衛生に関する活動を見ていくことが重要であろう。

現時点においては、対象とする事象についてははっきりしているものの、具体的な地域については未検討である。千種町の地域保健活動やいずみ会活動についてこれまで分析し整理してきたが社会全体を見るとなるとこの事例のみで語るのは一地域に傾倒してしまう危険性もあり、もっと広く、農山漁村さらには都市の事例も分析整理する必要性がある。ただ、これには時間がかかり、全て追跡分析することは一年間では難しく、地域の事例収集分析だけでなく社会事象の整理分析も必要である。そこで今回は千種町の次なる調査地を探すに加え、この取り組みの第一段階として保健衛生関係の「生活改善」の整理と位置付けを試みることとしたい。内容が近現代史、特に政治史、文化史に依拠する部分も多少多くあるが、現存する活字資料や写真資料などを用いて村落生活上の事象に対しどのような言説を持って「改善」しようとしたのか、何がそれを駆り立てたのかを見る必要がある。その上で次なるステップとしてそれを人々はどう受容したのかといった「実働」としての地域社会における活動を捉え民俗学的なアプローチを検討したい。

予定としては、第一に保健衛生の改善の周縁に着目したい。具体的には関係する各種団体の理念や政治性についての諸相とそれをとりまく法規の策定を対象に整理し、この改善活動に対する政治的ないし歴史的経緯を明確にしたい。使用する資料は多種多様であるが、厚生省、文部省、農林省のこれに関わる法規類、関係団体による機関紙の分析を試みる。だがあくまでこれは団体個々を取り上げるのではなく、「活動」を取り上げるのであって、各団体個別の羅列的分析、理念の分類に終始するのではない。歴史的経過と関係性の俯瞰のもとにそれぞれの動きを捉えるという意味で団体を固定せず、時間軸と関係軸との上におき分析を試みる。但し、これには戦前や戦中期の改善にも関連するので、「生活改善」がどのような時代にどのような言説を持ってどのように取り組んできたのかを概観として表すこととする。第二に、戦後から高度経済成長期の社会的諸相を並行して提示してみたいと考える。各省庁や各種啓蒙団体が活動に踏み切るのはなにも法令や条例、政策や思想理念に基づくものばかりではない。どこかで当時の社会風潮における己の立場を確立しているであろうし、時代諸相に似合った活動を展開していくのであれば、単に政治的な流れのみで語られることではない。そこで、当時の社会諸相においてそれらがどのような関係を見せていったのかを同時に整理する必要性がある。現時点では公衆衛生に関する催し物、特に戦後しばらくの間行われた衛生展覧会(博覧会)、戦前戦中期から続くラジオ体操、戦後広まっていった健康優良児表彰などなどのメディアイベントにも着目していきたい。第三には、具体的な事例をもとに保健衛生に関する「生活改善」がどのようにして地域で実際に行われていたのかという部分に着目したい。実際にどのような形で「生活改善」を行っていたのかということを念頭に、現地で実際に活動を支えた婦人会組織等の活動を見ていきたい。さらに、ここでは婦人会の動きを見る一方で、政府行政や啓蒙諸団体がどのようにこれと接触をもち、婦人会がどのようにそれを受け取って行ったのかも含め考えてみたい。その上で、第四に第一から第二での政治、社会の中、第三で説明した実際の動きがどうリンクするのかを分析してみたいと考える。つまり、時代諸相と実際の動きを照らし合わせることで、人々が何を望み、それをどういった形で取り入れていったのかという住民の部分、さらにそうした活動をどのように定義し且つ実行しようとしていたのかという社会の部分の突き合わせを試みたいというものである。総じて本研究の行きつく先は、保健衛生面という限られた部分ではあるが、その「生活改善」の歴史的位置付けと社会的役割、さらにその実態と受容関係に見る誤差などを検証し、活動がどのように人々に行きわたり、どのようなかたちで人々の心をつかんでいったのかを考えるものとしたい。



