こんばんは。かなりの確率でひきこもっております御京楓です。さて、この度は皆さんにご報告とそして質問したいことがあり登場いたしました。
といっても、これは日本民俗学においても大きな問題となるのでそれも踏まえて呼んでいただければ幸いです。
さて、1点目。報告。今年度の日本民俗学会で皆さんにお会いできるかもしれません。それも発表者として。まぁ、このブログをご覧の方は私の研究が何なのかはご存じでしょうが、少し違う視点から発表したいと思っておりますゆえ、もしご参加される方は是非とも身に来ていただきたいと思います。発表内容はまた近くなったら発表いたします。ヒントは…そうですね「保健婦」とだけ申しておきましょうか。
続きまして2点目。質問。民俗学の研究をなされている皆さんであればお気づきかと思いますが、民俗学にとって行政をどう位置付けるかという部分についてご意見を伺いたいのです。従来、地域で民俗の採取を行っておりますと行政の介入がよく耳にします。しかしながら、民俗誌などを呼んでいても、その村落の村政部分において若干の報告が見られますが、それほど重要視されていないと思われます。私は兵庫県の山村部で昭和30年代以降の生活の変化について調べておりますが、どうしてもこの行政の介入なしには語れない部分が多くあります。にもかかわらず、従来の民俗学においての研究が乏しく、なかなかその位置づけが難しいものとなっております。そこで皆さんに質問したいのですが、民俗調査などで民俗対象に行政の介入が見られた場合、どのように「説明」「解釈」していますか?
何卒ご意見いただきますようお願い申し上げます。
2010年5月26日水曜日
2010年5月3日月曜日
研究の方向性と奥行きの点検
久々の投稿となります。大学の研究員になって二年目が始まりました。相変わらず、大学院の授業(民俗学)にもぐりこませていただいています。この授業はいつも人気があるのか?なぜか人が多いので不思議です。まぁそれは置いておいたとしても他分野の方々が集うので私としてはいろんな意見が聞けて面白い場となることを願っています。
さて、今週の金曜日から個別発表がはじまるのですが、私にも当然順番が回ってくるのでそれなりの研究の進展や方向性、論の奥行きなどをチェックしなくてはいけません。毎日少しずつではありますが、論文が読めるようになってきたので(ここ最近は病気の症状もあってか論文から離れて生活していました)、ちょっと振り返りをしてみたいと思います。
私の研究は「地域(住民)運動」からわかる地域生活の推移です。以前はこれとは違った言葉で表していたかと思いますが、「生活改善」もいわば「地域運動」にあたりますし、広い意味での社会における運動をターゲットとしています。でも広すぎるのではないかと思われるかもしれませんが、一応私の場合は地域社会という限定した空間内、時間内における地域運動の動きとそれに伴う変化を求めることが視点ですので、この場合の社会というのはある限定条件下における地域社会のことを指します。この研究における民俗学内での位置というものを考えてみたのですが、それ以前に民俗学での地域運動へのアプローチはあまり少ないように思います。民俗誌で村制の欄に地域社会の「組織」について触れられているところで記されることはあっても、それがどのように生じどのように活動したのかというものはありません。ですが、地域社会における生活の推移を追ううえで、地域の社会組織がいかに作用したかを見つめることはその生活を具体的に記すことにつながるのではないでしょうか。これは私見の限りでのものではありますが、皆さんもお気づきのことと存じます。
さて、そうした中でこの研究をいかに具体的なものかに高めるためには、地域組織の動きもさながらそれに影響与えた事象についても触れなくてはなりません。例えば、地域の保健活動においてAという組織が立ち上がったとします。それにはBという行政のかかわりが重要となってくることが考えられますのでこのBの動向についても調べなくてはいけません。私の研究においてはAの部分の調査及び研究は進んでいました。しかしながら、Bつまり地域運動にかかわった側についての研究はまだできていないのが現状です。そこで、昨年よりこの地域運動にかかわった側の方々について調べることに成功しまして、現在それの整理中です。まぁ、今のところはこれぐらいですかね。今後発展があればこのブログで報告させていただきます。
