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2017年5月14日日曜日

戦後南予における「蚊とハエのいない生活」の展開 ―喜多郡旧五十崎町から宇 和 島市石応へ―その2

第1章 「蚊とハエのいない生活」とは

さて、このモデル地区ベースに改善が行われたのが、「蚊とハエのいない生活」です。この運動の沿革とその研究史がどのようなスタンスにあったのかをのぞいてみましょう。

「蚊とハエのいない生活」というのは、感染症を媒介する鼠族昆虫駆除を目的とした運動です。橋本正巳、須川豊、関なおみ、澤田るいらの論考からその沿革について述べます。
戦前戦中は鼠族昆虫駆除が伝染病予防法により義務化されていました。戦後の保健行政はGHQ主導で、環境衛生監視員の監視下衛生班が整備されました。また他方で戦後すぐより全国各地で住民の自主的な駆除活動が展開していきます。この活動を市町村行政が積極的に評価しモデル化をしていきました。こうして昭和27年ごろから「蚊とハエのいない生活」運動が生まれ、昭和30年に閣議決定されて国民運動としての地位を確立していったのです。

「蚊とハエのいない生活」の研究は、主としてその運動の主体性の構築と管理、また技術普及への評価、その後の経過などが集中しています。橋本や須川は運動実施当時において公衆衛生学の観点から運動のあり方を模索しています。関は後年この経験を発展途上国においての導入を模索する中で、運動の欠点を洗い出して運動評価をしています。他方、澤田は文化資源学の観点から地域個々での活動に注目し、映像資料をもとにその波及の実際を論じています。ただ、いずれの論にもモデルの模倣については触れられていません。

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