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2013年10月11日金曜日

日本民俗学会でのねらい②

2)民俗学における「保健婦」、医療従事者をどう位置付けるか
①保健婦と生活
 
 第二の視点としては、やはり今回取り扱う変化の諸相の代表選手である保健婦でしょうね。先に述べておきますが、保健婦に関する民俗学の研究は皆無です。助産師などのかかわりの中で述べられることはあっても、助産師や産婆ほど踏み込んだ研究はなされていません。なぜなされていないのか、実はまだはっきりとわかっていません。ですが、一言だけ言えます。民俗学の中における民俗、それはどこかしら「伝統」という縛りの中で考えられてきており、医療に代表されるような「近代化」というのとはどこか距離を置いているように思うのです。生活のすぐそばにあって描ける問題であるはずであるのに、これについての言及がさっぱりなのは、民俗としてそれを認識し、伝統とかそういう歴史的な中でとらえるには、あまりにも「浅い」領域であるからではないかと思うのです。但し、私からすれば、近代化という過程があってこそ生活は変化していったのであり、それをなかったことにすることなどはできませんし、生活研究の中における医療の在り方というのはそれこそ重要な位置を担っていたに違いありません。生活研究の中で「近代化」をとらえる研究は多数ありますし、このことについて全く論じてこなかったわけではありませんが、ことに医療に関しては未だに富山の置き薬研究をはじめとする、前近代のものがどのように近代化をしていったのかという風になっており、そこに医療従事者という人間が描かれていないというのが多々見られます。もちろん、産婆と助産婦(助産師)は別です。
 いずれにせよ、医療従事者という人間が生活に介入していることへの眼差しがすごく薄いのです。そこで、私は、医療従事者の中でも地域に入り込み、さらに地域住民の生活に密接に関わろうとした保健婦(保健師)を挙げてみました。保健婦について私が言及するのは、これまでの生活改善研究がらみで、保健婦が中心となり地域生活の変革を打ち出してきたという事実を、兵庫県宍粟郡千種町という事例の中で述べてきたからです。事実、この地域の生活の変化は、衣食住というカテゴリーにとらわれず、総体として保健婦が深く関与し、その働きかけを契機に地域がまとまりをみせ、生活革命へと移行していく変化の諸相を見ることができました。ただ、これがほかの地域にも言えるかというとそうではないことはわかります。暗になこぎつけであるとは思います。ですが、保健婦という職掌が、人々の生活に関わっているというその事実をもってしても、その影響はかなりのものと思います。
 私は、保健婦が生活にどう接近し、どういう風に対処してきたのか、またそれらの活動を住民はどのように思い、そして考え、実践に移してきたのかという。それこそ1)①で唱えたような、生活変化の有機的連関として、保健婦と地域住民を描いてみたいのです。

②保健婦と民俗学
 とまぁ、いろいろ御託を述べてきましたが、実は、これを民俗学内で位置づける場合において、単に生活変化に関わった人間であるからとするのは、かなり弱いです。かかわったという事実だけであれば、それこそ人間の人生の中でどれだけの人が関与し影響を与えているかなんて計り知れませんからね。
 だから、私はこの接合点について考えを巡らせなければいけません。現時点においてはっきりとした名言はできませんが、保健婦がおこなった行為、それは医療行為というものではなくて、身体を基準とする生活の悩み相談に応じることが主だったとみています。あとで述べますが、「保健婦の手記」という資料の中に散見する保健婦と地域住民の関係は、それこそケースへの対応として描かれているものの、そこに病気を治すという以外に、生活を整える、生活を改善するということのほうがより具体的に描かれています。病後のことも含め、社会福祉につとめるのが保健婦の務めでありますから、それはなおさらのことでしょう。そこで、私が言いたいのは、生活変化を民俗学の中で有機的なつながりでもって紹介する場合、生活を見つめる視点というのはどこにあるのかということを重要視したいのです。わかりにくい説明で恐縮ですが、生活を生活者の視点で取り上げる場合と、非生活者の視点で取り上げる場合とでは、全く異なりますし、双方の言い分はかなりの確率で摩擦を生じかねません。ですが、そうした摩擦を生じさせていくことが、変化を生むきっかけになると考えた場合、じゃあ、その非生活者という視点というのもやはり必要不可欠なものではないかと思うのです。民俗学で、いかにこれを取り扱うのかについては今後考えていくべき問題でしょうが、その一つとして非生活者として生活者に対峙した保健婦がどのように、その摩擦を繰り広げていったのかということは、生活研究の中では大きなことであると思うと同時に、民俗学内部において、新しい職業者的な視点を植え付けることにもつながります。
 まだまだ、分析が足りませんが、私の中では民俗学と保健婦の関係性はそこに起因するように思うのです。

日本民俗学会でのねらい①

 こんにちは。さてと、明日いよいよ新潟大学にて日本民俗学会年会がスタートします。二日間にわたっての会なのですが、一日目はフォーラムで、二日目から研究発表となります。

 それで、今回の発表についての意気込みを一言。

 「なんとかこれまでの民俗学の常識としてとらえられてきた、変化の諸相、物質や経済の発展性の中からとらえる生活変化を、もっと人を介して人によってはぐくまれる有機的変化へとベクトルを向けることができるように頑張る」

