こんばんは。久々の更新となります。ご無沙汰します。
さて、ここまで私のツイート並びにブログでの投稿をご覧の方はおわかりとおもいますが、私は保健婦研究に際しまして、『生活教育』という雑誌の「保健婦の手記」(「保健婦手記」)について分析を行っています。
そこで、この度はこの「保健婦手記」というものがさす意味、またこれがどういう資料性をもっているのかについてもう一度深く検討してみたいと思います。
なぜこのようなことをしようと思ったのかというと、これまで私は『生活教育』内で扱われていた「保健婦の手記」というものについて、保健婦の行動記録として位置付けてまいりましたが、いろいろ見ていくとただそれだけのものとは異なるものがみえてきたので、ここで今一度自己確認を込めて記しておきたいと思ったのです。
また、私自身、この保健婦研究について、この間まではどこか「生活の変化」の中で保健婦を扱おうと思っている節がありました。ですが、保健婦というのは「生活の変化」の要因の一つと位置付けるよりも、彼ら自身がどういう役割を担い、どういう形で村と接してきたのかをみる方が先決のような感じもしました。と申しますのも、保健婦と村人との関係性は「保健婦手記」をみる限り、かなり深い関係にあります。その関係性がどのように気付かれて行ったのかを知ることは同時に「生活の変化」や生活そのものにアプローチしていくものと思います。つまり、「生活の変化」は副次的なものであり、これを中心に扱うのではなく、「保健婦が」どうであったのかを中心に考え、その中に生活を見出すこともできないかと思うわけです。なので、私は少し路線変更をし、保健婦自身を深く知ることにしたいと思います。
さて、話がそれましたが、その保健婦が書いたもの、日常の記録を記したものとしての「保健婦の手記」が『生活教育』の中ではよく取り扱われます。『生活教育』とは月刊の保健婦をターゲットにした教育雑誌で、昭和30年頃(現存しているのが昭和35年3月号からなのでそれ以前のはまだ分かっていません)で、発足のきっかけとしては「公衆衛生の退潮期を支える最大のホープとして、今日ほど保健婦に大きなきたいをかけられたことは、かつてんなかつたと思われます。ただ現代の保健婦業務は、時代の推移を反映して単なる看護技術や予防医学から、一そう広い民衆生活の深層にむかつて拡がつて参りました。その拡大された業務上の要望に応えるべく、エーザイ社の全面的協賛の下に私ども刊行委員会はこの「生活教育」誌の刊行と頒布を決意したのであります」(『生活教育』昭和35年3月号 96頁 「「生活教育」刊行のことば」より)となっており、要するに昭和30年代より戦後の公衆衛生行政の立て直しのために活躍している保健婦に注目し、彼らの活動がどのようなことをしていたのか、その技術面だけでなく民衆生活の「深層」にどうアプローチしていったのかという、読者である昭和30年代現在の保健婦業務についている人たちの要望に応えるべく記した雑誌です。いうなれば、保健婦のための手引書、教科書的なものとして位置付けられるものです。ただ、その教科書の特性は少し他の雑誌とは異なります。同時代に出された『保健婦雑誌』は、どちらかというと技術面、保健婦業務面におけるサポートが中心であるのに対し、『生活教育』の方針は保健婦の精神面、規律面についての記事が多くみられます。技術面もさながら、保健婦としての心構えを記した本誌は、『保健婦雑誌』にはない社会教育的な取り組みがなされています。その一環として「保健婦の手記」があるわけです。
「保健婦の手記」というのは、保健婦自らによる寄稿によってなりたつ記事です。全国各地の保健婦の体験談、経験談を保健婦自らが『生活教育』に寄稿し、それらを刊行委員ら(丸岡秀子、金子光、永野貞、石垣純二ら)の審査によって一位から佳作までの評価を受けたものです。つまり、『生活教育』による保健婦の体験談のコンクール的な要素をもった企画なのです。審査が入るので、幾分か刊行委員の意図がみえかくれはするものの、保健婦がどのような活動をし、どのようなことを考え、悩み、感じていたのかということを丁寧に扱ったものであり、保健婦の動きを知る上で貴重な資料と言えます。
