本日、生活改善諸活動についての論文の書評を大学の講義を使わせていただいて発表してみました。今までに何度か生活改善諸活動の研究史をまとめる中で、使っていた論文だったので、それほど苦労せずに淡々と発表することができましたが、やはり生活改善諸活動に対する研究の民俗学からの風当たりは強いものですと実感しました。と言いますのも今回取り上げた田中宣一氏「生活改善諸活動と民俗の変容」「生活改善諸活動と民俗―「官」の論理と「民」の論理―」の二つの論文はそれぞれ構成や考え方が違うのですが、いずれの研究も「民俗の変容」がキーとしてあり、民俗学研究への位置づけはそこからが出発点となっているようです。しかしながら、これらの論は、そうした民俗の変容を追う一方で生活改善諸活動そのものの動きや理念に偏り、一見生活改善の説明書のように見えないこともありません。田中氏はこれらの論の中で言いたいのは、生活改善諸活動という「官」の動きに対し、伝承生活の場である「民」のそれらへの受容はどうであったのかを深く考える必要性があるということです。つまり民俗の変容があってこその手段として生活改善諸活動を用いているという感じです。
こうした、生活改善諸活動の研究に対しての田中氏の提言はおおよそのところ、今後出てくるであろう私のような生活改善を研究する研究者に対し、生活改善諸活動研究の必要性と、民俗の変容を考えることの大切さを告げるものでした。正直なところ、この想いについては理解できるのですが、私としては物足りない感がいっぱいな論文でした。
2009年10月19日月曜日
地域保健運動が抱えていた謎
10月の調査も終了し、実りのある調査ができたはずでした…しかしながら、私の勉強不足と経験不足により、聞き取り調査は困難を極め、かなり話者サイドに引っ張られる形で終了しました。それがよかったのかどうかは、まだまとめていないのでわかりかねますがね。
それより、今回の調査でのメインは、A保健婦の実態について調べることだったのですが、いろいろと彼女の周辺を調べていると、県や町行政、保健所、リーダー養成講座による各地区のリーダーたちと登場人物が増幅していき、結構まとめるのに苦労しています。しかし、こうして調べてみれば見るほど、千種町の地域保健運動(活動)が抱えていた問題の大きさに驚きを隠しえません。というか、なぜこの活動が奨励されなければならなかったのかというところで謎が多い活動でもあります。つまり、本来なら「地域の健康」を目指すための地域活動であったものが、途中から地域医療費の削減を目的としたものへと切り替わり、純粋に地域保健を考える活動というような形になっていないのです。活動には一本の筋道があるようには見えるのですが、かなり迷走しながら事業として確立していった過程が浮き彫りにされました。
論文ではA保健婦のことがメインとなりますが、彼女のライフヒストリーの描き方にも少し考えるとことがあります。方法論としてのライフヒストリーといいますか、私がやりたいことは単に一人の女性にピントを合わせるだけでなく、その周縁に隠れた地域保健運動の実態とその歴史的過程を明らかにすることです。ですので、通常のライフヒストリー研究からは逸脱したモノの考え方になってしまうのでしょうが、何とかなるでしょう。
それより、今回の調査でのメインは、A保健婦の実態について調べることだったのですが、いろいろと彼女の周辺を調べていると、県や町行政、保健所、リーダー養成講座による各地区のリーダーたちと登場人物が増幅していき、結構まとめるのに苦労しています。しかし、こうして調べてみれば見るほど、千種町の地域保健運動(活動)が抱えていた問題の大きさに驚きを隠しえません。というか、なぜこの活動が奨励されなければならなかったのかというところで謎が多い活動でもあります。つまり、本来なら「地域の健康」を目指すための地域活動であったものが、途中から地域医療費の削減を目的としたものへと切り替わり、純粋に地域保健を考える活動というような形になっていないのです。活動には一本の筋道があるようには見えるのですが、かなり迷走しながら事業として確立していった過程が浮き彫りにされました。
論文ではA保健婦のことがメインとなりますが、彼女のライフヒストリーの描き方にも少し考えるとことがあります。方法論としてのライフヒストリーといいますか、私がやりたいことは単に一人の女性にピントを合わせるだけでなく、その周縁に隠れた地域保健運動の実態とその歴史的過程を明らかにすることです。ですので、通常のライフヒストリー研究からは逸脱したモノの考え方になってしまうのでしょうが、何とかなるでしょう。
登録:
投稿 (Atom)