 詳細としては↓

【本発表のねらい】

1)生活変化からのねらい
①「変化」の認識を変える
 まず、今回の発表で最重要視したいのは、生活研究の位置づけを、これまでの物質変化を基準としたものから、人間関係という有機的変化へと変えていくこと。衣食住とあまりにカテゴライズされて物質化した変化を、そうしたカテゴリーで分けるのではなくて、生活総体としてとらえなおし、さらに人間の有機的つながりをそこに見出すことにしたい。
 これまで、私の投稿をご覧いただいた方はわかっていただけていると思いますが。私は、生活というのを「動かす側」と「受ける側」という二つの関係性の中で論じています。私のこれまでの論文にも多く登場してきましたが、生活というのは一方的に変わることはあり得ません。ちゃんと「受ける側」が試行錯誤しながらそれを考え、その考えに基づき取捨選択した結果が「変化」であると考えます。一口に変化といってもそこには多くの段階があり、その結果を私たちは「変化」と認識しています。
 だから、民俗学はその結果だけをみて答えを出していたのでは、それは「変化」の中身をあまりにも軽視しすぎているように思います。社会変化や大きな歴史的潮流というのはありますし、それによって生活の外観が変化することはわかります。ですが、それがすべてであるという風にしてしまうことは危険だと思うのです。
 社会の変動というのをとらえる側はそれこそ千差万別であり、角度によっては社会の変動の受け具合がまた違った形になっている可能性も否定できません。地域の変化を考えるうえで、確かに社会変動と結びつけながら、歴史の中に置き換えることも重要ではあると思いますが、ただ単にそうみるのではなくて、そこに関わる人々の在り方とか、関係性とかそういう有機的な、動態的なファクターも必要となります。
 私は歴史を否定するわけではありませんし、歴史的潮流や社会変動をないがしろにするわけではありません。ただ、もう少し地域を丁寧に扱うことはできないだろうかと思うのです。地域変化と社会変化、生活変化を一つの変化のようにして扱うこと自体が本来は難しいはずですから。だからこそ、もっと違うファクターでもってとらえなおすことが地域の実情をとらえるうえで友好的であると思うのです。「変化」のとらえ方を、認識を、今一度再確認することがねらいです。

②カテゴライズされる生活を開放する
 また、先に述べたように、カテゴライズされた衣食住という分け方にも問題があります。衣食住という生活の分け方が、実際の生活上で意味をなすものであるかということについて、私は疑問に思います。衣食住はその三つ巴の関係が複雑に絡まり、さらにそこに人間が介してより立体的にとらえられるべきであってしかるべきなのです。衣生活、食生活、住生活の研究を否定するわけではありませんが、じゃあそれらの有機的関係性にどれだけ民俗学がアプローチしてきたのでしょうか。
 ここで従来の研究史を明らかにしたいのですが、何分そこまでの力量が伴っていないため、研究者個々人の名前をここで表明することは致しません。ただいえることだけを申し上げます。もともとこうしたカテゴライズを作ったのは柳田國男からの流れがあるのでしょうが、そのあとの民具研究にも大きな影響があると考えます。民具研究の中における生活は、それこそ道具をまず整理して分けることからなされます。その過程で出てくるのが衣食住というカテゴリーです。そのカテゴリーに分けていく作業をしていくうちに、その物質の伝来とかそういう風なものに関しては目が向きますが、生活という総体の中においてそれがどういう風にほかのカテゴリーと連関しているのかということは述べられていません。大枠としてその物質がたどってきた道のりを見ていくのであって、その中身における人と物との関係性がそこには入り込む余地がなかったように思います。
 
 さらにいえば、民具研究だけに限らず、生業やそのほか人々の暮らしを考え上で私たち民俗学者が指標としていたのは、生活を切り刻んだカテゴライズ化された様相です。民俗誌がまさにその真骨頂でしょうね。その民俗誌から見えるものは、それこそ断片的な生活の諸相です。そこに横のつながりはありませんし、人間の営みを見出すには断片的すぎてわかりづらいのがあります。ただ、これを民俗学の内部においては、衣食住のこうした民俗誌を「資料」として認識し、そこのエッセンスを持って、「生活」という風に表しているきらいがあります。つまり、衣食住というカテゴライズの中からエッセンスを抽出し、その中で民俗学は生活を描いていたという風になります。
 批判的に聞こえたら申し訳ないのですが、こうした民俗学のとらえ方というのは分析上致し方がない部分も多分にあります。それこそ柳田の分析方法を唱えるならば、地域という単位ではなくて全国規模におけるその分布と伝播、さらにそこに位置づけられる歴史性を見出す中で、どうしても対象を抽出的にみてしまわないとつじつまが合わない部分が出てくるのが現実としてあります。現在の民俗学、特に地域民俗学の中でも多くこれがありますが、対象となる地域と他地域との差別化をはかるとき、どうしてもこのカテゴライズされた中の内容を抽出的に取り上げ、そこの上でこう暮らしが違うという風に述べてしまいがちです。
 これ自体に問題があるというわけではありませんが、ただこの図式から言えばじゃあそこに暮らす人々の動きはとらえられているのか、生活を営んでいる人を抽出的なもの、断片的なものから得られるのかということを考えたとき、従来の研究の方針では難しいのではないかと思うのです。だから、私はあえて、抽出的に衣食住を扱うのではなく、生活の相対的な動きとしてのそれを見出そうとしているのです。カテゴライズされる生活を開放するのが次のねらいです。
(*但し、今回の発表ではそこについては言及を避けています。発表の本旨は①なので、カテゴライズについて述べるのは論文になってからにしたいと思います。)