安曇野にてのメモ書き
保健婦資料館所蔵の『生活教育』を拝読し、一つ気になったこと。『生活教育』という雑誌において「保健婦手記」はどのういう記事として扱われていたのか。その当時、保健婦の読み物または参考書として出されていた『保健婦雑誌』は、記事の特性からして専門的、学術的なものに対し、『生活教育』はどこかしら、そういった学術的な記述というよりも、保健婦の心構えのようなものがその特性となっている。細部の記載については現時点で判断できないが、『保健婦雑誌』は技術、学術系とするならば、『生活教育』は保健婦の規律、規範を重んじる精神系のものではないだろうか。その中では特に目につく記事が「保健婦手記」である。これは読者である保健婦による投稿で成り立っており、日々の業務で感じたこと、経験して学んだこと、困ったことなど様々な記述がなされている。また、この記事は選考会が開かれており、多数の投書から選ばれたものだとわかる。その選考理由も編集委員の意見としてまとめられている。編集委員の中には丸岡秀子の名も見られ、あらためてこの記述が社会教育的な側面を有していることがわかる。さらに、本誌は投稿者と委員との対面形式だけをとらず、広く読者からの意見や声を合わせて記述されているあたり(「おたより」欄)に参画型の取り組みがなされていることが考えられる。「保健婦手記」に書かれた活動の内容や心情は単なる発言に留まるのではなく、本誌を介した共有性をもった内容であり、各道道府県で働く保健婦全体に訴えかけるものがある。先の選考にみられるように本誌は、保健婦の教養にも使われ、意図的に選考し表彰することで、各人に保健婦の理想や規律を促している。「保健婦手記」はそういった意味においては、日々仕事に精を出している保健婦への教養と励ましを与えるものであろう。
上記のメモ書きは、11月22日に安曇野で私がメモ書きしたものをうつしたものです。私が保健婦資料館で拝読した『生活教育』の「保健婦手記」欄をどうみるのかということを考えてみました。雑誌にどういった特性があり、その記事にはどういった意図が見られるのかという点です。
2012年11月24日土曜日
保健婦資料館と保健婦資料
こんにちは。お久しぶりです。さてと、Twitterで私の発言をご覧の方はご存知だと思いますが、先日まで長野県安曇野市へ行ってまいりました。
風光明美なところで身体も心もリフレッシュしました。
なぜいきなり長野県安曇野市かというと、穂高に「保健婦資料館」という施設があり、そこには保健婦関連の資料がかなり豊富に取りそろえてあるということをTwitterで知り合った方から情報を頂いたからです。
これまでのブログの記述からわかるとおり、私は生活改善の中でも保健衛生活動、とりわけ保健婦の活動を取り上げて研究しておりました。しかしながら、研究しているとは言っても保健婦がどのような存在でどういう活動を主たるものとしていたのか、どういう風に地域に入って行ったのかというのを聞き取りでしか知らず、基本情報としての知識があまりに少なかったのです。そこで「保健婦資料館」のお話しをいただいたのでして、これを機に一から保健婦という存在について勉強してみようと思い、いろいろと資料を集めてみたいと思ったのです。
これまで、私自身フィールドで資料を追うことはあっても、本格的な資料調査というのをしてきたわけではなく、どういう資料がそこにあるのか、どういう調べ方ができるのか、またどういう資料を選んで研究すべきなのかということを結構悩んでいました。正直なところ私の保健婦のイメージは、村の中で臨床を取り扱ったりする専門家という位置付けでしかなく、私の論文でも彼女を取り扱うのはどうもその職業性のみで語ってきたきらいがあります。しかしながら、保健婦の語ることについてよくよく考えてみると、ただ単に臨床でやってきたわけではありません、公衆衛生の知識を広く村人たちに触れて回るのですから、彼らの生活の中に直接入っていくことをしなければ、うわべだけのその場しのぎの活動になってしまいます。私が、兵庫県宍粟郡(現宍粟市)でお話しを聞いたA保健婦は、こんなことを申されていたのを今でも覚えています。「衛生環境が悪いことを説明するのに、まず生活をみてからじゃないとわからない。家庭訪問の際は些細なことでも、訪問家庭の生活事情を記録し、それをもとにしてさまざまな(公衆衛生活動ないし、保健)活動をおこなった」という。つまり、保健婦は村の生活について理解をしなければならず、そのために家庭訪問を繰り返し行い、そのたびに衛生知識の普及に努めたというのです。保健婦はこうした村人の立場の中に身をおいてこそ実践が可能のあのであって、単に臨床の現場だけを抑えておかばいいというわけではないのです。
