平成26年度保健婦資料館付属研究所研究員年間研究計画書
はじめに
計画書作成にあたり昨年度の研究の反省を述べておく。昨年度の研究計画において、筆者は保健婦資料館に所蔵されている「保健婦の手記」の分析と解説をすること、また愛媛県の稲葉峯雄氏によって記された『草の根に生きる』をもとにした愛媛県南予地域の地区診断の在り方とそれが農村に与えた影響について調べること、さらに雑誌『岩手の保健』の編者であるところの大牟羅良氏をはじめ、彼とかかわり声を上げていった地域住民とのあり方とを調べるとのことであったが、それらが全て調査研究できていたかというと中途半端なものになってしまったことは否めない。
① 「保健婦の手記」の分析
「保健婦の手記」の分析、特に雑誌『生活教育』に掲載されている記事を抽出し、それを精査したうえで、具体事例として京都府の故吉田幸永保健婦の手記を取り上げながらそれを具体的にとらえてみたが、手記全体の特質と吉田氏の関わりをいかにみいだすのかということについては触れられなかった。手記は手記の分析で、吉田氏の手記については個別に扱うなどして、それぞれ別々な方向で述べるだけに至った。手記の分析はどちらかというと資料論的な分析に依拠し、『生活教育』の主張するところの性格を強調し、そこから手記はどうあるべきなのか、民俗学でどう位置付けるべきであるのかを述べたのであるが、民俗学における手記研究の在り方などを踏まえて説明できていなかった点は、研究史的に見てそれがどういう風な研究なのかということを不鮮明にしてしまった。素材としてはいいが方法論、論理的思考に問題があった。また、吉田保健婦の在り方については事例として具体的に扱って、地域とのかかわりを浮彫にはできたが、ただそれは手記と周辺資料、そして少しの証言からでしか具体的に迫れなかった。手記という主観の産物を社会という客観との連携の中で描けなかったことは大いに反省しなければならない。
② 愛媛県南予地区診断報告からの分析
愛媛県の地区診断という共同保健計画に基づいた愛媛オリジナルの地域保健活動を具体的に分析することにしてみたが、資料類の多様さ、地区診断の移り変わりにおける方向性の変質、さらに関係者各位、保健婦や地域住民らの関わり方をうまく描けたかというとそうでもない。具体的に地域を見たのは、旧広見町と旧吉田町の二つであり、また二つの中でも下大野地区(旧広見町)、増田・黒井地地区(旧吉田町)であり部分的なものである。もともと地域を割り出すという意味で始めたものではあったが、ただ筆者が調査を進める中で思ったことは、住民との関わりを論じるにはもう少し主観的に地区診断の評価を取り入れていかなければならないと思い、地区診断をただ単に地域保健活動の一つの取り組みとして見るのではなく、地域の繋がりの中で、いや個々人と医療とのつながりの中で論じなければならないと実行に移してみたのであるが、調査地区のバリエーションの多さと、地区それぞれよりも話者個人によって地区診断のとらえ方は異なり、具体的にじゃあどういう風なつながりであったのかということを問うたとき、未だに解答を得られていない。先が見えてこないというべきか、地区診断をまだ第一次として位置づけているため調査方法や研究方法などの方法論的な構築に至っていないこともあるから、これについては今年度の課題に持って行きたいと思う。
③ 『岩手の保健』の在り方
『岩手の保健』の分析については現時点では資料収集とその読解、さらに農民の声ということに焦点を絞って、岩手に限らず地域でそこに暮らす人々の声がどう扱われているのかということを周辺生活記録、生活綴方にみてきたがまだ分析が伴っていない。長期的なスパンで研究を進める必要性があるため、今年度の研究計画においては触れずにいよう。個別的に資料を読み込むことはするものの具体的に足を向けていくことはまだ早急だと考える。
以上のことから昨年度の反省に基づき次に具体的な、今年度の研究目的を立案したい。
1. 次期計画策定目標
① 計画策定にあたって
研究計画の策定にあたっては目標の設置が必要不可欠であるため、以下その目標について述べていくことにする。ただ、この目標は中長期それぞれあり、さらに最終目標としてのそれもある。そのため、一概に策定できないにしろ、ここで大まかな概要を記しておくことにする。