注釈

1…従来の研究では団体個々の動きとして活動を位置付けてきたが、本研究においては団体個々の分析を行うのではなく、地域に視点を置き総合的に見た「行為」という意味で用いたい。例えば農林省の生活改善普及事業内での人の動きではなく、ある地域で行われた現象としてある台所改善などの動きである。本研究においては保健衛生に関する改善がこの「活動」に当たる。

2…実際の地域での働き。活動とすると総合的に捉えることになるので、そうではなく空間内、時間と場所において規定される動きを指すこととする。

2010年12月4日土曜日

久々の更新です。来年度の研究計画を書いてみました。

 こんばんわ。御無沙汰しております。大変久々の更新にて失礼いたしました。
 年末の寒い季節になってきましたが皆様はお体のほうは大丈夫でしょうか。私は風邪をひいてしまったみたいで、マスクが欠かせない必須うアイテムになっています。
 さて、本当に久々なので皆さんにご報告いたしたいことが山のようにあります。それを話しているときりがないので、本年度の研究成果として大きかったものを挙げるとすれば、念願かなって日本民俗学会の年会に発表者として出席できたことでしょうか。大変喜ばしいことです。病床に伏せていた時からの念願かなっての年会発表でしたので、その場にたてたことだけでもうれしかったです。それと、来年の話になりますが、多分おそらく初春に私の書いた原稿が書物になります。生活改善諸活動研究の集大成として多くの偉大な方々と名を連ねて書かせていただくことができました。まだ出版の詳しい日程はわかっていませんが、以後こちらから皆さんに本ブログにてご報告差し上げます。
 ところで、来年から私はどうなるかってことですが、今のところ現状維持…研究員として来年も佛教大学にてお世話になる予定です。そこで、来年度の研究計画書を現在作成中でして、途中経過ですが以下のようにご報告させていただきます。

研究題目:


戦後の「生活改善」が果たした地域生活での役割

-保健衛生面の諸改善をめぐる社会事情と地域-(仮)



研究内容:

 本研究は、戦前から現在にわたってその時代の政府行政、各種啓蒙団体が起こした人々の生活の「近代化」「合理化」を目指した「生活改善」と呼ばれる運動もしくは活動の概論を述べることと、それらが地域社会に果たした役割を位置付けるものである。「生活改善」は戦前から現在に至るまで数多くの団体が行い、その時代その場所で活動の目的が異なりその当時の政治的、社会的気風を持って語られることが多い。従来の研究では戦前の生活改善運動や戦後の生活改善諸活動を通じて教育学、生活学、経済学、社会学、歴史学、民俗学といった諸科学によって様々な角度から各種団体の理念、活動、その時代背景などが浮き彫りにされてきた。しかしながら、これらの研究は各種団体個々の分析に留まることが多く、その団体ではなくその活動が行われた地域での実際の動きにおいてどうであったのかという点についてはあまり研究が進んでいないのが現状である。また、地域においてもこれがどのような背景の基に受容されそして活動を促進してきたのかについての分析も進んでいない。そこで、本研究では「生活改善」の具体的な諸相を地域というフィールドでどのように位置づけられていたのかを試みることにしたい。また、この活動が起きた背景にどのような事情がありそれはどのような時代背景の基に作りだされていったのかも考えてみたい。具体的には、戦後から高度経済成長期を中心に、地域で起こった保健衛生上の「生活改善」と呼ばれる活動、衛生改善、台所改善などを取り上げ、その活動の背景となった社会的、政治的事象を分析しながらこの活動がいかにして地域生活に位置づけられたのかを考察する事にする。