そうしたこれまでの調査でうすうす気づいていたものを少しずつ考えていくことがこのところの私の作業でした。そこで、はたと気づいたのです。保健婦というのを職業として、保健活動を業務としてみているのでは、民俗学の中で保健婦を取り扱うのはかなり無機質になってしまわないかと。要するに、活動の流れや地域での位置付けをするだけでは、民俗とのかかわりは描けないし、たとえ描いたとしてもそれは人間の営みのなかでの生活と活動との間に隔たりをもったものになってしまわないかと。そういう心配をしたのです。よくよく考えてみると、保健婦というのは先にも話した通り、村の中に身を置いて活動しているわけですから、生活に深く根ざしており、民俗にも多大に影響を与えていたのではないかと思ったのです。人々の生活意識において保健婦が与えた影響は民俗学としても無視できないのではないかなと思ったのです。そして、これが重要なことなのですが、単なる活動の記述として民俗学で保健婦を扱うのではなく、村人と保健婦がどういう風に接してきたのか、そこでどのような生活への取り組みが向けられていったのか、その時どういう感情があったのかということも含めて立体的に活動をとらえる必要性があるのではないかと。今までの私のやり方っていうのはそこらへんの立体感にかけていて、どこ無機質な記述になっていたのではないかなとおもったのです。
そこで、話は少し戻るのですが、保健婦資料の中に「保健婦手記」という保健婦の活動を記録したものがあります。この資料は、度々書籍として刊行されており、私もそれを何点か集めています。その中で重要なのは、彼女らがいかに活動したのかということと同じぐらいに、どのような思いでどういう風に接してきたのかという、業務にかかわる苦悩や喜びといった感情が描かれていることです。保健婦は専門家ではありますが、その前に一人の人間として職務に当たっています。つまりそこには人間らしい、その表情豊かな記述があるということなのです。そこで、今一度この資料類をみていくことで、どうにか保健婦活動を立体的に描けないものかと思ったのです。保健婦活動はなにも兵庫県だけが特別ではないし、日本各地で様々な活動が営まれ、各地の保健婦は創意工夫しながら村の中に身を置き活動しています。そのことをもう少し知りたかったというのが、私を「保健婦資料館」へいざなったと思うのです。
保健婦資料館で所蔵されている資料の中には、そうした手記類は多数あります。そうした記述を丹念に見ていき、そこから民俗学にアプローチしてみることもできるのではないかと思っています。私のアプローチ方針としては、「保健婦手記」や保健婦の証言から、村人の生活にどういう風にかかわり、どういう風に変えようとしたのか、またそこにはどのような葛藤があり、どういう賛同をえたのかといことを今一度民俗学の中で位置付けてみたいと思うのです。
これまでの研究が生活改善という言葉にゆらされて、どこかしらあまり有益な情報を得られていませんでしたので、保健婦というキーワードにもう一度立ち返って、考え直す必要性もあるのではないかと反省したことが今回の収穫です。
風光明美なところで身体も心もリフレッシュしました。
なぜいきなり長野県安曇野市かというと、穂高に「保健婦資料館」という施設があり、そこには保健婦関連の資料がかなり豊富に取りそろえてあるということをTwitterで知り合った方から情報を頂いたからです。
これまでのブログの記述からわかるとおり、私は生活改善の中でも保健衛生活動、とりわけ保健婦の活動を取り上げて研究しておりました。しかしながら、研究しているとは言っても保健婦がどのような存在でどういう活動を主たるものとしていたのか、どういう風に地域に入って行ったのかというのを聞き取りでしか知らず、基本情報としての知識があまりに少なかったのです。そこで「保健婦資料館」のお話しをいただいたのでして、これを機に一から保健婦という存在について勉強してみようと思い、いろいろと資料を集めてみたいと思ったのです。
