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2014年5月25日日曜日

助言者たるもの

先日、稲葉峯雄氏のお墓参りに同行させていただき、また蓬の会という稲葉氏を囲う保健師たちの会の方々から、稲葉峯雄氏についていろいろお伺いしました。

私は稲葉氏に対して、本著でしか存じ上げませんし、語りのなかの人となったしまった今、そこから得られる稲葉峯雄像について拝聴できることは大変喜ばしいことで、会や奥様、娘様とのお話は私にとって新たな稲葉峯雄氏の発見でした。

その話のなかで、蓬の会の面々が口を揃えて稲葉氏を評するに、稲葉峯雄氏という人は、器が大きく包容力が豊かで、人の話を聴くこと、耳を傾けそこから学ぶことを一生懸命なさっておられた方だと言うことを聴きました。

稲葉氏の著書『草の根に生きる』のなかで、稲葉氏は助言者たることについて、助言者は耳を傾けることにこそあり、そこでキラリとひかるものを見つけ、それについて提言したり、全体を俯瞰することにこそ役割があるとされておられます。

蓬の会で稲葉氏は皆が読書会を通じて思うこと、また地域の現場であったことをレポートするときに、その話をじっくりと聴き、その上で自身が思うこと、感じることを述べられておられたと聴きました。

そのときハッとしました。私はこれまでの調査で、稲葉氏のこの助言者たることについて理解しているつもりで、話者との語りに臨んでおりましたが、どこか自己満足に終わり、話者の生活疑問を聴くことができたか、話者に私の顔よりも私と話者自身の言葉にキラリとしたものが見出せたかどうかと言う点で、まだまだ稲葉氏の背中は遠いなぁと思う限りでした。

助言者たるもの、聴き耳を育て、相手を話のなかで育て、話を相手のものにすることこそ意義がある。

多分、稲葉氏の心掛けとしてこの言葉が一番であったのではないでしょうかね。

2014年5月23日金曜日

愛媛県南予の「地区診断」と民俗

保健婦資料館で見つけた一冊の本。

稲葉峯雄氏の『草の根に生きる』から始まった愛媛県南予の地区診断調査。

「地区診断」とは愛媛県の場合、昭和34年を機に県の共同保健計画が立ち上がり、その中で当時宇和島保健所に衛生教育係りとして赴任していた、稲葉峯雄氏が地域の包括的な予防を含め、衛生教育、社会教育を通じ、住民の自主性を育てながら、住民自らが生活を見直し、地区全体の健康管理を促す活動として立案され、施行されたものである。

この「地区診断」については、長野県にある佐久総合病院が昭和30年代から医師が自ら地域に入り、活動しその中で旧八千穂村を地区に行った全村健康管理事業、また同時期岩手県旧沢内村で深沢村長のもとで実施された健康管理運動とも、深い繋がりを持つ。愛媛県の保健師は、愛媛県で行われた「地区診断」を「愛媛モデル」として語り継いでいる。

愛媛モデルの「地区診断」をこのように、「 」書きにするのは意味がある。これまで愛媛県において、共同保健計画として進められた地区診断事業は昭和40年代に入り、地域の実情にそぐわない、予算編成の中で無駄であるとの指摘を受け、活動が縮小化しその意味合いが保健計画のそれとして理解される限り、その後の活動を含めより現場においてどういう風な形がなされていたのかという評価基準が、実施された昭和30年代末と40年代とでは全く異なるし、40年代以降の活動について県は消極的な対応をとっている。
本研究で地区診断を行政や県の立場から理解するならば、その後の活動について話すことはなくなり、また県の評価基準の中で活動の本質を知ることができない。そのため、本研究は地区診断をもっと広い視野で、もっと現場に則して理解すべきと考え、あえて「 」書きににさせてもらっている。

先に述べたように「地区診断」が目指したのは、住民の自主性を培うことであり、施す医療や保健事業とは全く異質な認識を有している。この認識においては、他の長野県、岩手県も同様であり、農村医学的には医療の社会化として評価される。つまり、予防医学やその他諸々の学問的な領域を越えて、社会、生活の母体に対してアプローチしようとしたのが「地区診断」と言えよう。

さて、私がこの「地区診断」を民俗学で取り上げる理由であるが、この事業及び活動は、地域生活を根底から見直す役割を担っており、活動の在り方一つとっても、それこそ住民主体であるから生活全般にわたって大きな影響力を持っている。
私は民俗学の視座は生活においてどのような変化があったのか、その変化の原因は何か、また経世済民の学として地域の諸問題に対して見つめ直す学問のそれとしてあると考える。その意味において、「地区診断」はまさにその位置づけを明確にしている点で、民俗学の方法論を実戦的にしたいい例である。私は、この他、「地区診断」が住民側にどのように理解されてきたのか、その後の生活においてどのような判断基準となり得たかを観察することによって、地域の流動的、そして人の動きのそれとして描かれていると思う。

本研究の視座はこのような視点で持って発展的に捉えられるものである。