戦後という時期に設定するのはこの時期、「生活改善」と呼ばれた活動は戦前のそれに比べてより具体的諸政策としての活動を展開しようとしていくためである。特に農林省、厚生省、文部省の動きは活発であり、この政府諸団体の活動によって戦後の「生活改善」の外延が語れると言っても過言ではない。但し、この「生活改善」は全て各政府諸団体によって執り行われたものではない、その下請けとしての婦人会、青年会、「生活改善」を標榜する団体によっても担われている。また農林省にはじまる官僚によるそれは、地域社会においてそのまま励行されたかというとそうでもない、各地域の事情それによりその地域での活動が規定され執り行われたとされる。その為、「生活改善」には二つのファクターがある。一つは官僚の標榜する「生活改善」、もう一つは地域社会が欲する「生活改善」というものである。この二つによって、「生活改善」は地域生活に受容される。そういった、「生活改善」の重層的な位置付けが見られるのは、戦前戦中の「生活改善」ではあまり見られない。戦前戦中のそれはスローガンやイデオロギーによって構築されたもので、上からの一方的な活動のそれでしかなく、その実態が生活に直接結びついていたかというとそうではないと考える。ところが、戦後の「生活改善」は実質的な部分においてスローガンに依拠せず、その実行に重きを置いている節がある。つまり、戦前戦中期のそれに比べて具体的事象として地域生活に見ることが可能なものであると言えよう。そういう意味において本研究では戦後を取り上げたい。また、対象期間を高度経済成長期までに区切っているのは、この期間に最も盛んに「生活改善」が執り行われたことに依拠する。戦後のそれは特に農山漁村をベースに活動を行っており、都市部から離れた農村部の生活の「近代化」「合理化」を目指している。これは当時の政策自体が、農村部の疲弊した生活、特に衣食住や社会生活面での「規範」「規律」を「正そう」「改めよう」としたことにはじまり、農村生活の質的向上を目指したことによる。その上で、この政策が執り行われたのがちょうど戦後から高度経済成長期という期間にくみするのである。

本研究で取上げる「生活改善」は、特にその時期に頻繁に見られた保健衛生上にまつわる活動である。数多くある「生活改善」の分野の中でも、生活にダイレクトに影響を与え、且つ自分達の生活に「善い」ものとして積極的に受け入れられていったのが保健衛生に関する活動である。主として、保健医療に関する活動をはじめ公衆衛生に関する活動も含む広い領域にわたるが、本研究では公衆衛生活動を中心としてそれを描いていこうと考える。こうした公衆衛生活動に関する「生活改善」からの切り口は先行研究からはあまり見受けられない。そもそもこの活動を「生活改善」と位置付けることがあまりなかったことにも由来するが、その内容を再検討してみると「生活改善」と密接につながりは深く、例えば便所の改善、台所改善、住宅改善の活動の発端となるのはやはり衛生上の理由からということが多い。そういった意味においても、この保健衛生に関する活動を見ていくことが重要であることが見受けられる。そこで、本研究では数多くある「生活改善」でも生活にダイレクトに影響を与えた保健衛生面の諸改善について検討し、それがどのように行われ、その背景にはどういった社会事情があったのかを分析してみたい。

現時点においては、対象とする事象についてははっきりしているものの、具体的な地域については未検討であり、今後検討していきたいところであるが、いずれにしても初めは「生活改善」の先行研究におけるこれらの事象の整理、そして「生活改善」の運動史における位置付けをまずは試みることとしたい。内容が近現代史、特に政治史、文化史に依拠する部分も多少多くあるが、実態面については実生活においてそれがどう変化を招いたのかという部分に執着する事もあり、村落生活上の事象に対しどのような角度からどのような言説を持って変え且つそれを人々は受容したのかといった民俗学的なアプローチも含めて検討したい。特に衣食住を中心とする民俗生活において多大な影響を与えている事象であるからこそ、こうした民俗学でのアプローチが必須である。

