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2013年5月22日水曜日

農民の手記『村に生きる日日』を巡る

おはようございます。

朝から大層なタイトルでなんだか内容がうすかったらどうしようかと思う次第です。

さてと、今回は、古谷綱武氏によって編まれた『村に生きる日日』(新評論社 1954)に掲載されてる農民の手記について少し触れておきたいと思うのです。


1.はじめに

①保健婦資料の限界

 保健婦資料を集める中で、保健婦の視点からみた農民の姿を映し出すことは可能ではあるが、ただそれは「外部者」としてのそれであって、彼女らの視点は所詮、外部からの視点でしかない。この事実は間違いないことである。ただ、彼女らが積極的に農民と語りあい、交りあうことによってその「外部者」のそれというのはだんだん低くなってきた。「保健婦の手記」を見ていると、それがよくわかる。
 しかしながら、「保健婦の手記」は保健婦なりの視点によって、農村の在り方、農民の在り方を問うたものであり、活動の上で農民とどう語りあったのかということを表すものとしては大変貴重な意見ではあるが、それが農民自信どう思っていたかという部分については触れられていない。多少触れられていたとしても、感謝の意であったり、邪険にしたような態度であったりというアクションでしかない。それは生活の一部を切り取ったものであり、部分的にしかそれを理解することができないものである。

②農民の手記というアプローチ

 では、農民が保健婦のことをどう思っていたのか、保健婦の活動やしぐさについて何を思い、それにどう共感ないし反感を示して、彼女らとともに歩む道を選んだのかということは、どういった資料からうかがえることができるのか。もちろん、聞き取りという形によってそれはうかがい知れるだろうが、但しそれは現代から過去を見つめる視点において、所謂過去を「懐かしむ」というファクターがあってのことであり、それが保健婦らが活動した当時の農民としての気持ちや考え方であったかというとそうでもない。ということは、当然「保健婦の手記」は肯定的に受け入れられてしまって、保健婦活動がなんの反感もなく受け入れられたと思われがちになる。これは気持ちの面での整理が整った現代だからこそ言えることであり、過去のそれとは違うことを考えてほしい。となれば、どういう資料をここで提示すべきか。
 そこで同時代の資料における、農民の生活の詳細を記録し、その意見を取りまとめたものが当時運動として起こっていたことに着目した。それは生活記録運動であり生活綴方運動というものである。この二つは両方とも成立時期は同じくしてなったものであり、性格もよく似ているが、前者は純粋な生活を記録することによって日々の暮らしを見つめることを目的にしていおり、後者は生活を綴る行為自体を重要視し、そこで描きだすことで世間に訴えかけるものとして分類されると考える。但し、この分類の仕方には多少相違があると思うし、農民側からすれば、どちらも社会教育の範疇にあり、運動の主催者がどういう位置付けにあったのかを示すだけになっている。つまり、農民にとってはどちらも「生活の記録」であり、言いかえるなら農民の手記であると考える。
 農民の手記というのを概念的に述べることはここではしないが、簡単にその性格を位置付けると、それは農民が自らの手で、自らの生活を振り返り、その反省をもって記すものであったり、その喜びを記すものであったりと様々であるが、総じて農民自身の感情や考え方を生活の中に映し出すことができるものであると考える。そのため、ここに記されるものは多かれ少なかれ、その当時性をもってそこにあることは明確である。多少昨日今日のずれはあっても、それでもその時何を思ったのかを考える上では重要な資料と言える。

2.『村に生きる日日』
 

 この農民の手記が描かれている資料は様々ある。それは雑誌の投稿欄であったり、冊子にまとめられていたりと、生活記録運動、生活綴方運動の記録の中に散見することができる。ただ、こうした運動は、多種多様な記録を扱ううえで、多少その当時の政治性を持って掲載されることが多い。これはどの雑誌にも言えることである。そこで、昭和29年に編まれた『村に生きる日日』という古谷綱武氏編纂のものを取り上げてみたいと思う。これは、信州の農民の手記をそのまままとめたものであり、それについて解説をしたり政治性をもたせたりとする意図はここにはない。純粋にとりまとめたものである。この本は戦後のまもない農村の風景を、農民の視点から描き、その生き生きとした姿をみることができるものである。
 古谷氏自身は、この記録を生活綴方運動の中によって見出されたものであるとして、「はしがき」で述べている。それによれば、戦前から続く生活綴方運動によって触発される形で、様々な地域で様々な物が編まれてきたという。本書はそうしたものの一部であり、農民の姿のリアリティーをとらえたものであるとし、ただそこにイデオロギーを問うたりするものではないことを明確に示している。つまり、前述した生活綴方運動の政治性については、ここでは触れずに、それこそ戦後すぐ、1956年に本としてまとめられた無着成恭の『山びこ学校』のような子どもたちの素朴な綴りのおとなバージョンと言える。つまり、古谷氏自身はこの本で、別段解説をすることもなければ、それについて思う感想を述べることもしない、全編にわたって農民の手記がただ整然と並べられているだけである。いや、古谷氏はこれを信州の「雑記」としてしるしているため、整然とというと語弊があるかもしれないので、ただまとめたのみとしておこう。

