こんばんは。さてと、この間の研究計画書を読んでいただけたでしょうか。まだご覧になっていない方は少しご覧いただいたうえで、この記事を見ていただければ幸いです。
以下の文章は、先ほど保健所よりご照会いただいた方々に向けて、私なりの調査へのこだわりとしてお伝えしたことになります。若干長いですけど、少し文脈を整えて述べますね。
「戦後の愛媛県の稲葉峯雄をめぐる保健婦活動(仮)】
【愛媛県の調査にむけて】
この度の調査は、私が稲葉峯雄氏の『草の根に生きる ―愛媛の農村からの報告―』(岩波書店 1973)を拝読したことから始まりました。私は研究計画書(少し小難しいものになっていましたので再度整理させていただいたものを添付いたしますので、ご確認いただければ幸いです)にも書かせていただいてりましたが、民俗学という学問における生活研究を求める際に過去の保健婦の方々が、農村生活をどのようにご覧になり、そしてそれをどのようにして地域の方々が見て、また地域の方々と一緒になって保健活動を作り上げてきたのかという経緯を、歴史的にそして生活の変化をとらえる民俗学的に分析研究したいと考えております。
【「保健婦の手記」とのつながり】
主に保健婦の方々がご自身でおか気になられた「保健婦の手記」をベースに、そのほか保健活動に協力的であった医師や衛生教育家などの手記並びに報告を参考に調べております。
その中で、稲葉峯雄氏の著書に出会い、その草の根の活動に感激を覚え、そうした活動がどのように生まれたのか、稲葉氏の足跡もさながら、地域で働いておられた保健婦の方々がどのように地域と接してこられたのかを、実際に愛媛県内を歩いてみて見聞きしながらその当時のことをお聞かせ願いたいと考えております。
【保健婦活動の研究のあり方と私のスタンス】
従来保健婦活動に関する研究としては、事業の流れであったり、高知県の駐在保健婦や青森県の派遣保健婦の活動などが報告されていますが、いずれも制度的な面が強く、保健婦の人間性について、 保健婦がどのように考えどのように事例に取り組んだのかということが明らかにされていません。保健婦資料館はそうした保健婦個々人の記録を集めて、そこから学びとれるものを研究しております。私自身は、保健婦資料館の研究員であると同時に日本民俗学会の会員でもありまして、人々の生活の中で保健婦が果たした役割というのを、保健婦と地域住民の方々との接触から順を追って明らかにしていきたいと考えております。
【保健婦と保健師をつなぐとりくみとして】
①保健婦と保健師と
また、この研究は単に保健婦の足跡、歴史を明らかにしていくものだけでなく、もう一つ私の取り組みがございます。実は、「保健婦の手記」類を読んでおりましたところ、この経験は今の保健師にもつなげられるものがないだろうかと思ったことからです。
②五十嵐松代氏と保健師との対話の中で
今年の1月に大阪で行われておりました全国保健師研究集会に保健婦資料館の菊池様よりご招待いただき、それで保健師の現実についていろいろ拝聴させていただきました。
その中で、新潟県の保健婦である五十嵐松代様ともお会いしていたのですが、その時お話しになっていたのが「家庭訪問」のことでした。五十嵐様は若い保健師の方々に向けて「家庭訪問」の大切さについて、自身の経験をお話しになり、且つ若い方々が今どのような「家庭訪問」をなさっておられるのかをお聞きになっておられました。その中で、若い保健師の方々がお話しになったのが、今の保健師の現状は事業に追われ、事務作業がほとんどで、ケースはともかくとしても家庭訪問にその都度出ていけるだけの余裕がなく、行政機構の中での限界があるとのお話が出ました。このことについては、以前ほかの保健婦の方からもお聞きしていたことではありましたが、実際お聞きして、そういう現実があるのかと驚くとともに、何かしら地域とのつながりとしてあった保健婦の「家庭訪問」の経験が失われつつあるのではいかと思ったのです。
③「家庭訪問」の経験を今こそ見つめ直す
私は保健師ではございませんので、そうした感覚がどういう風に失われつつあるのかが気になりますし、これまで「保健婦の手記」を調べてきた手前、その保健婦による「家庭訪問」の経験は、人と人をつなぐ意味においてもかなり重要な役割を担う仕事であり、且つ保健婦が生きがいにしていたものだと思っています。