現在予定しているのは、第一に保健衛生に関する大まかな法令、条例の立案、制定、施行といった中に見られる政治的動向、各種団体の理念や政治性についての諸相を残存する資料等を突き合わせながら整理し、まずはこの改善活動に対する政治的ないし歴史的経緯をはっきりさせることとしたい。さらにこれには戦前や戦中期のことも多少関わりがあると見られるので、そうした時期の改善の動向にも着目して描きたい。但し、先行研究からも明らかになっているがこの改善活動は多種多様な団体によって営まれ、単に歴史的連続性を持って謳われるだけではなく横のつながりを持って表されることが多い、そのため必ずしも団体個々が結び付き数珠つなぎの連続性で表せる活動ではないと思われるので、ここでは大体の概論としての保健衛生面に関する「生活改善」がどのような団体がどのような時代にどのような言説を持ってどのように取り組んできたのかを概観として表すこととする。政治的動向を整理した上で第二に、戦後から高度経済成長期という期間内の社会的諸相を並行して提示してみたいと考える。各省庁や各種啓蒙団体が活動に踏み切るのはなにも法令や条例、政策や思想理念に基づくものばかりではない。どこかで当時の社会風潮における己の立場を確立しているであろうし、時代諸相に似合った活動を展開していくのであれば、単に政治的な流れをもってのみ語られることはないと考える。そのため、当時の社会諸相においてそれらがどのような関係を見せていったのかを同時に整理する必要性がある。現時点では公衆衛生に関する催し物、特に戦後しばらくの間行われた衛生展覧会、戦前戦中期から続くラジオ体操、戦後広まっていった健康優良児表彰などなどのメディアイベントにも着目していきたい。その上で、政治的な流れと社会的な流れの交差を見てみることとする。第三には、具体的な事例をもとに保健衛生に関する「生活改善」がどのようにして地域で実際に行われていたのかという部分に着目したい。「生活改善」の説明においても述べたが、官僚ないし各種啓蒙団体の有識者が唱えた「生活改善」と末端部でそれらを行っていた「生活改善」の実行者では少し考え方が異なる場合がある。そこでそうした末端部において実際にどのような形で「生活改善」を行っていたのかということを念頭に婦人会組織等の活動を事細かく見ていきたい。但し、ここで扱う「生活改善」が全く官製のそれと違うと言うのでとらえるのではなく、なぜ官製の「生活改善」と末端部のそれとに誤差が生じているのかを見ることも重要である。つまり、ここでは婦人会の動きを見る一方で、政府行政や啓蒙諸団体がどのようにこれと接触をもち、婦人会がどのようにそれを受け取って行ったのかを考えてみたい。その上で、第四に第一から第二での日本国内での政治的、社会的風潮の中、第三で説明した実際の動きがどうリンクするのかを分析してみたいと考える。つまり、時代諸相と実際の動きを照らし合わせることで、人々が何を望み、それをどういった形で取り入れていったのかという住民の部分、さらにそうした活動をどのように社会は定義し且つ実行しようとしていたのかという社会の部分の突き合わせを試みたいというものである。総じて本研究の行きつく先は、保健生成面という限られた部分ではあるが、その「生活改善」の歴史的位置付けと社会的役割、さらにその実態と受容関係に見る誤差などを検証し、活動がどのように人々に行きわたり、どのようなかたちで人々の心をつかんでいったのかを考えるものとしたい。

となります。指導教授と相談してから決定していこうかと思うのですが、路線としては「生活改善」研究の俯瞰的位置づけをもとにした歴史的、政治的、文化的などの側面からのアプローチを試みようと思っています。ようするに、「生活改善」の全体像を今まで以上に広く取り上げてみたいと思うわけです。これまでの私の研究はどちらかというと狭い範囲内での「生活改善」の動き、特に実態を見てきたわけですが、どうも私が対象としているそれはもっと全国レベル、歴史レベルで物事を見なければいけないことに気付きまして、今度は視野を広く持って取り組もうと考えています。
 
 これからも精進して研究に励んでいきたいとおもいますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

2010年5月31日月曜日

「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開」と民俗

 昨今、「民俗学とは何ぞ」という超大な質問に自分なりの解答を示してきましたが、今回はその問題に直面している私の論文「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開」についてお話したいと思います。