3.松丸志摩三の分析

 古谷氏のこの手法によって編まれたものは、それを読む側がいるのは当然のことであり、それによって評価されて行く過程で、農民とはいかなるものかを問うことは自然の摂理である。昭和30年に松丸志摩三氏によって記された『農民の暮しと考え』(新評論社 1955)は、まさしくそれであり、古谷氏の『村に生きる日日』を評し、それでもって当時の農民の考え方についての詳しい分析がなされている。
 松丸氏自身も酪農農家の出であり、実践的に農業や酪農との関わりをもったうえで、そういう自分の生い立ちと、自身が行っていた社会教育運動の中において、『村に生きる日日』で編まれた農民の手記を扱おうとしている。つまり、手段としてそれを分析し、評したところでそれに政治性を与え、啓蒙的な運動の中に位置づけようとしたのである。『農民の暮しと考え』の中では、農民の貧乏というものに対する問いかけから始まり、そこに封建制やそれに対する農民の諦観を取り上げながら、それでは農民がいつまでたっても古い生活のままで、生産性や経済性を無視した非合理的な暮らしの中に居座ってしまっており、それを改善することが今の「青年諸君」に任されているという書き方でなされている。村の青年らによる社会教育の組織化が目立ってきた時代背景もあって、これが民主化運動として、また生活合理化、生活改善のなかで重要なテーマ性を与える素材であるとして、古谷氏の本を評している。
 ただ、先にもふれたとおり、古谷氏自身は『村に生きる日日』にイデオロギーを排してそのまま記す方法の中に、農民の生活を描こうとしており、こうした松丸氏のような第三者によってのイデオロギー化、政治性をもたせるやり方を意図とはしていなかった。しかし、ここは資料の解釈論でもって、松丸氏はそこに農民の絶望感や悲壮感を見出し、そうした苦痛をどうにか廃することが重要であるという視点から、所謂啓蒙的な記述となっていったのだろう。とはいえ、それが古谷氏の本意ではなかったことをここに記しておく。

4.農民の手記のイデオロギー性

 先の記述では私自身、この古谷氏の意見に賛同して、松丸氏の考え方を否定しているように感じるかもしれないが、別にそうは思っていない。松丸氏の指摘は、『村に生きる日日』を読んで、そこに散見される「農民の考え」を切り出し、そこに隠された農民自身の「声」を拾ったことは、農民が訴えたかったことにもつながり、これを書籍というメディアに載せて詳しく訴えかける行為はまちがっていないし、それをよしとする考え方をもっていたのが生活綴方運動である。松丸氏がこの運動にどれほど関与したかは、書籍上からはうかがい知れないが、社会教育家としての視点でこれらをみて、青年学級の中で、こうした「農民の考え」を訴えかけ、また反省し、そこから学べることを述べている。
 こうして考えてみると、農民の手記というのは読者という媒介者を通じて、ある意味イデオロギー化されるものではないのだろうか。古谷氏はただまとめたのみとしているが、古谷氏自身が農民の手記を書いたのではなくて、信州の農民自身がこれを記したことにより、それをまとめたのみであって、信州の農民が言いたかった本意は、松丸氏のような読者に読んでもらうことにより、農村の実態を明らかにし、且つ啓蒙的な視点でもってそれを改善せしめるために記されたとしてもおかしくはない。『村に生きる日日』の中にも村の現状について嘆くとともに、これをどうにか打開する手立てがないかを模索する叙述もあることから、全く政治性をもっておらずイデオロギーを排していたとは言えないのである。

5.まとめ

 農民の手記について『村に生きる日日』とそれを解釈した『農民の暮しと考え』の中から、その性格や記述のあり方について問うてみたが、ここではっきりしているのは、農民の手記というのがその暮らし自体を、農民自身が客観的に見つめるとともに、それに対して対策を打とうとする姿を診ることができうるということ。つまり、保健婦の手記という保健婦側からのアプローチでは散見できない、農民自身がどういう風に自己の生活を思い、さらにどうしたかったのかという部分をカバーしてくれる。
 生活研究の中で保健婦の手記を扱っていくに当たり、私は保健婦自身もそうであるが、農民がそれをどう位置付けていたのか、暮らしをどう見ていたのかということについても重要であると考える。以前にもふれたとおり、私の生活の変化の考えは、「生活の変化というのは、生活者が取捨選択して成り立つプロセス」の中にこそあり、結果的な変化はあまり意味をもたない。つまり、変化する過程、プロセスが大事であり、そこにどういった思惑があったのかを考えることが生活研究の中では大事であると考える。
 さて、そうなれば、やはり農民の手記というのと保健婦の手記というのを同時並行しながら見ていく必要性がある。参考する文献をあげれば山のようになるのであるが、それを一つ一つ丁寧に見て行く作業が今求められる。保健婦の手記ではカバーできない、農民の農民自身の在り方を問うにはこれ以上にない資料として、農民の手記を位置付けたいと考える。