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2011年9月12日月曜日

2011年度研究計画書

こんばんは。

2011年初めての更新です。ご無沙汰しております。

長々とお待たせして申し訳ございませんでした。



研究題目:

戦後の「生活改善」が果たした地域生活での役割

-保健衛生面の諸改善をめぐる社会事情と地域-



研究内容:

 本研究は、戦前・戦後にわたり人々の生活の「近代化」「合理化」を目的に、政府行政、各種啓蒙団体、地域組織等が行った「生活改善」と呼ばれる活動の概論を述べることと、それらが地域社会に果たした役割を位置付けるものである。「生活改善」という言葉に対する定義は未だ整理がされていないが、仮に定義するとなれば以下のようになる。生活の「合理化」や「近代化」といった従来の生活規範から脱却した新しい生活規範のモデルを構築するため、さらにはそれを普及するために行われた社会活動である。「生活改善」は戦前から現在に至るまで数多くの団体が行い、その時代その場所で活動の目的が異なりその当時の政治、社会を持って語られることが多い。従来の研究では戦前戦後の活動を通じて教育学、生活学、経済学、社会学、歴史学、民俗学といった諸科学によって様々な角度から各団体の理念、活動、その時代背景などが浮き彫りにされてきた。しかしながら、これらの研究は各種団体個々の分析に留まることが多く、その団体ではなく「活動」(1)、地域での「実働」(2)という点についてはあまり研究が進んでいない。また、地域においてもこれがどのような背景のもとに受容されそして活動を促進してきたのかについての分析も進んでいない。さらに、民俗学の研究に至っては、改善前後の民俗の変容の諸相のみを取り上げ、民俗がいかに変わったのか、また変わらなかったのかを理由づける一つの要因として扱ってきた。しかし、そうした変容の諸相といった側面だけでなくそこに関連してくる改善活動自体にも目を向けなくてはならないのではないか。特に民俗生活に大きな変容を「意図的」に行おうとした活動であり、人々が暮らしうる民俗社会においてそれを受容した拒否したに限らずその諸相を取り上げることは重要なのではないか。活動は単に政府行政だけでなく、婦人会や青年団といった男女問わず多くの担い手によって支えられてきた。社会的側面から見てもこれほど広く地域を巻き込んだ事象はあまり見られない。さらに言えば、この活動自体も直接的ないし間接的にあれ、人々の生活そのものを「改善」という形で変えようと働きかけ、人々はそれを享受した背景があることからも民俗生活で果たした役割は大きい。こうした方面から「生活改善」を正しく捉え直し、その位置付けを再検討することは、社会を取り巻く諸相とその事象との関連性を見る中でも重要ではないか。本研究はそういった民俗学で見落とされてきた「生活改善」との地域生活の具体像を明らかにする。

これまで、私自身、幾度かこれらの分析を試みてきた。兵庫県宍粟市千種町というフィールドのもとで、「生活改善」と呼ばれた地域保健活動やいずみ会活動などの衛生に関わる「活動」の分析し、それがいかにして地域に定着、どう普及してきたのかを、官側である保健婦と民側であるいずみ会の双方から見定めた。いずれも一様にその時代その地域の諸事情により誘発され活動を展開したことが分かった。双方同じく「衛生上の悪化」から派生しており、官はそれに「脅威を感じ」行政的に「取り除き」「宍粟郡下における衛生行政の立場を向上」させようとし、民はそれに「恐れを抱き」自分達の生活を「(衛生的に)改め直そう」とした。そうした双方の思惑が重なり、それぞれの活動で結果的にひとつの「生活改善」として形成されたことを述べてきた。この論は地域の実際の動きが重層的であること、地域の状況によってそれが構築されているということの二点が判明した。しかしながら、論中では活動の歴史的、社会的背景についてはあまり触れられなかった。「衛生の悪化」という理由をそれぞれが「脅威」「恐れ」と感じ、それを「改善」せざるを得なかった背景にはどういう事情があったのかも含めて見ることによってより地域の「生活改善」の諸相が見渡せるのではないか。単に「恐れ」から台所や住宅、さらには食生活自体に至るまで「改善」、「変化」させようとしたのではない。そこには衛生的脅威を取り巻く様々な要因が考えられないだろうか。社会的背景や位置付けなどを見るだけなら従来の団体における「思想」という言葉でも仮に説明はできるが、それは現地の「実働」とは違う。「実働」はその場その時で変わり、その活動を行った側受け入れた側相互間のやり取りなしには語れない。つまり、この「生活改善」を取り巻く事情は、単に地域だけ社会だけを取り出して活動の外郭を語ることは限界があり、もっと俯瞰した立場で考えないといけない。そこで、本研究では「生活改善」の具体的な諸相を地域から見るという点、加えて活動の背景にどのような社会事情があったのかという点、「生活改善」を取り巻く地域、社会の双方から考えてみたい。具体的には、戦後から高度経済成長期を中心に、地域で起こった保健衛生上の「生活改善」と呼ばれる活動、衛生改善、台所改善などを取り上げながら地域の諸相を描き、一方で衛生行政や保健衛生事業、さらに衛生思想の流布と啓蒙といった同時代の社会事情も含めて論じたい。

