私の愛媛の心の師、故稲葉峯雄氏の地域で活躍すべき「助言者」というものを示した言葉として以下のことが述べられておりますので引用します。
『草の根に生きる』岩波書店 1973 34頁から37頁
助言者という位置や役割は、その呼名ほど一般的に理解されていない。その役割を当の本人が放棄してかかるか、グループのみんながその位置をたてまつってこわしてしまうかのいずれかである。助言であるかぎり、本音がなければならない。それは質問に答えることではない。質問(=本音)それ自体を助けることである。なかには言いたいこと、聞きたいことがひとつもうまく言えないひとがいる。それでも必死に発言したのである。助言者がその気持と言葉を通訳できなければ、まず失格である。そういう発言者は大方の場合、一回かせいぜい二回しか発言しないのである。
なにを助言するかである。そのためには、まず助言者が自分の言葉を捨てなければならない。ところが、自分の言葉を捨てられるのは、自分の言葉を持ったひとにしかできない芸当である。助言者が講師や大先生よりはるかにむずかしいのは、このためである。自分の言葉を捨てた上で、なにを助言するのかの「なに」を見つけること、つかむことである。それは、言葉(質問・意見)だけ、テーマだけの把握ではやっていけない。たとえば、五〇代と二〇代のちがい、職業や経済などの生活環境を無視して、その言葉だけをいかに助言しようとしても、それでは助言が主役になって本音はしぼむばかりである。
人を助言するとは、大それた考えのようである。しかし見方をかえれば、人間はみんな助言しあって生きているのである。場合によったら、まったく自分のない生きかたを強いられている人もある。また、自分では本音と思いこんでいるが、他人の言葉を口うつしにしゃべっている場合もある。助言者はそうした相手のすべての人間生活をより深く知って、その人の立っている位置へ自分で歩いて行ってこそ助言の言葉が見つかるのである。いや、その近よって行くことそれ自体が助言の内容ではないだろうか。
相手を知るためには、その人を集団のなかで見てゆく、知ってゆくことが大切だと思う。もう一つは、テーマにたいしてその人がどんな言葉や態度をもつかということを見きわめておくことである。助言者は、集会のなかで個人が示してゆく人間性を、こうした態度で正しく評価し把握しなければならない。
集団のなかで考えるということは、自分と他人の考えをくらべてみることなのである。そのためには自分の考えを発言しなければならない。同時に、自分が発言したら他の発言を聞かなければならない。発言の多い人はどうしても自分の意見にばかりとらわれて、他と比較することがおろそかになる。終始だまっている人は、個人的には考えることができても、集団のなかで考える役割を果たしていない。いいかえれば、発言しない人は物事や自分自身の片側しかわからないことになる。助言者の役目は、この集団のなかで考える姿勢をどうやって参加者にとらせてゆくかにある。
話合い、集会を重ねてゆくうちにお互いがよく知り合ってくる。知るということは相手と自分のちがいがだんだんはっきりしてくることである。知るほどにお互いの性格や能力や思想やその他すべてのちがいが発見され、距離がはっきりするのである。「草の芽」【稲葉氏が読書会を通じて交流を深めたグループ活動】も一年たてば一年のみぞ(距離)がお互いのあいだにできているわけである。真剣に出席した人ほどそのみぞは深い。そして深ければ深いほど、愛することを理解することの必要性と目標をはっきりするのである。
意見が対立し、性格のちがいもわかってきたAさんとBさんは、当人同士が手をつなごうと思っても、その手がとどかない場合がある。助言者にはこの二人に手をかしてやって手をとどかしてやる役目がある。こうして結ばれた手こそが民主主義をささえ、個人の生活と権利を守ってゆくのだと思う。助言者がなにを助言するかということよりも、なにをお母さんたちから学ぶかということ、その実践をつづけるなかからしかこの役割は果たせないだろう。
注【 】内は引用者が補足しました。
この稲葉氏の「助言者」を考えるとき、まさに地域実践に際してのキーマンが取るべき役割をみるのです。
確かにこれが書かれた時代や背景のことを思うと必ずしも可能な環境ではないでしょうけど、それに近づけること、血の通った話がお互いにできる場を作ることができたのならば、それはそれで立派なことだと思います。
私がなぜ、地域に対して向き合うのか、この本を読むまであまり分からないでいました。この本を読んだからこそ、地域を見る視線が変わったように思います。
手垢まみれの本で、古本ですから多くの方々の手によって読まれては回ってきたものだと思いますが、私はこの本が私の手元にいてくれて本当に感謝しています。
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