さて、今週の金曜日から個別発表がはじまるのですが、私にも当然順番が回ってくるのでそれなりの研究の進展や方向性、論の奥行きなどをチェックしなくてはいけません。毎日少しずつではありますが、論文が読めるようになってきたので(ここ最近は病気の症状もあってか論文から離れて生活していました)、ちょっと振り返りをしてみたいと思います。
私の研究は「地域(住民)運動」からわかる地域生活の推移です。以前はこれとは違った言葉で表していたかと思いますが、「生活改善」もいわば「地域運動」にあたりますし、広い意味での社会における運動をターゲットとしています。でも広すぎるのではないかと思われるかもしれませんが、一応私の場合は地域社会という限定した空間内、時間内における地域運動の動きとそれに伴う変化を求めることが視点ですので、この場合の社会というのはある限定条件下における地域社会のことを指します。この研究における民俗学内での位置というものを考えてみたのですが、それ以前に民俗学での地域運動へのアプローチはあまり少ないように思います。民俗誌で村制の欄に地域社会の「組織」について触れられているところで記されることはあっても、それがどのように生じどのように活動したのかというものはありません。ですが、地域社会における生活の推移を追ううえで、地域の社会組織がいかに作用したかを見つめることはその生活を具体的に記すことにつながるのではないでしょうか。これは私見の限りでのものではありますが、皆さんもお気づきのことと存じます。
さて、そうした中でこの研究をいかに具体的なものかに高めるためには、地域組織の動きもさながらそれに影響与えた事象についても触れなくてはなりません。例えば、地域の保健活動においてAという組織が立ち上がったとします。それにはBという行政のかかわりが重要となってくることが考えられますのでこのBの動向についても調べなくてはいけません。私の研究においてはAの部分の調査及び研究は進んでいました。しかしながら、Bつまり地域運動にかかわった側についての研究はまだできていないのが現状です。そこで、昨年よりこの地域運動にかかわった側の方々について調べることに成功しまして、現在それの整理中です。まぁ、今のところはこれぐらいですかね。今後発展があればこのブログで報告させていただきます。
2009年11月11日水曜日
夢で終わる研究など研究じゃない!!
研究者として少し思うのですが、
我々(人文系)の研究は果たして何の役に立つのだろうか?
私は民俗学の論文の従来の研究において、現代社会に貢献した論文を少ししか見たことがありません。私の師や諸先輩方の論文は特にその社会貢献度の高いものとなっています。
そこで私もその一員となりたいと以前より思っていまして、「果たして自分の研究はどこまで社会に貢献できるのだろうか」ということをいつも胸においてきました。そこでめぐりついたのが、地域活性化という社会貢献の一つです。
私の研究は地域の生活の変遷過程における地域保健活動(「生活改善」)の実態です。そこから導き出されるのは、昭和30年代から50年代にかけての地域社会における「健康」の意義と地域行政ならびに地域住民による参画型の活動実態です。簡単にいえばこうなるのですが、詳しく話していくと話が長くなるのでここでは「地域参画型の社会構造」の再認識ができ、「地域保健活動や地域社会事業には行政住民双方の働きかけが必要であること」がこの研究からはうかがい知ることができるのです。
一方、現実の地域差焼きに目を落としてみると、現在地域行政の事業一つにしても地域住民が関わる事業はあまりにも少ない、地域行政が何をしているのかは紙面上で知る以外にはない。保健事業にしても地域検診で関わることはあっても、その情報がどのように活用され地域全体としてどう見られているのかといった全体的なことが見えてこないのが現状です。そうなれば、地域行政と地域住民との溝は大きくなる一方で、あまりに地域事業への見直しができていないのではないかと思うのです。
そこで、私の研究はどうでしょうか。「地域参画型の社会構造」の再認識、地域保健活動による地域行政住民双方参画型社会を目指したものですが、ここでのキーワードは「参画型社会」ということです。地域活性化においてこの「参画型社会」は大変重要なことであると思います。「参画型社会」は上記のような問題を解決することができると信じています。
私の行っている研究は確かに地域保健活動における参画型社会の実態ではありますが、これは応用可能で、さまざまな事業に使えるものであると考えています。
つまり、
夢で終わる研究など研究ではなく、社会貢献してはじめて研究といえるのではないか!!