戦後という時期に設定するのは、この時期「生活改善」と呼ばれた活動が戦前のそれに比べてより具体的諸政策として展開したためである。特に農林省、厚生省、文部省関連の動きは活発であり、この政府諸団体の活動によって戦後の「生活改善」の外延が語れると言っても過言ではない。但し、この「生活改善」は全て各政府諸団体によって執り行われたものではなく、「生活改善」を標榜する団体、婦人会、青年団によっても担われている。また政府によるそれは、地域社会においてそのまま励行されたかというとそうでもない、各地域の事情によりその地域での活動が規定され執り行われたとされる。その為、「生活改善」には二つのファクターがある。一つは政府の掲げるもの、もう一つは地域社会が欲するものである。官民双方の歩み寄りによって、「生活改善」は地域生活に受容される。そういった、「生活改善」の重層的な位置付けは、戦前戦中ではあまり見られない。但しこれは、現状の資料的制約や社会分析に傾倒した研究に問題があり、戦前戦中期の「実働」ははっきりしないことに由来する。しかし、そうした研究の問題を抜いても、戦前戦中のそれはスローガンやイデオロギーによって構築されたもので、上からの一方的な活動でしかなく、地域側の生活実態に直接結びついていたかというとそうでもない。ところが、戦後の「生活改善」は実質的な部分においてスローガンだけに依拠せず、地域生活に根差すにはどうするべきかといった実行に重きを置いている節がある。つまり、戦前戦中期のそれに比べて具体的事象として地域生活に見ることが可能である。また、対象期間を高度経済成長期としているのは、この期間に最も盛んに「生活改善」が執り行われたことに依拠する。戦後のそれは特に農山漁村を中心に活動を行っており、都市部から離れた農村部の生活の「近代化」「合理化」を目指している。これは当時の政府行政の政策自体が、戦後の食糧増産などを主目的に、農村部の疲弊した生活の立て直しを図ったことによるもので、特に衣食住や社会生活面での「規範」「規律」を「正し」「改め」農村生活の質的向上を目指したことによる。その政策が地域で執り行われたのが戦後から高度経済成長期を中心とする期間に相当し活動の隆盛を極めている。

本研究で取上げる「生活改善」は、数多くある活動の中でも、生活にダイレクトに影響を与え、且つ自分達の生活に「善い」ものとして積極的に受け入れられていった保健衛生に関する活動である。主として、保健医療をはじめ公衆衛生に関する活動も含む広い領域にわたるが、本研究では公衆衛生活動を中心としてそれを描いていこうと考える。こうした公衆衛生活動に関する「生活改善」からの切り口は先行研究からはあまり見受けられない。そもそもこの活動を「生活改善」と位置付けることがあまりなかったことにも由来するが、その内容を再検討してみると「生活改善」と密接につながりは深く、例えば便所の改善、台所改善、住宅改善の活動の発端となるのはやはり衛生上の理由からということが多い。そういった意味においても、この保健衛生に関する活動を見ていくことが重要であろう。