本研究の大きな目標は、地域、いや個人生活における生活世界がどのように構成され、さらに地域社会という集団の中でどう連携し、その上で内外的な社会変動が与えた影響を明らかにすることにある。これによりこれまで普遍的に語られ、「顔の見えない」生活に、自己主張を与え、そこから垣間見える社会との関連性を現代社会においてどのようにしてとらえなおすのかを問うものである。この研究に答えはない。結論はない。この研究が出版され、最終的に人の目にとまった時にその読者自身が過去を振り返り、考えてみることを視野に入れている。所謂実践的な研究であり、象牙の塔の如く学問の中におかれるだけの研究と位置付けたくない。具体的には地域貢献ないし地域のまちづくりにおける基礎的な資料としてこれを活用できるようなものとしておきたい。結論というのはそうした街づくりの樹上にて出されるのであって、研究者が出す結論というのはただの方向性の一つにすぎないことを強調しておきたい。
② 計画の中期目標
計画の大きな目標は社会科学的な視点での地域と個人との有機的な繋がりを求めるものであるが、ここではそれを一歩進めて中期的な目標として提示することにする。
現時点では愛媛県南予地域の地区診断の調査を継続的に行うことで、一つにその地域と語り部たち個々人との有機的な繋がり、つまり「顔の見える」生活史の作成をしてみたい。またもう一つに、地区診断を世に紹介し、さらにそれを社会教育的な視点で持って論じた『草の根に生きる』の著者、故稲葉峯雄氏の彼自身の思想と、彼の人生の中における地区診断の位置づけを行いたいと思う。これはライフヒストリー的な分析を中心としたものであり、故人の関係者からの聞き取りを基に、故人の性格、行動、さらに著作や手紙、資料などから見受けられる、地区診断をどう稲葉氏自身が捉えて、その後どうしていこうと考えていたのかを問いたい。これは、稲葉氏が地区診断後に老人福祉の分野に移行するため、その原因となる一つのターンが地区診断の想定と結果であったと仮説をたてているからである。地区診断自体もさながら、彼固有の考え方、また彼と接触した様々なヒトとの出逢いの中において、培われた地区診断の結論をそこに見出したいのである。前者が、地域と住民との関連性を描くのに対し、後者は個人と社会とのあり方を問うものであり、『生活記録の社会学』の著者、ケン・プライマーの主観と客観の相互作用論に依拠した生活史への視点を民俗学的に用いるものである。
さらに、「保健婦の手記」に関する研究においては、生活記録としてある手記の在り方、手記が目指す方向性について資料論的な部分から、具体的な描写に関する部分に至るまで総合的な鳥瞰図を描いてみたい。昨年度の報告では、具体的描写と、資料論的な視座が別々に論じられており、それぞれに欠落があったことを反省し、その上に立って、より一層総合的な視座に立ちながら、「保健婦の手記」の概要と具体性を描いてみたい。この描き方においては生活史的な視点を持ち込む。前記の南予の研究においてもそうであるが、私が目指すべきところは、生活主体と社会との相互作用であり、「保健婦の手記」の場合、保健婦と社会、描かれる対象となる個人と社会という二重の見方もできる。それらがどういう風に対峙し、さらにどういう風な関係性のもとにおいて「描かれる」ものであったのかということを生活記録研究と民俗学的な研究との間を取り持つような形で論じてみたい。
③ 計画の長期目標
次に中期目標のその後はどうするのか、調査も現時点においてどこまでできるのかも不透明であるため、ここで長期的な目標の設定をあらかじめ行っておきたい。この設定はあくまで研究の最終目標ではなく、中期目標の次のステップとしてのそれであり、研究をどういう風に発表するのかとかどういう風に公開するのかといった部分に触れるものである。
学会発表では日本民俗学会、京都民俗学会の発表を継続的に行っていきたい。これは民俗学内における生活の在り方を問い直すための一つの手立てととして目標づけておきたいからである。従来の民俗学における地域生活の分類、さらにそれらの類型論、比較論、伝播論の普遍性をもとにした記述に対して、筆者は個々人の生活の村長という立場を維持しながら、社会との関連性の中で生活はどのようにあったのかという、主観と客観の相互作用論という社会科学のメスを入れてみたい。別にこれまでの民俗学の方法論に対して否定をするわけではないが、あまりに地域を抽象的に扱い、具体的に扱ったとしてもデータとしてのそれにしか当たらず、記述がそれ以上進まない。研究者内で完結してしまうことを恐れたためである。私の研究は実践性に立脚したものであるから、研究者内の象牙の塔にこもる必要性はまったくない。地域社会の一般性に訴えるつもりもない。こういう生活があったという事実をもとにして、ではそれをどのようにして解決していくのかという部分に焦点を当ててみたいからである。なので、学会的な結論はその一つの手段であり、結語となるようなものではないことを強調しておく。
