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2013年9月29日日曜日

農婦の手記「「遠慮が美徳」から」

 おはようございます。Twitterでも表明いたしましたが、私が研究している手記の中の、今度は農婦側の手記を下記のように提示します。本文そのままです。但し、個人名については伏せさせていただきましたのでご了承ください。
 ちなみに、この書籍は今では手に入れることはできません。図書館等でお探しいただければ思います。その中には下記以外の手記も豊富に収録されており、特に「女性の発言力の強化」という面において話がまとまっているように思います。この手記もその一つです。


草川八重子・壽岳章子編『自分をかえる―丹波船井生活改善グループの足あと―』(出版委員会 一九九八 六六頁から六七頁)

「「遠慮が美徳」」から(S氏)

 昭和三五、六年頃、私たちの住んでいた村は静かで、一見のんびりしているようであった。だが、ずいぶん人の目を気にして、辛いことも嬉しいことも表面に出さず、無いものは有るように、有るものは無いように見せて、世間体ばかりを気遣いながら暮らしていた。
 当時、婦人会の集まりに生活改良普及員さんが指導に来て、料理講習をはじめられた。匁からグラムにと尺貫法の切り替えで、まず第一に計ることから、科学的な基礎を教えてもらった。はじめての台秤や計量カップ、スプーンを使うことを覚えた。計ることは自然に身に付いた。料理実習をするとともに、もの言うことも勉強した。もの言うということは、自分の思いを口に出すことで、それには自分の考えを持つこと。それはそれは私たちにとって考えてもみなかったことだ。
ただ黙ってうつ向いて仕事さえしていたら良い嫁やと言われていたのに、もの言うことの大事さを知ると、もう家の中も、村中もひっくり返ったのである。「グループの集りに行くと、理屈を言うこと覚えてきて、しゃあない嫁になる」とまで言われた。まわりの人たちからとやかく言われるのがかなんばかりに、ある日の会合に、毎月ためたグループの貯金を全部引き出し、お菓子やみかんを買っていった。普及員さんに「今日はなんですか」と驚かれた。「私達は今日で解散します」といって一日いろいろな話合いをした。そして帰りがけには「また集まろうな」と言った。こんなことを何度も繰り返していた。
その頃、婦人の集りでも始めは入り口ばかりに遠慮して座り、遠慮が美徳と思われていたものだ。私達は進んで場所づくりから始めた。少しづつ婦人会の雰囲気も変わってきた。
まず、家の中から地域へと、いろいろなことにぶつかりながら、よくも今日までつづけてこられたと思う。
 
 
この分析については、発表原稿の本文を拝見いただければ幸いです。

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