こんにちは。
研究計画以外では久々の書き込みになります。
私は民俗学者の一人として生活研究を続けてきて、その中で保健婦を見てきました。いわば保健婦を方法としてみていたと思います。保健婦は人間であり、保健婦活動は人間味のある活動であるのに対して、どこか事務的にそれをみていたきらいがあります。機械的といってみてもいいのですが、そういう風にどこか「学問のための保健婦」という風に描いていました。アカデミズムにどっぷりつかりすぎていたためでしょうか、その保健婦がどういう人たちであったのかということをはっきりと描こうとはせず、その外観をもって生活変化に寄与したことを書いてきたのです。これは現在私が取り組もうとしている「保健師のための民俗学」とは全く逆の考え方です。保健師のためではなく自分のため、自己満足のためだけに保健婦を利用してきたというべき暴挙です。ここ数か月、保健婦の手記や様々な保健活動に対する記録類、書籍を見るの中で、そこに描かれる保健婦というのは私が外観として描いていたもの以上に、いや別物としてそれこそ人間としての保健婦を見ていました。ここは深く反省すべきことです。その反省の上に立ちながら、今一度計画書を記し、自己の内在化している保健婦像を今一度書き直してみる必要性があるように思います。今回、私がお話しするのは、そうした人間としての保健婦、それを民俗学でどう扱っていくのか、また将来的にこれを用いてどういう風に保健師と向き合っていかないといけないのかを考えてみたいと思います。
【民俗学研究の中における保健婦】
民俗学での保健婦研究というのは存在しません。最近でこそ男性産婆、介護の民俗学として職業者の民俗学的動向が見られるようになってきましたが、未だにそれらの減少は、人の生き死につまり人生の節目に活躍する人間にこそ着目されていると思われます。民俗学的に言えば、人生儀礼の合間合間における職業と民俗の関係性というものでしょうか、そういうものから語られます。また介護の民俗学は介護現場における回想法に対しての研究であり、その職業自体を取り扱ったものではないのです。多少そういう記述は見られるものの、民俗学的な分析をするためには、その職業そのものよりもその背景にあるもの、つまり人生設計があるのです。ところが、それに比べて保健婦にはそういう視点がないとみなされ、また医療従事者にしても人生の現場にありながらにして民俗学の学問上からは除外されてきた職業であると思われます。直接的な排除というものではなく、保健婦や医者がもつ医療技術、近代医学の恩恵について、そこに民俗を見いだせないかったということからなのだと感じます。前にTwitterでいろいろと議論をしましたが、民俗学にとっての「民俗」は未だに古いものに対して目が向いています。それは文化行政現場でも同じです。近代以降とくに昭和時代のものというのは歴史的にみてまだ価値がついて言っていないのが現状であり、民俗もまたそのような状況で、医療といえば民間医療、漢方薬や富山の置き薬に始まるものを主として研究対象に選んできたきらいがあります。ですから、民俗学が保健婦をはじめとする医者をどこか近代化の産物としてみて、その職業に対する関心は、民俗誌上に登場する一部の人間としてしか扱っていませんでした。
しかしながら、民俗のフィールドである農山漁村の場において、保健婦や医者という存在は切り捨てられるものなのでしょうか。戦前戦中を巡って医師がない村、無医村地区への政治的関心は大きく、それをいち早く打開することが富国強兵策へとつながる、農山漁村民の健康が成り立たなければ、国の兵力は地に落ちるそいう視点がありましたし、戦後においては無医村地区での感染症の放置や環境衛生の悪化、病気の温床としての農山漁村という風に描かれていました。こういうことを考えれば、そうした村にとって医療従事者である保健婦や医者というのは切っても切り離せないものであっただろうし、民俗学にとっても無視ができない存在であったに違いないのです。特に生活において保健婦や医者が果たした役割というのは計り知れません。生活は人の身体と密接であるがための活動を意味するのですから、その身体が病に侵されている状況というのは当然、死と隣り合わせの状況であり、密接に医療と結びついていなければならないのです。ともすれば、この保健婦らの存在というのは、単に「近代化の代物」として扱うのではなく、積極的に見ていくべき人々ではないでしょうか。