ということです。
我々(人文系)の研究は果たして何の役に立つのだろうか?
私は民俗学の論文の従来の研究において、現代社会に貢献した論文を少ししか見たことがありません。私の師や諸先輩方の論文は特にその社会貢献度の高いものとなっています。
そこで私もその一員となりたいと以前より思っていまして、「果たして自分の研究はどこまで社会に貢献できるのだろうか」ということをいつも胸においてきました。そこでめぐりついたのが、地域活性化という社会貢献の一つです。
私の研究は地域の生活の変遷過程における地域保健活動(「生活改善」)の実態です。そこから導き出されるのは、昭和30年代から50年代にかけての地域社会における「健康」の意義と地域行政ならびに地域住民による参画型の活動実態です。簡単にいえばこうなるのですが、詳しく話していくと話が長くなるのでここでは「地域参画型の社会構造」の再認識ができ、「地域保健活動や地域社会事業には行政住民双方の働きかけが必要であること」がこの研究からはうかがい知ることができるのです。
一方、現実の地域差焼きに目を落としてみると、現在地域行政の事業一つにしても地域住民が関わる事業はあまりにも少ない、地域行政が何をしているのかは紙面上で知る以外にはない。保健事業にしても地域検診で関わることはあっても、その情報がどのように活用され地域全体としてどう見られているのかといった全体的なことが見えてこないのが現状です。そうなれば、地域行政と地域住民との溝は大きくなる一方で、あまりに地域事業への見直しができていないのではないかと思うのです。
そこで、私の研究はどうでしょうか。「地域参画型の社会構造」の再認識、地域保健活動による地域行政住民双方参画型社会を目指したものですが、ここでのキーワードは「参画型社会」ということです。地域活性化においてこの「参画型社会」は大変重要なことであると思います。「参画型社会」は上記のような問題を解決することができると信じています。
私の行っている研究は確かに地域保健活動における参画型社会の実態ではありますが、これは応用可能で、さまざまな事業に使えるものであると考えています。
つまり、
夢で終わる研究など研究ではなく、社会貢献してはじめて研究といえるのではないか!!
ということです。
2009年10月23日金曜日
書評発表
本日、生活改善諸活動についての論文の書評を大学の講義を使わせていただいて発表してみました。今までに何度か生活改善諸活動の研究史をまとめる中で、使っていた論文だったので、それほど苦労せずに淡々と発表することができましたが、やはり生活改善諸活動に対する研究の民俗学からの風当たりは強いものですと実感しました。と言いますのも今回取り上げた田中宣一氏「生活改善諸活動と民俗の変容」「生活改善諸活動と民俗―「官」の論理と「民」の論理―」の二つの論文はそれぞれ構成や考え方が違うのですが、いずれの研究も「民俗の変容」がキーとしてあり、民俗学研究への位置づけはそこからが出発点となっているようです。しかしながら、これらの論は、そうした民俗の変容を追う一方で生活改善諸活動そのものの動きや理念に偏り、一見生活改善の説明書のように見えないこともありません。田中氏はこれらの論の中で言いたいのは、生活改善諸活動という「官」の動きに対し、伝承生活の場である「民」のそれらへの受容はどうであったのかを深く考える必要性があるということです。つまり民俗の変容があってこその手段として生活改善諸活動を用いているという感じです。
こうした、生活改善諸活動の研究に対しての田中氏の提言はおおよそのところ、今後出てくるであろう私のような生活改善を研究する研究者に対し、生活改善諸活動研究の必要性と、民俗の変容を考えることの大切さを告げるものでした。正直なところ、この想いについては理解できるのですが、私としては物足りない感がいっぱいな論文でした。
こうした、生活改善諸活動の研究に対しての田中氏の提言はおおよそのところ、今後出てくるであろう私のような生活改善を研究する研究者に対し、生活改善諸活動研究の必要性と、民俗の変容を考えることの大切さを告げるものでした。正直なところ、この想いについては理解できるのですが、私としては物足りない感がいっぱいな論文でした。
