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2010年5月31日月曜日

「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開」と民俗

 昨今、「民俗学とは何ぞ」という超大な質問に自分なりの解答を示してきましたが、今回はその問題に直面している私の論文「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開」についてお話したいと思います。

 タイトルからして「ザ・社会学or生活学or家政学」っと思う方もおられるでしょう。
 その答え、間違っていないですよ。私としてもこの研究は上記の社会科学の分野からの学際的研究として行おうとしているわけですから。まぁ、どちらでもいいと言えばいいです。ですが、私は民俗学者として研究員として民俗学を学ぶ大学にいます。ですので、立場をちょっと明確にした方がいいのじゃないかと思うわけです。そのことを指導教授に指摘されたとき。「これは民俗学じゃないね」と言われやはりショックを受けました。当然といえば当然の反応です。その時発表したのは地域保健活動の動向のみだったわけですから…これを聞く限りではだれも「民俗学」とはおもわないでしょうね。
 そこで、私なりに考えてみたわけです。「民俗学」を時間的空間的なものにおける暮しうる社会とするのであれば、地域生活の変遷過程における「他者」(私の場合は地域保健活動もしくはそれを率先した保健婦)の介入も考えるべきなのではないでしょうか。これまでは地域保健活動の動向に熱を入れていましたが、それだけではなく地域社会にそれがどのように介入していったのかという時系列的な介入過程を示すことで、それなりに民俗学としてなりうるのではないかと思うわけです。
 簡単にいえば、「地域の生活への介入」それをなした人物と住民との関係性を見ることにあります。目的としての地域保健活動の展開もさながら、保健婦(「他者」)と地域住民との関係を描くことでよりリアルにそれを描くことができるのです。まぁ付け焼刃といえばそうかもしれませんが、私としては本気でこれを信じています。まずこれを教授に提案してみて、意見を得たいと思います。

2010年5月29日土曜日

「民俗学」って何を持って「民俗学」となりうるのか?

 昨日、大学院の講義にて「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開ー行政、地域住民参画型事業の活動実態についてー」というタイトルで発表しました。内容について簡単に述べますと、昭和30年代から50年代にかけて兵庫県宍粟市千種町という町で地域住民の健康を理由に、直接的ないし間接的に関与しようとした活動がありました。その活動を地域保健活動と総称していいます。この研究の原点たるものは、地域生活の変遷過程において行政もしくは地域住民などの介入者がどのように動き、どういった目的を持ってそれを動かしたのかを追及することにあります。
 
 まぁ、タイトルから見れば「民俗学か?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょうが…昨日の発表でも指導教官より率直に言って「民俗学とは言えない」といわれる始末でした。確かに、発表では行政関連のことばかり申しており、地域住民側の意図などを述べていなかったこともあり、論自体が研究の原点から離れたものとなってしまったことが最大の原因であると考えます。
 しかしながら、指導教官はそういった研究の原点部分に問題を求めているのではなく、テーマそのものに原因を求め、そこに「民俗学」としての意味を見いだせないと仰っておられました。

 では「民俗学って何を持って民俗学となりうるのか?」

 そもそも「民俗学」って何という時点で、私は民俗学者として不適格な存在となりうるのですが、そこは反論しないでいただきたいと思います。私は私なりに「民俗学」の考え方を踏襲していると思います。しかし、一般的に「民俗学」と定義する場合、どうもその人それぞれで定義が異なり、一定の言葉の羅列はあっても、確固たる文面での定義がないのが問題です。そこで再び戻るのですが、「民俗学」って何?と問うた時点で民俗学者ではないというのは、ちょっとおかしい感じがします。民俗学者に限らず学者は、自分の学問が何たるものか自分の位置はどこにあるのかというものを求めて研究するものであって、初めからわかっているのであればこの学問の思考する意義はなくなります。そもそも学問は批判から生じるものであって、肯定から生じるものではないものですから。

 しかしながら、こうした考え方をしても、何が「民俗学」なのかといった疑問には答えていません。そこで私なりの民俗学の定義みたいなものを出したいと思います。
 私が思うに「時間的空間的な時点もしくは経過における人々が暮らしうる社会の仕組みもしくは知恵」が「民俗」であって「それを客観的ないし主観的にとらえ、暮しうる社会の平面もしくは側面をとらえ立体的に描くことができる学問」が「民俗学」ではないかと思うのです。ここでの「暮しうる社会」というのは短絡的に考えると「生活」という言葉に置き換えることができますが、私としては「セイカツ」と片仮名書きにしたいものです。その理由としてそれは単に個体としての人間の生産活動を意味しているのではなく、複数の人間がかかわる社会における活動も含まれることを意味しての「セイカツ」です。ですから一般に言う「生活」と「社会」をミックスしたものが「暮しうる社会」であり、それをとらえることが「民俗学」なのではないでしょうか。

