まとめにかえて
南予の二つの活動が戦後の「蚊とハエのいない生活」において、どのような意味を持っているのかを述べていきます。
第一にこの活動の先行きの面で、五十崎と石応では大きな違いがあります。住民主導で進められた石応は改善を生活合理化に結びつけることを可能としましたが、施設改善で行政主導になっていた旧五十崎では行政の指示範囲から脱することができておらず、活動の舵取りが環境衛生や保健衛生面から他に波及する見込みはなかったのです。
第二に、生活課題への対応です。五十崎はその性格上、行政計画に則って行われていくため、一定の結果は得られようが、変則的な生活状況に対応できていません。確かに偉大な成果は持ち込めたと思いますが、意識面の改革にまで及んでいたかというと、どこか指示ありきの行動があって、住民は後手に回っていた点は否定できません。その面、石応は地区集会という絶えず議論を交わすため柔軟な発想力と対応力に長けていました。そのため、下水溝改善を一つの通過点で考え、生活課題をさらに洗い出し活動を昇華させていったのです。生活課題の捉え方によってその後の展開が全く異なります。
「蚊とハエのいない生活」は、戦前からあるようなある種強権的なトップダウン型を推し進める地域もあれば、戦後の民主的な住民の意見の反映としてボトムアップ型に徹する地域もありました。住民参画という意図は盛り込みつつもその方向性は地域の生活課題への姿勢によって左右されるのです。そのためモデルを模倣する場合技術は同じでも方策については取捨選択がなされていたといえます。