 タイトルからして「ザ・社会学or生活学or家政学」っと思う方もおられるでしょう。
 その答え、間違っていないですよ。私としてもこの研究は上記の社会科学の分野からの学際的研究として行おうとしているわけですから。まぁ、どちらでもいいと言えばいいです。ですが、私は民俗学者として研究員として民俗学を学ぶ大学にいます。ですので、立場をちょっと明確にした方がいいのじゃないかと思うわけです。そのことを指導教授に指摘されたとき。「これは民俗学じゃないね」と言われやはりショックを受けました。当然といえば当然の反応です。その時発表したのは地域保健活動の動向のみだったわけですから…これを聞く限りではだれも「民俗学」とはおもわないでしょうね。
 そこで、私なりに考えてみたわけです。「民俗学」を時間的空間的なものにおける暮しうる社会とするのであれば、地域生活の変遷過程における「他者」(私の場合は地域保健活動もしくはそれを率先した保健婦)の介入も考えるべきなのではないでしょうか。これまでは地域保健活動の動向に熱を入れていましたが、それだけではなく地域社会にそれがどのように介入していったのかという時系列的な介入過程を示すことで、それなりに民俗学としてなりうるのではないかと思うわけです。
 簡単にいえば、「地域の生活への介入」それをなした人物と住民との関係性を見ることにあります。目的としての地域保健活動の展開もさながら、保健婦(「他者」)と地域住民との関係を描くことでよりリアルにそれを描くことができるのです。まぁ付け焼刃といえばそうかもしれませんが、私としては本気でこれを信じています。まずこれを教授に提案してみて、意見を得たいと思います。

2010年5月29日土曜日

「民俗学」って何を持って「民俗学」となりうるのか?

 昨日、大学院の講義にて「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開ー行政、地域住民参画型事業の活動実態についてー」というタイトルで発表しました。内容について簡単に述べますと、昭和30年代から50年代にかけて兵庫県宍粟市千種町という町で地域住民の健康を理由に、直接的ないし間接的に関与しようとした活動がありました。その活動を地域保健活動と総称していいます。この研究の原点たるものは、地域生活の変遷過程において行政もしくは地域住民などの介入者がどのように動き、どういった目的を持ってそれを動かしたのかを追及することにあります。
 
 まぁ、タイトルから見れば「民俗学か?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょうが…昨日の発表でも指導教官より率直に言って「民俗学とは言えない」といわれる始末でした。確かに、発表では行政関連のことばかり申しており、地域住民側の意図などを述べていなかったこともあり、論自体が研究の原点から離れたものとなってしまったことが最大の原因であると考えます。
 しかしながら、指導教官はそういった研究の原点部分に問題を求めているのではなく、テーマそのものに原因を求め、そこに「民俗学」としての意味を見いだせないと仰っておられました。

 では「民俗学って何を持って民俗学となりうるのか?」

 そもそも「民俗学」って何という時点で、私は民俗学者として不適格な存在となりうるのですが、そこは反論しないでいただきたいと思います。私は私なりに「民俗学」の考え方を踏襲していると思います。しかし、一般的に「民俗学」と定義する場合、どうもその人それぞれで定義が異なり、一定の言葉の羅列はあっても、確固たる文面での定義がないのが問題です。そこで再び戻るのですが、「民俗学」って何?と問うた時点で民俗学者ではないというのは、ちょっとおかしい感じがします。民俗学者に限らず学者は、自分の学問が何たるものか自分の位置はどこにあるのかというものを求めて研究するものであって、初めからわかっているのであればこの学問の思考する意義はなくなります。そもそも学問は批判から生じるものであって、肯定から生じるものではないものですから。

