ページ

2012年6月16日土曜日

発表要旨


生活改善とは生活の合理化近代化を進めた活動のことを指す。このように従来の研究では言われてきた。確かに活動の面ではこの言葉が妥当であることはわかる。但し、そこにそれを受ける側、地域住民の姿はあるだろうか。この合理化近代化をどうみていたのか。そうした部分についての視差はいまだ少ない。

 本発表では、生活改善の活動における地域住民の反応、特に地域住民が生活改善をどのようにとらえ、どのようにして受容していったのかを述べたい。また、受け手側だけの受容をみても全体像はみえない。そこで、活動を推進した側の地域住民に対する視線というものにも注目して考えてみたい。ここで述べる生活改善は、その活動が行われたときに人々がどう思っていたのか、どう感じていたのかを明確にするため、記憶の鮮明な戦後の生活改善を取り上げておきたい。戦後の生活改善に関しては田中宣一氏の『暮らしの革命』(農文協 2011)に詳しく記されているが、本発表で扱う生活改善は地域という現場でどういう活動が起こって、どう受け取られていたのかを前提とするため、戦後の大きな潮流で扱われる生活改善普及事業や新生活運動とは少し違った見方をしたい。というのも、これらの活動は地域においてはそうそう区別されて動いていたわけではなく、混ざってそこにあったというほうが正しい。つまり、活動を区分して分析するよりも現実、その活動がどうあったのかというありのままを見つめることが優先される。ここではあえて生活改善をそのままの活動主体によって概念づけるのではなく、地域住民の中で、地域の中でどうあったかを優先させたい。また生活改善を「合理化近代化」というのではなく「生活を改める活動」としてとらえ直したい。

 具体的には兵庫県宍粟市千種町の昭和30年代から40年代にかけて行われた活動(地域保健活動ともいう)を取りあげ、行政や地域住民がどう動いてどういう風な対応をし、どういう反応があったのかを考えてみたい。それを解くことで、生活改善が単に合理化近代化を目指した活動とされるのではなく、もっと根本的に生活の質を変えようとしたこと、その活動を地域住民が意識的に選択し受け入れたことを明らかにしたい。