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2013年8月2日金曜日

発表要旨の案。


手記にみる日常生活

―保健婦と農婦が綴る生活変化の断面―

 

 京都府南丹市日吉町(旧船井郡日吉町)、昭和30年代から50年代にかけてここで活躍した保健婦、故吉田幸永氏の手記が『生活教育』という雑誌の中に多く掲載されている。そこに描かれているのが、戦後の日吉町の生活変化の中における人々の日常である。

 本発表は、吉田幸永保健婦が残した数々の記録と、また彼女の影響を多々受けた人々によって編まれた生活記録を紐解くことによって、保健婦が地域に与えた影響と、地域が保健婦に与えた影響、さらに地域生活の変化においてそれがどのように作用していったのかということを民俗学的に考察するものである。

 民俗学では、生活変化についての指標として、物質変化や経済変化を第一に考え、その中で生活の様相を語ろうとする。耐久消費財や電化製品の物流、経済発展による生活基盤の安定が変化の要因とするところが大きい。しかし、そうした物質や経済の変化は、具体的にどういう過程を経て生活の中に根差したものであったのだろうか。結果的に物質などによって変化が起きることはわかる。しかし生活の変化がそう単純なものではない。台所を変えるにしても、それは経済的なものもあれど、この問題は家、家族、村などの様々なしがらみの中を潜り抜けて段階的に成り立っている。そうした段階を無視してはいけないのではないだろうか。

 その段階の中にどのようなものが見いだせるのかをここでは、ある一人の保健婦と彼女を取り巻く農婦たちの記録から追ってみたい。保健婦を選んだのは、保健婦の活動というのが人間の身体に直接影響を与えているということ。それは衛生というだけではなく、もっと深く生活基盤にまで踏み込んだ内容であったことが一番の理由である。人々はどういう風にこれをとらえていたのか、またそれを取り入れようとしたときにどんな対応を取ったのだろうか。

吉田幸永保健婦は、旧日吉町で多くの生活者を相手に、家庭訪問やグループ活動、講習会などといった保健婦活動をしながら、様々な角度でアプローチを試みた。農婦らとの関わりも深く、それによって生活指導に明け暮れる日々を過ごしていた。ところが、農婦らはその指導に対して思うことがあり、様々な対立を見せていく、その中で保健婦の心情的変化もみられ、活動に取り込まれていく。そうした保健婦と農婦たちの関係性から見えてくる、生活変化への対応と受容、そうした変化の結果ではなく過程、これを明らかにし、新しい生活への視座を民俗学的に考えてみたいと思う。