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2012年3月24日土曜日

中間報告④


報告題目:「千種町の「生活改善」活動に見る「健康」の普及と地域」



 本報告は、兵庫県宍粟郡千種町(現宍粟市千種町)の昭和30年代から50年代にかけて行われた「生活改善」もしくは地域保健活動と称される活動における「健康」の知識、技術の普及がいかにして地域で進められ、いかにして地域に受容されていったのかを明らかにするものである。報告のテーマは、本年度研究計画のテーマであった「戦後の「生活改善」が果たした地域生活での役割-保健衛生面の諸改善をめぐる社会事情と地域-」を研究するにあたって見つけだしたものである。

 「健康」という言葉は、普遍的な意味を持って使用している。「健康とは、単に疾病がないとか虚弱でないというばかりではなく、肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態である」。これは、WHO(世界保健機関)1946年に世界保健憲章前文において「健康」とは何かということを定義づけた一文である。医療従事者に留まらず、世間一般的に流布している「健康」というものはとりあえずこの意味において定義づけられていることになっている。ただ、私たちが使用する「健康」というものはこの意味だけに限らず、様々な状況において使われていることもあり、これが「健康」であるというものはあまり明確に存在するものではない。例えば、身体測定において測られる数値としての健康の度合い。これはある一定の数値を基準にそれ以上それ以下によって健康の水準を定めるものである。近年ではメタボリックシンドロームの検査においてこれを用い、それによって数値を上回れば「不健康」、数値を下回れば「健康」というカテゴリー分けを行っている。つまりその場の状況に合わせてある種、病気を見つけだすための装置としての「健康」という捉え方、消極的「健康」とも評されるものである。またその一方で、スポーツなどを生活に取り入れることによって身体の強化を図るという意味での「健康」、アンチエイジングに始まる美容においての「健康」がある。これは自らの身体を標準以上に設けることによって身体の強化を図りそれでいて美意識としての精神的強化も図るというものである。積極的「健康」と評される。こうした、積極的消極的といった区分のほかに、時代的区分もある。これは「健康」という言葉がもつ社会性というものであり、その時代ごとにおいて「健康」がもつ意味合いは異なり、その影響力も異なる。この意味において「健康」は単に普遍的な定義だけでなく、様々な環境において用いられる用語であることは明らかである。さらに、ここで加えておくと、地域においてもその意味合いは異なると思う。僻地における「健康」と平地における「健康」とはその基準や社会性も異なる。つまり地域性もそこに見出せることになるのではないかと考える。これにより、WHOの定義が一枚岩ではないことが明らかであろう。ところが、世間一般においてはこの定義が先行され、且つ利用されるようになっている。つまり一つの解釈において「健康」というものが普遍的に広がりを見せているのである。では、だが、その「定義たらしめた」状況において人々がどう考えたのであろうか。つまり、「健康」という一定の意味を持つものが普及する中で人々はそれをどう受け入れていったのであろうか。これが今回の報告の目的である。

この「健康」を取り上げたことには理由がある。それは、先に述べたように「健康」というものは時代地域によって異なり、その積極性、消極性などの精神的な区分によっても異なるという状況下において、それを一刀両断にひとつの「健康」を推し進めた活動が存在することを発見したからである。その活動は「生活改善」と称され、戦後生活の近代化や合理化を推進するもとで行われたものである。一見、「健康」を冠していないような活動に見えるが、この活動は普及の過程で知識や技術としての「健康」の普及に力を注いでいる。それは広い意味では都市部に比べて農山漁村の生活環境の悪質な状況を鑑みての保健衛生的処置として行われた普及である。食生活に始まり、衣生活、住生活など様々な方面において行われており、明確な活動区分としての「健康」というものはないが、それでも一定の生活基準として「健康」というものを念頭に置きながら活動がされていることからも、この活動が「健康」を内包しその普及に努めたものといえるだろう。では、その普及方法はどうであったのであろうか。ここで具体的な事例を見ていきたい。地域は、兵庫県宍粟郡千種町である。本地域は昭和30年代前半に、とあることがきっかけとなり「生活改善」が進んだ地域である。そのきっかけというのが児童の成長不良という地域の「健康」に言及するものであり、その後の活動も広く「健康」を取り上げたものとなっている。この事例を追うことで、「健康」がいかに「生活改善」で語られそれが如何に普及していったのかを考えてみることにする。