ところで、この「保健婦の手記」について従来の保健婦研究ではどういう扱いをされてきたかというと、保健婦資料館が出している定期刊行物『保健師の歴史研究』(公衆衛生看護史研究会・保健婦資料館 2005)にいくつかみられるのみで、他の研究、例えば保健婦の歴史にかかわる研究という文脈の中では、あまり扱いが見られません。従来の研究では、保健婦の歴史は、制度史、法制史そういう並びでの扱いであり、保健婦個々よりも、保健婦という職掌がどのような役割をになっていたのかを制度の面から見ていこうというものでした。これは確かに大きな歴史の流れを考える上では重要なことではありますが、しかしながら保健婦の実態ということについてはこの歴史をそのまま真に受けることはできません。といいますのも、保健婦の実態では、制度について疑問視する声があったり、制度に背いてまでも医療行為を行った経験があったりと、そのほかかなり歴史相とは異なったものがあります。それが見られるのが「保健婦の手記」なのです。また、雑誌『生活教育』に限らず、保健婦の記録を扱ったものは多々あり、それらを総称して私は「保健婦手記」として扱っていこうと思っています。この「保健婦手記」というのは、単なる保健婦の記録という特性を持ち合わせるのではなく、先に記したように保健婦の思想、考え、悩みなど主観的な部分を多分に含んだ要素をもっています。「保健婦手記」というのは、従来の保健婦の歴史研究では扱われてこなかった保健婦の生の声を聞くことができる資料なのです。
ただし、「保健婦手記」には多くの問題点があります。まずその書き方です。記述の仕方が読ませる文章になっていること。つまり意図的に作為的に自己の経験を書いているという点です。現実的なことを言えば、それは本当にその当時あったことであるのか、どうかといった真偽のほどは保健婦のみぞ知るというもので、実証性が低いものでもあります。これは大きな問題でもありますが、一方で保健婦がどういうメッセージをおくっていたのかということを知る資料としては十分効力を発揮する者でもあります。なので、この資料をそのまま引用するだけでなく、保健婦の制度、その当時の社会的変動と合わせてみることにより立体的に浮き彫りにできるものであると考えます。
次の問題点として、保健婦の立ち位置の問題です。これは先の意図的なものと被るかもしれませんが、「保健婦手記」が綴られた当時、保健婦がどのような身分にいてどのような立場にある人間であったのかということによっては、その記述の持つメッセージ性の強弱に差がみられるとい事です。つまり、すべての資料を一つのものとして考えたり、資料をまとめてこういうことが言えるというようなあり方にすると少し誤解を招く恐れがあります。保健婦個々の性格もありますし、その立場というものがどういう風に手記に表れているのかをちゃんと整理したうえでなければ扱いづらいという難点があります。ただ、これは手記というものがいかに保健婦の内情をとらえているのかということも同時に示しており、保健婦の発言の様相を深く知るものでもあります。なので、個々の保健婦の立ち位置を踏まえ、どういう発言が彼らに可能であったのかということから、保健婦の内情、保健婦業務の裏側を探ることが可能なのです。
さらにこれは問題点ではないのですが、保健婦手記には読者がいて、その読者もまた保健婦であるということも考慮に含めなければなりません。特に『生活教育』などの場合、保健婦が保健婦に対して述べている記事もあり、その真意は保健婦が同意境地に立たされているのかを知るものでもあります。なので、その読者側がどう手記を読んでいたのかも考えなければならないのです。
以上のように、「保健婦手記」というものが含む問題点、展望そういうのを加味したうえで今一度、「保健婦手記」を読んでいくと、歴史面とは違った保健婦の顔が見えてくるのではないでしょうか。
まだまだ至らぬ点があり、ブログで表明するには難点がありますが、今のところの思っていることを「保健婦手記」をどうみるかということとしてまとめてみました。
今後は、『生活教育』もそうなのですが、ほかにも「保健婦手記」は多方面にあり、例えばそれは雑誌の一こまであったり、小説の題材であったり、半生記であったり、などなど多様な形をもっています。それらの資料を今一度整理しながら、「保健婦手記」とは何なのか、またそれはどう読むべきなのかということについても触れていきたいと思います。
末筆ではありますがTwtter(楓瑞樹@御京楓)もフォローのほどよろしくお願いします。こちらでも定期的に呟いていますので、研究のほどがリアルタイムにわかります。
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