これまで、私自身フィールドで資料を追うことはあっても、本格的な資料調査というのをしてきたわけではなく、どういう資料がそこにあるのか、どういう調べ方ができるのか、またどういう資料を選んで研究すべきなのかということを結構悩んでいました。正直なところ私の保健婦のイメージは、村の中で臨床を取り扱ったりする専門家という位置付けでしかなく、私の論文でも彼女を取り扱うのはどうもその職業性のみで語ってきたきらいがあります。しかしながら、保健婦の語ることについてよくよく考えてみると、ただ単に臨床でやってきたわけではありません、公衆衛生の知識を広く村人たちに触れて回るのですから、彼らの生活の中に直接入っていくことをしなければ、うわべだけのその場しのぎの活動になってしまいます。私が、兵庫県宍粟郡(現宍粟市)でお話しを聞いたA保健婦は、こんなことを申されていたのを今でも覚えています。「衛生環境が悪いことを説明するのに、まず生活をみてからじゃないとわからない。家庭訪問の際は些細なことでも、訪問家庭の生活事情を記録し、それをもとにしてさまざまな(公衆衛生活動ないし、保健)活動をおこなった」という。つまり、保健婦は村の生活について理解をしなければならず、そのために家庭訪問を繰り返し行い、そのたびに衛生知識の普及に努めたというのです。保健婦はこうした村人の立場の中に身をおいてこそ実践が可能のあのであって、単に臨床の現場だけを抑えておかばいいというわけではないのです。
そうしたこれまでの調査でうすうす気づいていたものを少しずつ考えていくことがこのところの私の作業でした。そこで、はたと気づいたのです。保健婦というのを職業として、保健活動を業務としてみているのでは、民俗学の中で保健婦を取り扱うのはかなり無機質になってしまわないかと。要するに、活動の流れや地域での位置付けをするだけでは、民俗とのかかわりは描けないし、たとえ描いたとしてもそれは人間の営みのなかでの生活と活動との間に隔たりをもったものになってしまわないかと。そういう心配をしたのです。よくよく考えてみると、保健婦というのは先にも話した通り、村の中に身を置いて活動しているわけですから、生活に深く根ざしており、民俗にも多大に影響を与えていたのではないかと思ったのです。人々の生活意識において保健婦が与えた影響は民俗学としても無視できないのではないかなと思ったのです。そして、これが重要なことなのですが、単なる活動の記述として民俗学で保健婦を扱うのではなく、村人と保健婦がどういう風に接してきたのか、そこでどのような生活への取り組みが向けられていったのか、その時どういう感情があったのかということも含めて立体的に活動をとらえる必要性があるのではないかと。今までの私のやり方っていうのはそこらへんの立体感にかけていて、どこ無機質な記述になっていたのではないかなとおもったのです。
そこで、話は少し戻るのですが、保健婦資料の中に「保健婦手記」という保健婦の活動を記録したものがあります。この資料は、度々書籍として刊行されており、私もそれを何点か集めています。その中で重要なのは、彼女らがいかに活動したのかということと同じぐらいに、どのような思いでどういう風に接してきたのかという、業務にかかわる苦悩や喜びといった感情が描かれていることです。保健婦は専門家ではありますが、その前に一人の人間として職務に当たっています。つまりそこには人間らしい、その表情豊かな記述があるということなのです。そこで、今一度この資料類をみていくことで、どうにか保健婦活動を立体的に描けないものかと思ったのです。保健婦活動はなにも兵庫県だけが特別ではないし、日本各地で様々な活動が営まれ、各地の保健婦は創意工夫しながら村の中に身を置き活動しています。そのことをもう少し知りたかったというのが、私を「保健婦資料館」へいざなったと思うのです。
保健婦資料館で所蔵されている資料の中には、そうした手記類は多数あります。そうした記述を丹念に見ていき、そこから民俗学にアプローチしてみることもできるのではないかと思っています。私のアプローチ方針としては、「保健婦手記」や保健婦の証言から、村人の生活にどういう風にかかわり、どういう風に変えようとしたのか、またそこにはどのような葛藤があり、どういう賛同をえたのかといことを今一度民俗学の中で位置付けてみたいと思うのです。
これまでの研究が生活改善という言葉にゆらされて、どこかしらあまり有益な情報を得られていませんでしたので、保健婦というキーワードにもう一度立ち返って、考え直す必要性もあるのではないかと反省したことが今回の収穫です。
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