 しかしながら、こうした考え方をしても、何が「民俗学」なのかといった疑問には答えていません。そこで私なりの民俗学の定義みたいなものを出したいと思います。
 私が思うに「時間的空間的な時点もしくは経過における人々が暮らしうる社会の仕組みもしくは知恵」が「民俗」であって「それを客観的ないし主観的にとらえ、暮しうる社会の平面もしくは側面をとらえ立体的に描くことができる学問」が「民俗学」ではないかと思うのです。ここでの「暮しうる社会」というのは短絡的に考えると「生活」という言葉に置き換えることができますが、私としては「セイカツ」と片仮名書きにしたいものです。その理由としてそれは単に個体としての人間の生産活動を意味しているのではなく、複数の人間がかかわる社会における活動も含まれることを意味しての「セイカツ」です。ですから一般に言う「生活」と「社会」をミックスしたものが「暮しうる社会」であり、それをとらえることが「民俗学」なのではないでしょうか。

 じゃあ、私の研究はどうして「民俗学とは言えない」のか?という疑問がわきます。私がやっているのは地域生活の変遷過程、つまり時間的経過における複数の人間の関与、社会的関与ですので、先ほどの定義からいえば、あまり離れていないように思います。
 では、今後、私の研究は「民俗学」としてどうやっていくべきなのでしょうか。確かに社会的(公的)な立場から考えれば「民俗学」とは言えないといわれ続けるでしょう。しかし、定義自体があいまいなうえ学問構築が不安定なこの学問において、何を持って民俗学となすのかという疑問は正直不必要な疑問ではないでしょうか。個々の研究者が自分なりの「民俗学」を築いているからこそ、今があると同様に、「相手に対し自分の土壌で戦え」というような視差を求めるのは無謀です。よって、この「民俗学」って何を持って「民俗学」となりうるのか?そんなものは破棄すべき問題なのではないでしょうか。

2010年5月26日水曜日

民俗学における生活変化と行政介入

 こんばんは。かなりの確率でひきこもっております御京楓です。さて、この度は皆さんにご報告とそして質問したいことがあり登場いたしました。
 といっても、これは日本民俗学においても大きな問題となるのでそれも踏まえて呼んでいただければ幸いです。
 さて、1点目。報告。今年度の日本民俗学会で皆さんにお会いできるかもしれません。それも発表者として。まぁ、このブログをご覧の方は私の研究が何なのかはご存じでしょうが、少し違う視点から発表したいと思っておりますゆえ、もしご参加される方は是非とも身に来ていただきたいと思います。発表内容はまた近くなったら発表いたします。ヒントは…そうですね「保健婦」とだけ申しておきましょうか。
 続きまして2点目。質問。民俗学の研究をなされている皆さんであればお気づきかと思いますが、民俗学にとって行政をどう位置付けるかという部分についてご意見を伺いたいのです。従来、地域で民俗の採取を行っておりますと行政の介入がよく耳にします。しかしながら、民俗誌などを呼んでいても、その村落の村政部分において若干の報告が見られますが、それほど重要視されていないと思われます。私は兵庫県の山村部で昭和30年代以降の生活の変化について調べておりますが、どうしてもこの行政の介入なしには語れない部分が多くあります。にもかかわらず、従来の民俗学においての研究が乏しく、なかなかその位置づけが難しいものとなっております。そこで皆さんに質問したいのですが、民俗調査などで民俗対象に行政の介入が見られた場合、どのように「説明」「解釈」していますか?

何卒ご意見いただきますようお願い申し上げます。

2010年5月3日月曜日

研究の方向性と奥行きの点検

 久々の投稿となります。大学の研究員になって二年目が始まりました。相変わらず、大学院の授業(民俗学)にもぐりこませていただいています。この授業はいつも人気があるのか?なぜか人が多いので不思議です。まぁそれは置いておいたとしても他分野の方々が集うので私としてはいろんな意見が聞けて面白い場となることを願っています。
 さて、今週の金曜日から個別発表がはじまるのですが、私にも当然順番が回ってくるのでそれなりの研究の進展や方向性、論の奥行きなどをチェックしなくてはいけません。毎日少しずつではありますが、論文が読めるようになってきたので(ここ最近は病気の症状もあってか論文から離れて生活していました)、ちょっと振り返りをしてみたいと思います。