 じゃあ、私の研究はどうして「民俗学とは言えない」のか?という疑問がわきます。私がやっているのは地域生活の変遷過程、つまり時間的経過における複数の人間の関与、社会的関与ですので、先ほどの定義からいえば、あまり離れていないように思います。
 では、今後、私の研究は「民俗学」としてどうやっていくべきなのでしょうか。確かに社会的(公的)な立場から考えれば「民俗学」とは言えないといわれ続けるでしょう。しかし、定義自体があいまいなうえ学問構築が不安定なこの学問において、何を持って民俗学となすのかという疑問は正直不必要な疑問ではないでしょうか。個々の研究者が自分なりの「民俗学」を築いているからこそ、今があると同様に、「相手に対し自分の土壌で戦え」というような視差を求めるのは無謀です。よって、この「民俗学」って何を持って「民俗学」となりうるのか?そんなものは破棄すべき問題なのではないでしょうか。

2010年5月26日水曜日

民俗学における生活変化と行政介入

 こんばんは。かなりの確率でひきこもっております御京楓です。さて、この度は皆さんにご報告とそして質問したいことがあり登場いたしました。
 といっても、これは日本民俗学においても大きな問題となるのでそれも踏まえて呼んでいただければ幸いです。
 さて、1点目。報告。今年度の日本民俗学会で皆さんにお会いできるかもしれません。それも発表者として。まぁ、このブログをご覧の方は私の研究が何なのかはご存じでしょうが、少し違う視点から発表したいと思っておりますゆえ、もしご参加される方は是非とも身に来ていただきたいと思います。発表内容はまた近くなったら発表いたします。ヒントは…そうですね「保健婦」とだけ申しておきましょうか。
 続きまして2点目。質問。民俗学の研究をなされている皆さんであればお気づきかと思いますが、民俗学にとって行政をどう位置付けるかという部分についてご意見を伺いたいのです。従来、地域で民俗の採取を行っておりますと行政の介入がよく耳にします。しかしながら、民俗誌などを呼んでいても、その村落の村政部分において若干の報告が見られますが、それほど重要視されていないと思われます。私は兵庫県の山村部で昭和30年代以降の生活の変化について調べておりますが、どうしてもこの行政の介入なしには語れない部分が多くあります。にもかかわらず、従来の民俗学においての研究が乏しく、なかなかその位置づけが難しいものとなっております。そこで皆さんに質問したいのですが、民俗調査などで民俗対象に行政の介入が見られた場合、どのように「説明」「解釈」していますか?

何卒ご意見いただきますようお願い申し上げます。

2010年5月3日月曜日

研究の方向性と奥行きの点検

 久々の投稿となります。大学の研究員になって二年目が始まりました。相変わらず、大学院の授業(民俗学)にもぐりこませていただいています。この授業はいつも人気があるのか?なぜか人が多いので不思議です。まぁそれは置いておいたとしても他分野の方々が集うので私としてはいろんな意見が聞けて面白い場となることを願っています。
 さて、今週の金曜日から個別発表がはじまるのですが、私にも当然順番が回ってくるのでそれなりの研究の進展や方向性、論の奥行きなどをチェックしなくてはいけません。毎日少しずつではありますが、論文が読めるようになってきたので(ここ最近は病気の症状もあってか論文から離れて生活していました)、ちょっと振り返りをしてみたいと思います。

 私の研究は「地域(住民)運動」からわかる地域生活の推移です。以前はこれとは違った言葉で表していたかと思いますが、「生活改善」もいわば「地域運動」にあたりますし、広い意味での社会における運動をターゲットとしています。でも広すぎるのではないかと思われるかもしれませんが、一応私の場合は地域社会という限定した空間内、時間内における地域運動の動きとそれに伴う変化を求めることが視点ですので、この場合の社会というのはある限定条件下における地域社会のことを指します。この研究における民俗学内での位置というものを考えてみたのですが、それ以前に民俗学での地域運動へのアプローチはあまり少ないように思います。民俗誌で村制の欄に地域社会の「組織」について触れられているところで記されることはあっても、それがどのように生じどのように活動したのかというものはありません。ですが、地域社会における生活の推移を追ううえで、地域の社会組織がいかに作用したかを見つめることはその生活を具体的に記すことにつながるのではないでしょうか。これは私見の限りでのものではありますが、皆さんもお気づきのことと存じます。
 さて、そうした中でこの研究をいかに具体的なものかに高めるためには、地域組織の動きもさながらそれに影響与えた事象についても触れなくてはなりません。例えば、地域の保健活動においてAという組織が立ち上がったとします。それにはBという行政のかかわりが重要となってくることが考えられますのでこのBの動向についても調べなくてはいけません。私の研究においてはAの部分の調査及び研究は進んでいました。しかしながら、Bつまり地域運動にかかわった側についての研究はまだできていないのが現状です。そこで、昨年よりこの地域運動にかかわった側の方々について調べることに成功しまして、現在それの整理中です。まぁ、今のところはこれぐらいですかね。今後発展があればこのブログで報告させていただきます。