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2009年8月21日金曜日

新論文作成中

 新しい論文を作成してみました。今回は、千種町いずみ会の動向だけでなく、それを内包していた行政の動きならびに、その先頭に立って指揮をしていたA保健婦の足跡からたどるものとなっています。

ある保健婦の足跡から見る地域の健康増進運動の展開
 ―行政、地域住民参画型事業の活動実態について―

 本研究は、昭和四〇年代以降、兵庫県宍粟市千種町の地域生活の変遷過程において影響を及ぼしたとされる、婦人会団体千種町いずみ会と行政が行った健康増進運動の実態と地域住民によるその活動の受容を新たにA保健婦の視点から見直すものである。
 以前、千種町いずみ会、行政が地域の生活の向上と健康増進運動について地域住民の生活に彼らはどのように入り込み、そしてどう「生活改善」を行い、いかにして地域の要望に従った活動がなされていたかを論じた。その際、千種町いずみ会を中心に、A保健婦や行政の協力のもと啓発運動や栄養改善、健康診断などを通じて地域住民の生活範囲内で活動しながら、「健康」に対する認識を植えつけていき、地域住民の「健康不安」に応えるべく様々な「生活改善」を行い、結果的に生活にそれが浸透し、受容されたと述べた。
 しかしながらこれらは地域団体である千種町いずみ会の視点からの動きであって、そこに関わり、彼らを支持し導いていったとある人物からの視点は、皆無に等しい。地域活動に一人の人物に焦点を当てて描くのは、大変難しく問題も多い。だが、地域活動の要となっていたこの人物を取り上げないことには、地域活動の実態自体を明確に見つめることはできないと考える。そこで、そのとある人物、昭和四〇年代以降、千種町保健婦として活躍していたA保健婦からの視点で地域活動を捉えなおし、また彼女の「語る」ライフヒストリーを通じて、千種町いずみ会らが行った「生活改善」を見なおしてみたい。また、この研究は「A保健婦の語り」を中心に関係者及び地域住民の「語り」も含め総合的に地域の健康がどのように「語られ」活動がどう展開していったのかを求めるものである。
 昭和三〇年代から四〇年代にかけては、千種町の社会情勢ならびに地域生活環境が目まぐるしく変わる時期である。特に、保健衛生面での活動がそれらに大きく影響を及ぼしている。乳幼児の多産多死、児童の成長不良、脳卒中や脳梗塞ならびに高血圧症患者の増加、十二指腸虫(鉤虫)などの寄生虫による健康被害が代表的である。これらは、一刻も早く解決する必要性があったが、地域住民の中にはこれらについて関心を持つ者がおらず。地域に「健康」「衛生」というもの自体が浸透していなかった時代でもあった。
 そうした住民の意識の低い中、千種町保健婦として活躍したA保健婦の存在がある。彼女の活動は、母子保健や食生活改善と栄養改善、公衆衛生や保健医療にかかわる衛生改善指導、受胎調整(家族計画)などといった多岐にわたるものであった。そして、時を同じく地域の保健活動に協力的に関わっていたのが、千種町いずみ会である。そうした地域住民組織との関係の一方で行政による健康増進運動が展開されていった。

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