こんにちは。日々勉強とおもいつつも、いろいろなことに手を出しまくっていると時が過ぎ去るのはいつものことで、研究もそのうち流れに流れてしまっているような気がしてなりませんね。
さてと、以前こちらで公開した日本民俗学会年会に関する発表要旨のアナウンスですが、あの後しばらく考えこんでいまして、あのままではだめだと思い自分の気持ちに素直になりながら書きなおしていました。今回表明するのは、正式に日本民俗学会年会に送った発表要旨そのものです。本来なら、年会当日に参加者の手元に置かれるものではありますが、私としては民俗学会に参加していない人、生活改善に少しでも興味を持っていただいた人に対して、広く構えたいと思っており、ネット上で子の用に公開させていただく運びになりました。
まだまだ至らぬ点が多くございますが、今のところ私の発表方針としては下記のような内容となっています。
記
【発表題目】生活者にとっての「生活改善」
【副題】-兵庫県宍粟郡千種町における「生活改善」の受容と背景-
【要旨】
兵庫県宍粟郡(現宍粟市)千種町、兵庫県の北西部にあるこの町で、昭和30年代から50年代にかけて「生活改善」(地域保健活動)と称する活動が展開した。この活動は、地域生活の向上、住民の健康増進を目的とし、食生活改善や衛生改善など様々な取組が行われた。昭和32年、児童の成長不良という問題の浮上をきっかけに、地域の食生活、労働環境、衛生環境を少しでも善いものに変えようと地域住民側から発せられた。はじめは心安い人々同士が集まりグループを形成し、料理を通じて食生活の見直しをしていたが、昭和35年にある保健婦が町を訪れ、保健業務の傍ら彼らの活動を補佐し導くようになった。そうしてグループ活動が次第にまとまりをみせ、「家族の幸せは自分たちの手で」「健康で明るい社会」をスローガンに、千種町いずみ会となって展開することになった (山中 2011、2012)。
生活改善とは「政府および政府関係機関の施策と、それに啓発された自治体及び地域や家々、さらには諸団体が、自らの生活の改善向上をめざす創意と努力」からなる生活の近代化、合理化を目指した活動である(田中 2011)。戦後の活動をとれば生活改善普及事業、新生活運動、公民館活動、保健所活動などがある。ただ、千種町のそれは、地域住民自らが内発的に取り組んだ「生活改善」であり、これまでの生活改善とは少し視点が異なる。これまでの研究は政府諸団体から見てどうであったのかであって、団体個々の理念や活動をもって地域活動を説明する節があった。ところが、千種町のそれは地域の内情において出てきた活動であり、それは地域住民の願望である。では、そうした地域活動をどうとらえるべきなのか。私は、生活改善のこれまでの経緯を照らし、民側の生活改善の意向として「生活改善」を新たに捉えなおそうと試みた。千種町いずみ会の方向性、そして実施された活動、それに関わった保健婦の素顔などについて、それがいかにして地域で受け入れられていったのかというプロセスを見ていった。つまり、政府諸団体ではなく地域の住民、生活者の視点における「生活改善」の視点である。
だが、これまで私が取り組んできた千種町の「生活改善」の研究は、どれもその「生活改善」に関与した団体あるいは個人からの見方であって、受け手である生活者側のアプローチとしては少し物足りない部分があった。生活者の意思がそこにあることを見逃していた。生活者が何を望みどのように取捨選択したのかそういうものも含めて考えるべきであろう。本発表ではそうした反省をもとに生活者にとっての「生活改善」を再度見直してみたい。
参考文献
田中宣一編『暮らしの革命-戦後農村の生活改善事業と新生活運動』農文協 2011
山中健太 「千種町いずみ会の地域的展開と「生活改善」の受容」(田中宣一 2011)
山中健太 「ある保健婦の足跡から見る地域保健活動の展開と住民の受容」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』第40号 2012)
以上
なんかマジマジと見ると結構不可解な点が多いですけど、簡略に述べますとですね以下の通りになります。
【目的】生活者サイドからみた「生活改善」とはどのようなものであり、どのような過程を経て受け入れられるものであったのか、またその反応とはいかなるものだったのかを明らかにすることで、人々が「生活改善」という活動に対して思っていたこと主観として受け取っていたことを半ば住民のニーズの本質として歴史的に追ってみたい
*まぁようするにですね。「生活改善」はなぜ受け入れられていったのかというのを住民ニーズがどうであったのかという視点から見るということです。
【方法】兵庫県宍粟郡千種町の事例を軸に、そこで起こった「生活改善」を明らかにし、それにかかわった地域団体(千種町いずみ会)とある保健婦(以下A保健婦と略す)の話に加え、被験者である地域住民側、本来実質的に「生活改善」を受け入れたとされる生活者側からの聞き取りを加える。地域での聞き取りをベースにした主観からの調査結果を基とする。
*主観からの調査結果を基とするというのは、従来の研究ではどうしても傍観者としての生活者が描かれており、どうも生活感がない「生活改善」になりがちであった。そこで婦人会および各家庭において「生活改善」が行われた際に、家族そのほか周辺の住民はどんな「感情」でそれを受け、さらにそれを生活に「必要であるから」として「選択」したのかを問うてみたいのです。生々しい会話の中における「生活改善」の実態といいましょうかそんなのを描きたいのです。
このような感じで、目的と方法を用いて結果を導き出すわけですが、今のところ結果を言うとしらけてしまいますので、ここはこれまでしか明かさないことにしたいと思います。
まぁ、部分的開示でよければ
「生活改善」は生活者の都合と合致した形で受け入れられていった。
と申しておきましょうかね。従来の研究ではその「都合」ということに対して「合理的」「近代的」「経済的」とか分析されておられますが、もっと本質的な部分ではそうしたものは後付されたものにしか他なりません。では「合理的」などの理由のほかにはどういった「都合」があるのかそれが重要なのだと思います。
ここに書かれた以外の細かい内容のこと、さまざまな視点からのことについてはTwitter(楓瑞樹@御京楓https://twitter.com/kaede01mizuki)で呟いていますのでそちらをご覧ください。