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2013年4月26日金曜日

研究計画立案「保健婦から見た生活変化と民俗学的アプローチ」途中ですが…



ご無沙汰してます。そろそろ研究をまとめにかからないといけないこともあって、少しでいいから考えを整理するために計画書というか思案書をかいてみました。



研究計画書



研究題目:「保健婦からみた生活変化と民俗学的アプローチ」(日本民俗学会発表用には「保健婦からみる民俗学の可能性」としています)



副題:「「保健婦の手記」からみられる農山村の生活実態と、保健活動の取り組みのよって変化する生活模様について」







内容:



はじめに



 本研究は、従来の民俗学での生活研究のあり方が、衣食住という三分割にされて、それぞれにおいて物レベルで述べられてきた事象を、一度生活の総体として見直し、且つその生活がいかにして変化してきたのかを問うことを第一の目的としている。本来、過去にある事象をこれまで民俗学は「民俗」として追ってきたが、本研究での「民俗」はそれと異なり、より変化の過程に主眼を移し、変化してきたことにこそ意義があるという見方でもってそこに「民俗」を考えてみたい。つまり、祭礼や儀礼といった習俗の残存、持続、継承といった過去への分析ではなく、現代に向かってきている過程を分析することを主体としたい。







研究の方向



 では、具体的にその生活の変化について少し取り上げておきたい。従来の民俗学での生活の変化というのは、先にも述べたとおり物質変化を中心に描いてきた経緯がある。これはどこに「民俗」を考えるのかということを念頭に置いた考えから来るもので、当然ながら昔使われていた道具類に関するその形状や使用法、そしてそれが使われてきた背景、そして道具自体の変化などを追ったものであった。確かにこの点についての分析は、物質文化の側面から見れば妥当な見解であり、その歴史性を実証するには十分な取り組みであると評価できる。但し、道具は人間によって使われていることを前提に考えるならば、その人間の行動、身体と密接になければならない。身体と密接にというのは、道具の使用法にも関わってくるわけだが、どういう生活環境上でそれが身体の道具として使われてきたのか、その道具を人々はどういう風に生活の中に位置づけていたのかそういうことも含めての研究が必要なのではないかと思う。つまり、生活の総体としての研究である。ここでいう生活は、単に衣食住を総合したものを指すわけではない。もっと多角的なアプローチによるものであり、生業や村政なども取り入れた村全体、共同体から見た家庭、そして個人へと向けられる身体の動き、活動を指す。生活それ自体は、有機的な存在で、決して物質的な見識でもって説明できるような無機的なものではない。いうなれば、生き生きととらえられる生活模様をここでは描き、そこにどういった変化があったのかを考えることにしたい。この方針は従来の民俗学ではあまり見られない手法であり、且つ主観的な見方から来るものでもある。これまで物質文化でもって変化を説明してきたのは客観性を重視したためだと私は思う。もちろん、物質文化から見えてくる人間の活動は大きいものである。科学技術の進歩や流通過程、消費経済の流れが物質に集約され、それが物語る生活の様相は確かに重要なものではある。しかしながら、そこに全てが詰まっているわけではない。人間生活には感情があり、物質などの無機的なものからは感じられない変化への眼差しがある。そのまなざしを抜きにして語れない。物質文化を主軸にした客観的な分析のみで物事を語るにはあまりに平均的で、生活の多様性を考慮に入れないばかりか、生活をつくりあげている人間の判断などを無視してしまっている。そこで、私がやろうとしていることは、物質という明確すぎる客観性を用いた平均的な流れに沿ったものではなく、もっと人間味がある、人間がそこでどういう判断をしどういう風に暮らし、どう変化の中に位置づけられるのかということを念頭に入れた若干主観性に依拠した分析方法である。科学性を引き合いに出すのであれば、これは科学的分析というよりも、文学的なものの捉え方かもしれない。人間をどこから見るかによる区分での科学であるが、ただそれを外見でのみ分析するには生活の動きはそう簡単なものではない。もっと内在化したものを含めて検討してこそ初めて具体性をもった生活が描ける。文学的であろうと、それは一つのものの見方であり、ひとつの科学として考えられないだろうか。私は、本研究で科学論を振り回すつもりはないが、生活という舞台は人間が構造する多様なものであり、それを客観的な分析の身で終わらせては、そこに生きる人々の顔は何も見えてこない。それは別段、衣食住に限ったことではない。様々な民俗学における研究には人間の顔が出ているだろうか。人間がどういう風な表情をしてそこに生きているのか、また生きていたのかそういうことを描いているだろうか。それに問いかけ続けることがこの研究の第二の目的である。具体的には、今聞き取り調査が可能な昭和20年代以降、戦後から高度経済成長期という大きな潮流を時間軸に、農山村の実際の生活模様を個別事例に基づき取り上げ、そこからうかがい知れる情報を整理しながら、その当時どのような生活が営まれ、どういう風にして変化したのか、あるいは変化しなければならなかったのかを検討することにする。この生活模様については、個別的であり、個人史に関わる問題も内包する。ライフヒストリーとしての生活描写、その人が生きてきた経緯を記すこと、そこにどのようなきっかけ、要因があり自己の生活、身体の活動を移り替えていったのかを描きだすことが大事になる。しかし、ライフヒストリーだけがそれをできるわけではない。例えば、農山村の文集の中から得られる情報、後で述べる農山村を見つめ続けていた人物からの手記などが、その生活模様を当事者として映し出すことができる媒体となる。ライフヒストリーを個人史とするなら、私の取り上げている文集や手記というのは、ある特定の集団の歴史という風にとらえられることができる。ある特定の集団というと作為的なものを感じるかもしれないが、実際そういった部分もあるが、生活を記すという行為、生活の綴り方運動に端を発する、こうした社会運動的な行動の中には、その生活を記すことによって自己の意見を表面化し、そして社会に向けて発信するという役割がある。ライフヒストリーは個々人が描く場合もあるが、どちらかというと話者と協力者、その関係性の中でその人にあった言葉を見つけながら描かれるものであるから、そこに自己の意見であるとかそういうことよりも、もっと自己反省的な色合いが強い。個人史を執筆者が見つめなおすことは、それは単に歴史を編むことと違って、自己と向き合うことであり、客観的に自分を捉えなおす作業でもある。しかし、私が取り上げた文集や手記というのはそれとは違っていて、その当時のその時々の意見の集合体であり、自己と向き合うというより他者と向き合うために記されている。情報をアウトプットすることに主眼があり、ライフヒストリーのように客観的に内在化するものをインプットしながら作業することとは別のものである。簡単に述べるのであれば、文集や手記というのは、それ自体がその当時のその時点における人々の声であり、そこに記された生活はそのままその当時の生活をそのまま伝えたことになる。多少文学的な書き方があることはあるにしても、自己の意見を表面化する作業であることには変わりないし、何より当時性をそこに見出すことが可能な素材として位置づけられる。ここからみえる生活の様相は従来の民俗学にあるような社会経済だけを表したようなものではない。その書き手個人ないし、そこに描かれる人々がどういう状況下にあり、それをどうしようと動いていたのかを理解しうるための重要な手掛かりとなる。

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