現時点においては、対象とする事象についてははっきりしているものの、具体的な地域については未検討である。千種町の地域保健活動やいずみ会活動についてこれまで分析し整理してきたが社会全体を見るとなるとこの事例のみで語るのは一地域に傾倒してしまう危険性もあり、もっと広く、農山漁村さらには都市の事例も分析整理する必要性がある。ただ、これには時間がかかり、全て追跡分析することは一年間では難しく、地域の事例収集分析だけでなく社会事象の整理分析も必要である。そこで今回は千種町の次なる調査地を探すに加え、この取り組みの第一段階として保健衛生関係の「生活改善」の整理と位置付けを試みることとしたい。内容が近現代史、特に政治史、文化史に依拠する部分も多少多くあるが、現存する活字資料や写真資料などを用いて村落生活上の事象に対しどのような言説を持って「改善」しようとしたのか、何がそれを駆り立てたのかを見る必要がある。その上で次なるステップとしてそれを人々はどう受容したのかといった「実働」としての地域社会における活動を捉え民俗学的なアプローチを検討したい。

予定としては、第一に保健衛生の改善の周縁に着目したい。具体的には関係する各種団体の理念や政治性についての諸相とそれをとりまく法規の策定を対象に整理し、この改善活動に対する政治的ないし歴史的経緯を明確にしたい。使用する資料は多種多様であるが、厚生省、文部省、農林省のこれに関わる法規類、関係団体による機関紙の分析を試みる。だがあくまでこれは団体個々を取り上げるのではなく、「活動」を取り上げるのであって、各団体個別の羅列的分析、理念の分類に終始するのではない。歴史的経過と関係性の俯瞰のもとにそれぞれの動きを捉えるという意味で団体を固定せず、時間軸と関係軸との上におき分析を試みる。但し、これには戦前や戦中期の改善にも関連するので、「生活改善」がどのような時代にどのような言説を持ってどのように取り組んできたのかを概観として表すこととする。第二に、戦後から高度経済成長期の社会的諸相を並行して提示してみたいと考える。各省庁や各種啓蒙団体が活動に踏み切るのはなにも法令や条例、政策や思想理念に基づくものばかりではない。どこかで当時の社会風潮における己の立場を確立しているであろうし、時代諸相に似合った活動を展開していくのであれば、単に政治的な流れのみで語られることではない。そこで、当時の社会諸相においてそれらがどのような関係を見せていったのかを同時に整理する必要性がある。現時点では公衆衛生に関する催し物、特に戦後しばらくの間行われた衛生展覧会(博覧会)、戦前戦中期から続くラジオ体操、戦後広まっていった健康優良児表彰などなどのメディアイベントにも着目していきたい。第三には、具体的な事例をもとに保健衛生に関する「生活改善」がどのようにして地域で実際に行われていたのかという部分に着目したい。実際にどのような形で「生活改善」を行っていたのかということを念頭に、現地で実際に活動を支えた婦人会組織等の活動を見ていきたい。さらに、ここでは婦人会の動きを見る一方で、政府行政や啓蒙諸団体がどのようにこれと接触をもち、婦人会がどのようにそれを受け取って行ったのかも含め考えてみたい。その上で、第四に第一から第二での政治、社会の中、第三で説明した実際の動きがどうリンクするのかを分析してみたいと考える。つまり、時代諸相と実際の動きを照らし合わせることで、人々が何を望み、それをどういった形で取り入れていったのかという住民の部分、さらにそうした活動をどのように定義し且つ実行しようとしていたのかという社会の部分の突き合わせを試みたいというものである。総じて本研究の行きつく先は、保健衛生面という限られた部分ではあるが、その「生活改善」の歴史的位置付けと社会的役割、さらにその実態と受容関係に見る誤差などを検証し、活動がどのように人々に行きわたり、どのようなかたちで人々の心をつかんでいったのかを考えるものとしたい。



注釈

1…従来の研究では団体個々の動きとして活動を位置付けてきたが、本研究においては団体個々の分析を行うのではなく、地域に視点を置き総合的に見た「行為」という意味で用いたい。例えば農林省の生活改善普及事業内での人の動きではなく、ある地域で行われた現象としてある台所改善などの動きである。本研究においては保健衛生に関する改善がこの「活動」に当たる。

2…実際の地域での働き。活動とすると総合的に捉えることになるので、そうではなく空間内、時間と場所において規定される動きを指すこととする。