さて、本日は日本民俗学会年会in新潟大学二日目で、発表日でありました。発表内容は以前よりこのブログをご覧いただいていた方々はお分かりいただいていらっしゃると思いますが、「手記にみる日常生活―保健婦と農婦が綴る生活変化の断面―」というもので、生活変化の構造を理解するうえで単に物質に依拠しない人間を介した有機的な関係性を、保健婦と農婦との関わりとそれによって生じた生活変化、特に女性の発言権の確保に迫ってみました。発表は20分と限られた時間中で、私が集中して今回挑んだのは、「保健婦の手記」「農婦の手記」の紹介でした。
しかしながら、こうやって発表に踏み切ってみると思いも知らない場所から漏れが生じていることがよくわかり反省する限りでありました。特に、手記の紹介に終始していたこともあって、生活変化の具体的様相に触れることもありませんでしたし、変化後に女性の発言権がどうなったのかという部分について言及できなかったことが悔やまれます。フロアーから上がった今後の課題について少しまとめておきたいと思います。私が整理する限りにおいて下記の課題が挙げられました。どれも重要な内容ですし、①に至ってはそもそもこうした研究に対しての先行研究の提示がまったくなかったことによるご批判でした。このご指摘を真摯に受け取り、今後の研究に生かしていきたく存じます。
①
有機的なつながりを持つ生活として打ち出しているものの、その研究史に関することが出されておらず、発表も研究史を踏まえていない。研究史を踏まえたうえで着眼点を探ることが重要。
②
女性史の立場。女性と生活とのかかわり方について、特に家内労働と賃金労働とのかかわり方を整理する必要性がある。例:「嫁が稼ぎに出ていた」というのはどういう意味を持っているのか、それがなぜ女性の地位向上という役割を担っていなかったのか。
③
「保健婦」と「農婦」という言葉の定義をそのまま運用していいのかどうか。並列に扱うことのできない言葉を扱っている点。女性や嫁という言葉に置き換えるか工夫をすることが大切。
④
「保健婦の手記」を民俗学的にとらえる。資料論。特性と見方を方向付ける。
⑤
地域に対する説明の皆無。行政の予算額などの行政資料の補てん。⇒地域を描きなおす。なぜ日吉町を扱うのかということ。
⑥
日吉町外の全国的な流れを俯瞰する。生活レベルがどうあったのかという点を具体的にとらえる必要性がある。年表化が必要。地域と社会と個人(保健婦)
反省のまとめ
手記をみてもらうがために提示に走ったことが原因。細かい部分、研究史や分析方法の在り方、結論への結び付けについてが曖昧であった。批判論から入るのにもかかわらず、研究史への読み込みが足りなかった。
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