出版については、現時点ではまだ考えていないが、学会誌への投稿を視野に入れて、2本の論考ないし研究ノートを日本民俗学会、京都民俗学会等に発表しておきたい。また、民俗学の枠内に収まるのではなく、積極的に周辺諸科学、社会学、教育学など、さらには医学などの部分においても関係機関を通じて発表しておきたい。加えて、論考ではなく調査において思ったことをコラム化した記事を、保健所や教育委員会などの地域機関に投稿し、それをもとに市の広報などの一部分を飾ってみたいと考えている。これは地域において私の研究に実践性を持たせる一つの手段であると考えている。
④ 計画の最終目標
上記の計画目標はどれも一時的なものであり、最終結論をだすものではない。またこれから述べるものも最終結論ではないことを念頭に置いておきたい。というのも、本研究の最終結論の策定者は研究者である筆者ではなく、読者やそれこそ地域で働く保健師らが決めることであり、筆者はあくまでアドバイザー的な立場という繋ぎを演じることにしている。つまり、問題の記述とそこから垣間見える諸現象に対する考察ここまでが筆者の仕事であり、それ以上についてはより具体的に地域を考案する場で、ひざを突き合わせながら議論していかなくてはならないのである。
こう考えると、筆者の最終目標というのは地域議題への導きにこそある。行政も関わるであろうし、地域コミュニティーである自治会や組などの単位での話し合いの場において議論されることを願うものである。一見して筆者の研究は保健分野に編住しているように見受けられるかもしれないが、生活の総合俯瞰の一部として保健を扱っているにすぎず、生活をどう考えるのかという部分についてはより一層の意見を住民側ないし保健師側から示してもらう方がより鮮明になる。とりとめのない議論が出てくるかもしれない危険性ははらんでいるが、とりとめのない議論の中でも彼らがそれらを意識しだすことの方が優先であり、筆者のねらいとしてはそこに長期的目標を位置付けたい。
2. 具体的調査と調査方法論
① 策定に基づく調査・研究方法論
ここでは具体的な調査・研究方法について述べていくが、先に断りとして、現時点では調査・研究方法論が完全に私の中で組みあがっているわけではない。それこそ調査を進める中において方法論は違ってくるだろうし、研究に際しても議論の場が異なってくることも考えうる。現に、これまでの調査、京都府の調査から愛媛県の調査に移る際においても保健婦主体から、地域住民の生活と保健婦との関わりという風に研究主体が大きく変わっているし、方法も聞き取り調査と資料調査もさながら個人の手紙のやり取りとの中で考えられうること、個人史の分析方法論の中に立脚したものへと変化しつつある。つまり、一概にここで論じることはできないし、それこそ学会等において発表時に考えることであるから、ここで提示するのはあくまで計画に基づく予測される調査・研究方法であることを明記しておく。
まず、調査方法であるが、民俗学の方法論としてのフィールドワークにおける聞き取り調査は前提としてそこにある。当研究が聞き取り調査をもとにして、その個人との関係を築いているのであればそれは、立派な調査方法であり、関係構築の方法でもありうるので、これは大きな前提となる。さらに加えて筆者は、調査者個人の主観的な語りに対して興味を持っているため、その個人個人の生活と人生について聞き取り、さらにそれを立証できうるだけの、できるだけの資料を集めている。それは議事録であったり日記であったり、メモであったり写真であったりするわけであるが、個人と地域の相互作用を垣間見える素材を収集し、その分析と語りの在り方を重層的に配置していくことが調査には求められる。
