ここのところ、無駄に時間を過ごしているような感じがして心苦しい限りです。ですが、全く何も考えずにいるわけではなく、あれやこれやと考えたりすることが多々あります。
その中に、研究のことで、いや、研究というか人間の生活の営みのことで、いろいろと考えてみるのです。
具体的にいうと所謂変化とか言うものは、「受け入れる、受け入れない」いずれにせよ「考えること判断すること」がそこにはあり、その手順をなしに変化は語れないと思うのです。
前々から述べてきていることですが、私たちはどこか変化をその結果で評価し、それでもって変わったことを前提で話す節があります。ところが、変化の断面を観察していくと、そうした変化を受容するためのステップがあるのだと私は思います。