 私の研究は「地域(住民)運動」からわかる地域生活の推移です。以前はこれとは違った言葉で表していたかと思いますが、「生活改善」もいわば「地域運動」にあたりますし、広い意味での社会における運動をターゲットとしています。でも広すぎるのではないかと思われるかもしれませんが、一応私の場合は地域社会という限定した空間内、時間内における地域運動の動きとそれに伴う変化を求めることが視点ですので、この場合の社会というのはある限定条件下における地域社会のことを指します。この研究における民俗学内での位置というものを考えてみたのですが、それ以前に民俗学での地域運動へのアプローチはあまり少ないように思います。民俗誌で村制の欄に地域社会の「組織」について触れられているところで記されることはあっても、それがどのように生じどのように活動したのかというものはありません。ですが、地域社会における生活の推移を追ううえで、地域の社会組織がいかに作用したかを見つめることはその生活を具体的に記すことにつながるのではないでしょうか。これは私見の限りでのものではありますが、皆さんもお気づきのことと存じます。
 さて、そうした中でこの研究をいかに具体的なものかに高めるためには、地域組織の動きもさながらそれに影響与えた事象についても触れなくてはなりません。例えば、地域の保健活動においてAという組織が立ち上がったとします。それにはBという行政のかかわりが重要となってくることが考えられますのでこのBの動向についても調べなくてはいけません。私の研究においてはAの部分の調査及び研究は進んでいました。しかしながら、Bつまり地域運動にかかわった側についての研究はまだできていないのが現状です。そこで、昨年よりこの地域運動にかかわった側の方々について調べることに成功しまして、現在それの整理中です。まぁ、今のところはこれぐらいですかね。今後発展があればこのブログで報告させていただきます。

2009年11月11日水曜日

夢で終わる研究など研究じゃない!!

 研究者として少し思うのですが、

我々(人文系)の研究は果たして何の役に立つのだろうか?

 私は民俗学の論文の従来の研究において、現代社会に貢献した論文を少ししか見たことがありません。私の師や諸先輩方の論文は特にその社会貢献度の高いものとなっています。

 そこで私もその一員となりたいと以前より思っていまして、「果たして自分の研究はどこまで社会に貢献できるのだろうか」ということをいつも胸においてきました。そこでめぐりついたのが、地域活性化という社会貢献の一つです。

 私の研究は地域の生活の変遷過程における地域保健活動(「生活改善」)の実態です。そこから導き出されるのは、昭和30年代から50年代にかけての地域社会における「健康」の意義と地域行政ならびに地域住民による参画型の活動実態です。簡単にいえばこうなるのですが、詳しく話していくと話が長くなるのでここでは「地域参画型の社会構造」の再認識ができ、「地域保健活動や地域社会事業には行政住民双方の働きかけが必要であること」がこの研究からはうかがい知ることができるのです。

 一方、現実の地域差焼きに目を落としてみると、現在地域行政の事業一つにしても地域住民が関わる事業はあまりにも少ない、地域行政が何をしているのかは紙面上で知る以外にはない。保健事業にしても地域検診で関わることはあっても、その情報がどのように活用され地域全体としてどう見られているのかといった全体的なことが見えてこないのが現状です。そうなれば、地域行政と地域住民との溝は大きくなる一方で、あまりに地域事業への見直しができていないのではないかと思うのです。

 そこで、私の研究はどうでしょうか。「地域参画型の社会構造」の再認識、地域保健活動による地域行政住民双方参画型社会を目指したものですが、ここでのキーワードは「参画型社会」ということです。地域活性化においてこの「参画型社会」は大変重要なことであると思います。「参画型社会」は上記のような問題を解決することができると信じています。

 私の行っている研究は確かに地域保健活動における参画型社会の実態ではありますが、これは応用可能で、さまざまな事業に使えるものであると考えています。

つまり、

夢で終わる研究など研究ではなく、社会貢献してはじめて研究といえるのではないか!!

ということです。