研究方法については、生活記録(ライフドキュメント)研究で1990年代に発表されているケン・プライマーらの著書、社会学や社会科学の分野を参考にして、それをどのように民俗学に取り入れていくのかが主眼になってくる。生活記録を扱う研究は多々あるが、いずれも理論構築を優先的にしているところが多く、事例分析を強化したものは少ないと見受けられる。プライマーの理論は確かに妥当性を持って語られるべきものであるが、それを民俗学の俎上においてどう料理するかはまだ未知数なものがある。民俗学は事例分析を優先的に行い、そこから理論構築をしていくことが主体であるから、最初に理論があって事例を当てはめていくとかなり事実関係が異なってしまう危険性をはらんでいる。そのうえで、事例と研究の理論の枠は大きくとっておきたい。研究方法が生活記録に依拠しているのは、当研究が生活の様子をそれこそ語りだけに限らず記されたものに対して考えるところにあり、口述史的分析と、個人史的分析との双方間の間を取り持つ形になる。いずれにせよ主観性に立脚した議論であるが、筆者は主観性を社会との照らし合わせで客観性を持たす取り組みを、それこそプライマーの相互作用論の中に見出しているため、彼の論理を民俗学風にアレンジすることから考えてみたい。
② 「保健婦の手記」と生活記録研究
細かくなるが、研究ごとの分析方法をここで論じておきたい。「保健婦の手記」が個別的事象を取り上げていること、個人的な記録であることは報告書のとおりであるし、個人という枠組みで見た場合、ケン・プライマーが社会科学の分野において批判されてきた客観性の欠如は確かに指摘されるであるため、これ自体をそのまま用いることは難しい。勿論、手記類をそのまま提示し、読者に判断を仰ぐ研究も欧米の社会科学の研究の中にはある。ただ、「保健婦の手記」というものの特性からして、それ自体が外部に向けて発信されている点、さらに投稿が評価され選択されている点という恣意的なものがあるため、そのままの状態を提示することは筆者のいうところの主観と客観の相互作用をみるような、住民と社会とのあり方、保健婦と社会との結びつきを見るうえではかなり偏りを見せてしまうためあきらめざるを得ない。
そうなれば、方法は一つ。手記類が書かれる背景を丹念に調査し、書いた本人がどのような人物でありどういう風な人生を歩んできたのかということも含めて内容を吟味しなくてはならない。その語りの周縁においてどういった関係者がそこにいたのかのさえ本来はつかまなければならないが、「保健婦の手記」の内容については匿名性が多く、その関係者をすべて考慮することは現時点ではかなわないだろう。つまり完全な事実確認が「保健婦の手記」でなされるわけではない。ケン・プライマーの著書『生活記録の社会学』の中でもそれについては触れてある通りだ。バイアスがあるし、主観性という立場に立てばそれこそ膨大な資料データがそこにいることになる。しかしながらそうした余裕は現時点でできないため、考慮策として主観性をすべて排除するのではなく、書いた保健婦自身が持つ履歴や経験を洗い出し、それを社会との関連の中で位置づけながら、それこそ歴史の中に位置づけながら、仮定的事実として受け入れ、主観性と客観性の相関関係の上で描くべきだと考える。
吉田保健婦の手記については現時点で5例ある。但し、これは入選を獲得し、『生活教育』に掲載されたものであってそのすべてではない。彼女は度々記録を付けて公表をしていたという後輩の保健婦からの証言もあり、入選作を除いてもその数は膨大にあるだろう。また彼女と関係性をもった保健婦は多々あり、その講演なども多くの聴衆が聴いている。加えて彼女と深いつながりがあった田中友子生活改良普及員のありようを記したものが近年発刊されており、彼女の足跡もたどっておく必要性が出てきている。つまり、事は日吉町という一地域にかたよらず、そこで働いていた一保健婦が地域住民、いや地域外も含めて様々な人との関連性の中でどう描かれるのかという部分が重要である。
結論として、「保健婦の手記」をその資料的価値、内容的、具体性の価値基準を総体として取り上げ、それを構築していく中でどういう風な関係図を描けるのかというのが課題となる。現時点においてこの関係図の一部は調査にてわかっているものの、肝心の地域住民からの証言が得られておらず、彼らが保健婦に対して何を思い、保健婦がそれにどう応じていたのかという部分が明らかにならないことにはその関連性を構図的に理解することはかなわないだろう。
③ 愛媛県南予地区診断と稲葉峯雄氏の思想
愛媛県南予地域の地区診断の調査に至ったのは、もともと稲葉峯雄氏の『草の根に生きる』を拝読し、その社会医療、農村医学的な発想と、地域社会教育の在り方を辿ることにあった。また、勿論稲葉氏が地区診断のきっかけを作ったことは確かであるし、その地区診断が行われた地域との関連性を重んじることは必要不可欠なことである。
現時点では、南予の宇和島市三間町増田・黒井地、北宇和郡鬼北町下大野の三地区の概要を話者の語りと、資料調査から明らかにしていった。ただ、下大野を除く三間町増田・黒井地では悉皆調査、踏査はまだおこなっておらず、地域住民の証言も農協婦人会のそれとして理解されるべきものであり、まだまだ全体的な地域調査が必要である。
