こんにちは。歳末の夕暮れ時、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。私は歳末に当たり、資料の整理や資料の扱いについて吟味して過ごしております。
さて、その資料のことについて今回はお話しさせていただこうかと思います。
たびたび、このブログでも取り上げております「保健婦手記」の取り扱いといいますか、分析の方向性について論じたいと思います。
保健婦手記につきましてはこれまでも論じてきましたので、ざっくりとした説明になりますが、これは保健婦が自らの手によって読者である同僚やその他保健医療に関心のある読者に向けて発信したメッセージの高い資料になります。『生活教育』の「保健婦の手記」の場合は、その性格が強く、あげられる事例のほとんどが日々の業務における悩みや、自分の体験したことまた相談したいことについて発言する場となっています。この発言は一応選考があるので、雑誌編集側の意図がありますが、概ねそれに投稿をしようとする保健婦は、誰かに読まれること、また誰かに伝えようという意志からそれを掲載しています。業務の内容に触れることというのは、プライベートな部分もあり、なかなか難しいものではあるものの、そこは保健婦の記述によってカバーされており、保健婦の主観や視点からの公衆衛生状況が垣間見えるものであります。また、『生活教育』に限らず、様々な保健婦手記がこれまでに発刊されており、それが一つ一つ保健婦の経験知によるものであり、日記のようなものから小説に至るまで様々な形態として挙がっています。いずれの資料についても一環としてうかがえることは、単なる読み物としてのそれではないこと、読者である保健婦やそのほかの人々に向けて、自分たちの意見、自分たちの考え方を表明し、それを社会に届けるということを役割としているのが保健婦手記になります。
保健婦手記の定義についてはまだ私の中で固まったものがないため、上記のような形でざっくばらんに定めております。では、日記と手記ではどう違うのかということを考えると、かアンリ難しいところはあるのですが、私の場合、日記というのは日々の業務や行動を記録しそしてそれを自己で管理するものとしてのそれだと思っております。それに比べて手記というのは様々なものがありますが、いずれもそれは日記を発展させそれを他者の中で広めることを意義としているのではないでしょうか。このようなことから私は、「手記」というものをもっとパブリックなものとして見ていきたいと考えております。故に、ライフヒストリーとしての視野もさながら、公的な視点としてのそれを兼ね備えたものであり、多元的な議論ができうるものであると位置づけます。
民俗学においてこうした視野があったかどうかについてはまだこれから研究を進めていかなければならないところですが、保健婦という限られた職掌における「保健婦手記」というものについての扱いはこれが初めてではないかと思います。保健婦について民俗学で言及したものはほとんどなく、保健医療の分野で一番多いものといえばやはり助産婦や産婆といった臨床の立場の人間、特に人生の過渡期にあたる部分おける人の役割として論じられることが多く、この助産婦らにしてもその職掌というよりもどこかそれらがもっていた技術的なもの、慣習的なものが民俗学の研究対象になっています。いずれにしても、民俗学での保健医療の研究については、未だにその職掌をおさえておらず、記録にとどまった人間としての位置づけにしかなっていません。彼らがどういう役割を担い、どういう風な活動を行っていたのか、またそれが村にとってどういう風な影響力を持ち、生活の上に成り立っていたのかという視点はほとんど見られないのです。私は、民俗学における生活研究の中で保健婦をみているわけですが、生活の変化の中には様々な人物が影響を与えているものの、その中でずば抜けて影響力を持っているのが医療従事者であることをこれまでの研究から発言したいと思っています。人間の行動のそれぞれはどこかしら身体的な障害を起点にして、それから脱することを基本としていますので、そうした場合一番に身体にアプローチできるのは医療従事者ではないかと考えるわけです。で、医療従事者の中でも、生活に直結する形であるのが、保健婦というわけです。彼らの行動を見ていくと、医者や看護婦や助産婦などと違って、日常的に人々と接し、その接する中で生活の問題、身体の問題について提言し、そして生活を変えようとした人物なのです。ともすれば、これは民俗学における生活の変化を見る中で、いの一番に見る必要性がるの職掌ではないかとも思ったりします。つまり、保健婦をみることで民俗学における生活の変化の諸相を今一度とらえなおし、もっと身体的に具体的な人間模様として描きなおせるのではないかと思うのです。また、もう一つに私の目的としてはこれらの人間模様から見られる、保健婦が果たした役割を鑑み、現代の保健師たちに保健業務にあたるうえでの心構えというか、体験としての保健婦の経験を今の仕事に生かしてくれることを願い、この研究を実践的にしたいと考えています。実践的な研究にするためには、今一度これまでの保健婦の経験をうまく整理することが重要となってくるわけですので、「保健婦手記」というものの研究はその意味でも重要な役割を担ってくれると考えます。
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