私が生活研究の中で保健婦のことを調べ出したのは、兵庫県宍粟郡千種町(現宍 粟市)で活躍されておられた保健婦さんから直接地域との接触のあり方を学ばせていただき、またお話しを聴くたびに、その活動が地域の骨組みを作って言ったことを知ったのです。現在は千種町も過疎化が進み、こうした取り組みは行われなくなりましたが、その精神は今でも健在で、多くの住民の方々がその時の活動を振り返り、生き生きとした顔で語ってくださいました。そうした様子を見るたびに、私はこうした保健婦の経験というのは、地域生活を考える上で外せないと物であるとともに、それを忘れてしまってはダメだ、現在の保健師さんにバトンタッチして、それで保健師の方々と地域住民の方々が一緒になって、地域の中で何が問題であるのかという生活疑問をとらえ、積極的に考えて行くことが必要だと思うのです。
④保健婦と保健師との間にたって
もちろん、それには行政の支援が必要ではありますが、その前段階として、まず、保健婦の経験を集め、そこから学べることを考えつつ、現在保健師が抱えている様々なケースの問題を多角的にとらえることはできないかと思うのです。保健師の教育課程ではどうしても、公衆衛生上のこと、母子保健のことなど事業別な話が多く、そこで学べることは限られていると思います。実際に現場に行ってみないことにはわからないことも多くあるでしょう。そこで問題にぶち当たることもあると思います。そうした時に、ふと昔の保健婦のやってきた知識や経験を、思い起こしてこうした場合はこういう風なことも可能ではないのかという考えをもつこともできると思うのです。但し、昔の保健婦と現在の保健師では考え方や、事業の内容自体も異なりますし、すぐにその経験を活かせることは難しいかと存じます。ですが、地域全体を見た時、事業自体よりも広い視野が問われてきます。この時に、果たして事業別の考え方でいいのかどうなのか、そこが問題だと思うのです。そこで、そうした地域の総体、生活自体を直に見聞きしてきた昔の経験が何かの役に立つのではないかと私は思うのです。
このようなことで、私は保健師と保健婦の橋渡しといいますか、接合点を探しつつ、このような経験を活かした何かができればと研究の実践性について考えるわけです。まだまだ、知識が浅く、保健師でもない人間がこのような大層なことを申し上げるのは大変失礼かと思いますが、そうした保健師の未来に ついて、話が持てるような調査研究がしたいのです。
【まとめにかえて】
今回メールにて以上の文面を送らせていただいたのですが、私が言いたいことは二つあります。一つは稲葉峯雄氏が関わった『草の根に生きる』に描かれた活動を、もう少し具体的に保健婦の語りとしてその当時を思い起こしながら歴史的に、生活の変化をとらえる民俗学的にとらえることができないかということ。もう一つに、保健婦の経験を、特に「家庭訪問」に見られるような地域との取り組み、接合点の中で保健婦はどうであったのかを見直し、現在の保健師がそれを知識として身につけ、保健婦と保健師をつなぐとりくみがしたいということです。
私は以前より民俗学の実践的取り組みを何かないかと考えてきました。これまでもいろいろと地域に出ては保健婦や地域住民と関わり、何かお役に立てることはないかと考えてきました。学問的な縛りの中で何もかもが論文などの紙媒体でのみ、地域に返還されるのではなくて、どこかしらその知識を実用性をもたせて芽を出させる努力を民俗学者側がした方がいいのではないかと思うのです。
一見して荒唐無稽でそんなのは民俗学じゃないと言われるかもしれません。しかしながら、柳田國男の言葉を借りてこの実践は「生活疑問」を解くことで「未来」を見つめることをする学問的な研究であり、実践であると考えます。ともすれば、これは立派な民俗学の分野の構築ではないかと考えるわけです。
最後に、このような見方をすると何かしらおかしいかも知れませんが、「地域の役に立つこと」そういう使命感を民俗学を学んできたものとして、保健婦と出会ったものとしてやっていきたいという覚悟から、私は今を追い続けるのだと思うのです。
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