一応断りを入れておくと、この調査の大きな目的としては地域住民と保健所、稲葉峯雄氏らなどの人物との関わりをその語りから導き出すという作業である。地域をそのまま調査し、地域の特色を出し、他地域との比較をするということを前提としているのではない。比較論的な立場をとるならば、それこそモデル地区として普遍化し、それぞれの生活については取捨選択された、切り貼りされた生活模様を描かざるを得なくなる。筆者は常々生活は総体であって、衣食住などの分類項目を使うべきではないし、地域的特色をそこに見出したとしても現代社会においてそれが意味するところはただの文化的価値観という風なものに偏り、地域生活に直接的に問題を提示するには至らないことを調査過程で思っていた。
そのため、比較論的立場は切り捨て、地域論的立場にも立たず、地域と人間という立場、その社会と人との相互作用としての個人史に目を向けておきたいと考える。また、ここで言う、個人というのは単にひとりの個人を指すわけではない。一人の個人が地域で果たす役割を丹念に追っても、それこそ縦横無尽な関係性がそこに浮き彫りになり、個人を構成するものはそれこそ他の個人とのかかわりの中で論じなくてはならない。一人の個性というのは存在しえないと考える。環境であり、社会なりがそこに関与してこそ個性が引きだたされる。個性というのは「魅せる」ものであって、パーソナリティーという訳語で話すものではないことをここに明記しておきたい。
ではこの観点に立ったところで、愛媛県南予の地区診断を見ていくに当たり、二つの方法をとりたい。一つは、それこそ証言の集約をしていくということである。地域、いや地区個々の人々の語りの中で地区診断はどうあったのか、また公的機関に残されている資料、さらにかかわりを持った保健婦らがこれをどういう風に客観視していたのかを含め、総合的な形で地区診断の在り方を問うてみたい。これを問いただすことは、地区における健康を見出すというわけではなく、地区診断が持つもっと深い関係性の構築、社会教育的な視点から立った時に見えてくる地域コミュニティーの発展的発想をそこに見出すことができる。これは現在の農村社会が抱える問題である、地区組織の在り方というのもにも直結するし、民俗学的に見ても村政としての地区がどのように機能し、どういう形成過程を経てあったのかということを細かく見ていくことにもつながる。村政についてはこれまで行政的なレベルと家族などの近親者的なレベルなどと別々に取り上げられてきたきらいがある。しかしながら、そうした関係構図は実際の生活のおいてはもっと重層的であり、立体的な繋がりをもって生まれてくる。抽象論としてのそれらの関係構図は確かに、行政とその他というくくりになるかもしれないが、実生活は具体的であり、抽象的な理解では考えられない部分も多々ある。それらをどう描き出すのかが重要だ。
二つ目に、稲葉峯雄氏という大きな関心、関係者としての人物の思想的なものが地区診断には大きな役割を果たしている。地区診断に関わったのはなにも稲葉峯雄氏だけではないが、彼が『草の根に生きる』で鳥取大学医学部教授の加茂甫氏と語った中で、社会医学的な視点で持って愛媛県の南予における健康被害を、生活レベルで考えることの構築を目指していたことから、彼なりの構図がそこに描かれているはずである。また、それが意図的にさようしたのか、逆に外部的な思想によって邪魔されたのか結果的には地区診断は成功して評価はされている。但し、稲葉峯雄氏自身がこれをいかに描いていたのか、その後の地区診断をどのように構築するように仕向けて行ったのかということはかなり重要な課題の一つである。つまり、稲葉峯雄氏自身のライフストーリーと地区診断の交差を見出しておくことも一つの手立てとして必要不可欠ではないだろうか。現時点では、稲葉氏と関わりを持った「蓬会」の保健婦らと接触を持ちつつ、この調査に踏み切る段取りはしているが、未だ彼の家族に会えずにいる。家族に会って話をきくことがかなうならば、彼の人となりと考え方について深いところで知ることができるように思う。できれば、早いうちに、さらにいえば稲葉氏が残したメモ等があればそれをもとに彼の軌跡をたどってみたいと考える。