まず、千種町で起きたことについて簡単に述べておきたい。兵庫県宍粟郡は鳥取県と岡山県との県境に位置し、中でも千種町は県境に最も近い位置にある町で、農業と林業が盛んである。ことの発端は昭和32年、千種町でも最北端にある西河内地区、千種北小学校の修学旅行先で、他地域と比べ児童の成長が著しく遅れているのではないかという声が上がったことからはじまる。児童の成長不良の原因は食生活にあり、それを考え直す必要性があった。そこで、北小学校に児童を預けている親が集まり、育友会を介して、彼らの手による給食がもたらされた。こうした流れは、後に地域の食生活そのものに投げかけられ、児童だけでなく、その家族、地域全体へと広がっていった。千種町域ではこれ以外にも様々な保健衛生上の問題を抱えていた。まず、児童の成長不良に代表されるような地域の食生活の問題。次に、食生活の問題と絡めて母親に過重な労働による母子保健衛生上の問題。さらに、回虫卵保有率からみる衛生上の問題の3つがある。これらは緊急性の高い問題であったため、地域住民は各地区で自ずとその問題を解決すべく活動を展開するようになった。例えば、成長不良問題が発覚した西河内地区のいずみ会、さらの室地区の幸妻会などといった料理講習会や勉強会、それぞれ設立経緯は異なるものの、地域生活の向上に向けての先駆けとなっていた。ところが、具体的に地域の「健康」に対する知識や技術は乏しく解決には至らなかった。

このような地域行政の保健衛生への立ち遅れは兵庫県下でも問題となり、早急な手立てを講じる必要性を求める声が行政の中でも囁かれるようになった。そのような中、昭和35年、宍粟郡では初めてとなる町保健婦にA氏が赴任することになった。彼女は、保健婦となるや千種町の地域問題に触れ、一刻も早くこの危機的状況を打破しなければならないと考え、食生活に関わる栄養指導、母子保健の確立、衛生知識の普及に尽力することとなった。その一方で彼女自身は地域住民自らが問題解決に取り組むべきだと考え、活動のための基盤となる住民組織の育成に従事した。A保健婦は婦人会や先の地区活動を土台に昭和43年、千種町いずみ会を立ち上げた。この会は、各地区から選ばれた住民によって構成されており、A保健婦からの指導を受けた後、各地区の現場にてその場に沿った「生活改善」を行う組織である。会の主な活動は食生活改善、栄養改善、衛生改善などといった改善活動を中心としたものであった。このようにして出来上がった活動の基盤は、瞬く間に千種町一帯に広がりを見せ、行政の関与も多くみられるようになる。昭和44年、教育委員会によって出された「千種町健康教育振興審議会条例」、その前後に行われた「体位向上協議会」である。条例は「千種町の児童生徒の体位向上を図るための健康教育及び一般町民の健康増進を図るため」に出されたものである。この条例は千種町の地域問題から行政として「健康知識の普及」や「健康増進のための施設の建設」を進めるものであった。これにより、千種町いずみ会は大きなバックボーンを受け様々な活動を展開していった。

ここで注目したいのはその活動の引き金となった昭和32年の児童の成長不良の発覚である。これ以前にも頻繁に身長体重などの体格を示す身体測定結果、健康診断結果が表出しているにもかかわらず、この時点でそれが地域住民の目に「発覚」したのである。そもそもこうした「発覚」があったからこそその後の「生活改善」が起きたのであり、これがなければ何も起きなかったはずである。この「発覚」はある種「健康」の発見ともいえる。千種町での「発覚」は他地域との比較の中で語れていることに着目すると、そこにはある種の競争原理や健康基準創出のようなものがうかがえる。「健康」であることに対する強迫的な考え方があり、それに応じて他地域と比較し同じかそれ以上でない、または「基準値に達していない身体は不健康である」という考え方が広まり、それを強烈なインパクトを与えていたのであろう。先述した消極的健康の代表的な例といえよう。ただし、千種町のそれは消極的なだけで終わらなかったことも事実である。このきっかけにより、地域で「健康」に対する関心が一気に上がったのは間違いない。自分たちの持っていた「常識」が疑われ、そのままでは非常に「悪い」として恐怖感や危機感を煽った。その一方で、自分たちの「健康」とはどのようなものでどうすればいいのかを知るといった積極的な動きを見せるようになってくる。それが千種町でいえば、千種町いずみ会の組織化である。A保健婦は立ち上げには閑居しているものの、基本的にこの組織は地域住民の自由意思に任せられていた。そのため、この会の活動自体は単に恐怖心や危機感で外部的に動いたものではなく、より積極的な健康意識をもって行われたと推測される。特に、栄養面に関する活動は積極的であり、どの作物にどのような栄養素が含まれていてどのように体に作用するのかといった事細かな内容に至るまでデータを取り、それが実地で作ることが可能であるのか、また地域の健康にあっているのかを比較検討してから取り込むことまでを念頭において行われている。そのような地域住民からの積極的な動きに合わせて行政も動き、千種町健康教育振興審議会条例をつくり、スポーツ設備などを建設することで住民のニーズにこたえようとしている。「生活改善」における「健康」の普及はこのような方法をとってすすめられていったのであろう。

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