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2012年11月26日月曜日

民俗学で保健婦を考えるということ。

 朝から失礼しますね。保健婦活動について、『生活教育』の「保健婦手記」や、出版されている保健婦に関する記録類をみていて少し思ったこと。

 保健婦という職業は、医学的、衛生学的な視点からの生活指導を主たる目的にはしているが、実際地域での活動をみてみると、単にそれだけではなく、生活学的、教育学的な視点からの生活に根差した指導も行っている。また、指導といっても上から下への命令的な指導ではなく、地域の事情を踏まえ、その上での活動を展開している。つまり、地域住民にとって近しい関係にあり、それでいて専門性を有していることになる。さらに加えるならば、保健婦はその職業としてのそれだけにあたるのでは、地域住民との信頼関係を築けないため、同じ目線に立って考えることをしている。いうなれば、職業としての「保健婦」ではなく、もっと人間性としての「保健婦」がそこにあるのではないかと思う。

 保健婦に関する民俗学での研究は、直接的なものとしてはあまりなく、近年出版された木村哲也氏の『駐在保健婦の時代』が最新のものであろう。木村氏は、著書の中で高知県の駐在保健婦について触れ、彼女らの活動がどのように展開し、どう位置付けられていったのかという部分について詳しく論じられており、これまであまりみられなかった保健婦の総体としてどのような経緯を戦前戦中戦後とたどってきたのかを明らかいにしている。保健婦というものがどのようなものであるのか、はたまたそれがどのように歴史的に位置付けられるのかという点において、木村氏の著書は素晴らしい内容である。木村氏のほかに、このような保健婦を扱う研究は今のところない。助産婦のことについては、出産の変遷の場で論じられることはあっても、保健婦はそうした論じられ方はしない。しかしながら、出産の場にしても保健婦の存在というのはかなり大きい位置を占めている。母子保健に関わる活動には、助産婦だけでなく看護婦、そして保健婦も深くかかわりを持っている。つまり、出産一つにとっても保健婦の位置付けというのはかなり大きいはずだ。にもかかわらず、これまで民俗学では保健婦ということにつて触れてこなかった。これはどういった意味があるのだろうか。現時点ではあまり資料がなく、どういう意図でこれを避けてきたのかはわかっていない。産婆や助産婦の役割が前面に出て、保健婦の活動についてはあまり表だって出てこないのではないだろうか。但し、こうしたことは誤りであって、保健婦活動は母子保健という立場に立てば、産婆や助産婦よりも、母と子に対してかなり密に連絡を取り、妊娠前後から出産後にいたって、子どもの成長などを見届けるなど、かなり長いスパンにわたり関与している。このことを思えば、助産婦などが一時の活動であるのに対し、継続的な関与として保健婦が位置付けられる。このことを今一度見直す必要性があるのではないか。また、母子保健に関わらず、保健婦活動は多岐にわたり、健康、衛生の教育普及に始まり、身の上相談的なものもこなす。ある意味地域のアドバイザーとしての側面が強い。彼女らを地域の中でとらえることは、地域生活の機微をとらえることにもつながるし、保健婦と住民との関係性をみるなかで、生活変化の考え方の一過程をみることができる。つまり、保健婦という存在は地域の民俗において、多大な影響を持っており、その活動の隅々をみることにより、地域生活の変遷過程を細かく見ていくことができるのではないかと思うのである。

 民俗学での保健婦の取り扱いについて述べてみたが、これは試論であり、まだまだ分析する部分は多いと思う。生活の部分だけではない。保健婦が及ぼしたのは精神的な部分においてもそうである。健康観や死生観などそうした生活を規定しうるものにさえ、彼女らの影響がみられる。分析の仕方、研究の切り口でいえばまだまだ未開拓地である。このことを踏まえ、民俗学における保健婦の位置付けを今後も考えていきたい。

 また、これは私の持論ではあるが、保健婦の活動をとらえることを、単にその職業性をもって、専門性を持ってとらえようとは思わない。どちらかというと彼女らが、地域住民と具体的にどう接し、どういう感情を用いたのかという人間性という部分において、彼女らの活動をみていくことにしたい。というのも、助産婦にしろ産婆にしろ、その専門家的な位置づけがされてはいるものの、彼女らが地域でその専門性以外にどう付き合ってきたのかということはこれまでの研究で明らかにされていない。保健婦も同じくその方面が強い。そうした意味においても、彼女らの住民との接し方をもう少し具体的に見つめ、単に活動を追うのではなく、彼女らの人間としての動きを立体的にとらえ、それを地域社会でどう位置付けるのかを問うてみたい。

 具体的にどのような方法論で行うのか、どのような資料を持って述べていくのかについてだが、私はこれまで述べてきたように『生活教育』にあるような「保健婦手記」での記述を、その資料として用いたいと考える。『生活教育』で述べられる「保健婦手記」は、保健婦の経験を内外的に示す役割を担っていた。この投稿をみていく中で、保健婦がどのような苦境に立たされ、そのたびにどういう判断をし、どう切り抜けていったのかというような事の顛末が記されている。この記述には、単に活動の内容だけでなく、保健婦がどのように地域住民と接し話していたのか、また地域住民がどのようにそれに応答していたのかといった具体的な経緯を知ることが可能である。つまり、「保健婦手記」をみることにより、保健婦の内面、そして地域での受容をみていくことにもつながるのである。但し、問題はある。『生活教育』という雑誌は「保健婦手記」に対して、その選考過程において文章的表現力を指導し、巧みにその記述を操作しようとしている部分が否めない。つまるところ、この文章が実際の活動であったのかという部分においては疑問が残る。保健婦がどのような過程からこの手記を描くのかという部分についても分析が必要であるし、どういう選考基準になっていたのかということも念頭に置くべきだろう。しかしながら、こうした問題点はあるにしろ、「保健婦手記」は保健婦の内情を知る上で必要不可欠な資料であり、これを読み解くことは民俗学的にも、地域の生活の変化を知りえる上で重要なことであろう。今のところ、方法論というのについては、比較をとるべきか地域の中での歴史的変遷をとるべきか悩む部分ではあるが、私は少なくとも比較するべきものではないと思っている。その保健婦個人個人が地域で行き当たった問題というのは、同じケースであってもそれは見方が異なるし、保健婦の経験知からしてもやはり違った見方があって当然である。そのような場合、比較をしたところでそれは何の意味があるのだろうか。地域比較をしたところで、どういったデータをとれるというのだろうか。それは全く保健婦の人間性とか地域での根差し方とかを無視した論になりかねない。私は、そういった意味では地域の中で彼女らが果たした役割とその活動により変わりゆく生活を見つめる方が有意義ではないかと思う。その意味も、歴史的変遷をみていく方で方法論は考えてみたい。

 以上のように、民俗学で保健婦を考えるということを書いてみたのであるが、この分析はまだまだ試行錯誤の段階であり、幅広く意見を聞きたい所存である。何か不明な点があればご指摘いただきたい。