結果的に、この南予地域の調査は地域のそれとは違った所謂個々人の集合体としての生活史を明らかにすることに焦点が注がれており、稲葉峯雄氏にしろその個人が社会にどうかかわっていったのかを導き出すことにこそ意味を見出している。民俗学における、「生活者の顔がない」生活史を批判するとともに、生活者がどういうひとであり、どういう考えを持ち続けていたのか、その推移はどこにあるのかということを地区診断という部分的な事象に絞って考えてみることにする。
加えて本研究の視座は、民俗学固有のものではなく、経済学、生活学、家政学、社会学、医学、公衆衛生学などのさまざまな諸科学の影響を学際的に、いや総合的に描き出すものであることを付記しておく。
④ 『岩手の保健』の読解と研究
現状からのべると、まだ資料を読み込めておらず、その問題について論じることについてはできていない。また大牟羅良という人物の人となりもかなり興味深いが、これもまだ調査に踏み切る余裕はない。
今後の課題としては、まずは資料を読み込むことと時代における編者である大牟羅良の考え方の推移をそこに見出してみたいと考えている。『岩手の保健』は長年にわたって岩手県の国保の歴史に大きく関与してきた雑誌だけでなく、岩手の農村の現状を伝え、議論する場としての雑誌の性格を有している。この性格から考えられうることは、編者自身が地域をどうとらえようとしていたのか、また地域住民はこれに対してどういう反応を見せていったのかが重要である。ここでも筆者のスタンスは比較論者でもなければ地域論者でもない。生活史という立場に立脚しながらも、その主観性の雑誌記事を丹念にとらえ、大牟羅氏が云わんとすること、そしてそれを外部社会が客観視する際に見えてくるものを明らかにしておきたいのである。
今年度にこの読解作業が終了できればそれでいいと考える。考察についてはまだ方法論を考えつつ探っていきたい。
3. 調査研究結果の公表に向けて
基本的に調査報告は調査地や話者を優先し、一度制作したものを仮報告として話者に渡し、その反応を待って正式な報告書を記述し、考察を述べていくことにしている。これは地域と関係性を硬いものとするための努力であり、別段話者のそのままの声をそのまま載せることについて了解を得るだけのものではない。まずは、仮報告によって地域に対して報告内容に誤読がないかどうか、さらに地域生活においてこの問題を認識してもらうことにこそ意義がある。そのうえで、正式な報告書にてそれを盤石のものとなす。筆者の方向性としては実践性にあり、学問性にある取り組みとしては考えていない。学問的立場に立つのであれば、それこそ正式な報告書をおくることは、確かに成果を見出すことにつながるが、筆者の場合は、それを土台にしてどういう風に地域を考えるかというアフターケアも含めた議論が必要となる。
この観点に立って報告書を垣間見た時にそれを公表し、掲載することはかなり慎重でなくてはならない。現時点で発表報告をしているのは吉田保健婦のそれと「保健婦の手記」であって、愛媛県南予地域に関する報告はまだ封印している。いずれ、その封印は解き、公表する予定であるが、現時点ではこの報告書によって地域でどのようなアクションがあるのかを待ってみたいと考える。意識され出したかどうかを見計らってからでも公表掲載は遅くない。
まとめにかえて
今年度で取り組めるのは、吉田保健婦の調査と南予の調査の二つが主題となるだろう。別に他のものができないというわけではないが、データ整理が膨大にあり、それに追われることがしばしば出てくるものと考える。その時にほかに手を出していては難しい局面に陥るであろうから、そうしたリスクには慎重にならざるを得ない。個人と社会、主観と客観の相互作用を論理的に進めていくに当たり、まだまだ研究史の分析が整っていないきらいがあるし、民俗学的に見てこれらの方法論が学会的に了解を得られるかどうかという部分に不安を覚えるところはある。しかしながら、「顔の見えない」生活ほどむなしいものはないし、機械的に機能的に分析することが生活を捉えることではないと強く主張したい。生活者あっての生活であり、個人あっての集合であり、集合があっての地域であるこれを段階的にとらえていく作業こそが現在の民俗学には必要不可欠であり、とくに社会とのあり方を基準にした研究の欠落している部分にあたるものと考える。主観性を排除し客観性に科学性をみいだすというのは、もはや古いものである。主観性と客観性の相関関係論を社会学はいち早く見つけそれについて取り上げているにもかかわらず、依然として民俗学はそうした相関関係性を普遍化としてしか取り上げていない。普遍化することがよい場合もあれば悪い場合もあることを考えなくてはならない。