2009年10月19日月曜日
地域保健運動が抱えていた謎
10月の調査も終了し、実りのある調査ができたはずでした…しかしながら、私の勉強不足と経験不足により、聞き取り調査は困難を極め、かなり話者サイドに引っ張られる形で終了しました。それがよかったのかどうかは、まだまとめていないのでわかりかねますがね。
それより、今回の調査でのメインは、A保健婦の実態について調べることだったのですが、いろいろと彼女の周辺を調べていると、県や町行政、保健所、リーダー養成講座による各地区のリーダーたちと登場人物が増幅していき、結構まとめるのに苦労しています。しかし、こうして調べてみれば見るほど、千種町の地域保健運動(活動)が抱えていた問題の大きさに驚きを隠しえません。というか、なぜこの活動が奨励されなければならなかったのかというところで謎が多い活動でもあります。つまり、本来なら「地域の健康」を目指すための地域活動であったものが、途中から地域医療費の削減を目的としたものへと切り替わり、純粋に地域保健を考える活動というような形になっていないのです。活動には一本の筋道があるようには見えるのですが、かなり迷走しながら事業として確立していった過程が浮き彫りにされました。
論文ではA保健婦のことがメインとなりますが、彼女のライフヒストリーの描き方にも少し考えるとことがあります。方法論としてのライフヒストリーといいますか、私がやりたいことは単に一人の女性にピントを合わせるだけでなく、その周縁に隠れた地域保健運動の実態とその歴史的過程を明らかにすることです。ですので、通常のライフヒストリー研究からは逸脱したモノの考え方になってしまうのでしょうが、何とかなるでしょう。
それより、今回の調査でのメインは、A保健婦の実態について調べることだったのですが、いろいろと彼女の周辺を調べていると、県や町行政、保健所、リーダー養成講座による各地区のリーダーたちと登場人物が増幅していき、結構まとめるのに苦労しています。しかし、こうして調べてみれば見るほど、千種町の地域保健運動(活動)が抱えていた問題の大きさに驚きを隠しえません。というか、なぜこの活動が奨励されなければならなかったのかというところで謎が多い活動でもあります。つまり、本来なら「地域の健康」を目指すための地域活動であったものが、途中から地域医療費の削減を目的としたものへと切り替わり、純粋に地域保健を考える活動というような形になっていないのです。活動には一本の筋道があるようには見えるのですが、かなり迷走しながら事業として確立していった過程が浮き彫りにされました。
論文ではA保健婦のことがメインとなりますが、彼女のライフヒストリーの描き方にも少し考えるとことがあります。方法論としてのライフヒストリーといいますか、私がやりたいことは単に一人の女性にピントを合わせるだけでなく、その周縁に隠れた地域保健運動の実態とその歴史的過程を明らかにすることです。ですので、通常のライフヒストリー研究からは逸脱したモノの考え方になってしまうのでしょうが、何とかなるでしょう。
2009年9月24日木曜日
私なりの聞きたいリストの表示の仕方
聞き取り調査では多くのことを聞き取り、それを整理する作業があります。ですが、聞き手と話者との間では意味の取り違えや聞いている内容から外れた意見も数々あります。
そこで私は質問表を作成し、意図的に質問の答えを引き出す感じで作成しています。これにはメリットデメリット両方がありますが、ここでは問わないことにしておきます。
私の質問表は「聞きたいことリスト」と名付けています。このリスト化にはまず論文を書き、不足している情報の個所を赤色で示すというやり方です。
例えば⇓…(これは実際に論文を構成していく作業中に思いついたまま赤を入れたのみですが)
第二節 A保健婦の足跡と公衆衛生への姿勢
(一) A氏の千種町保健婦としての道のり【詳しく】
A氏は、昭和三年、兵庫県佐用郡平福村(現佐用町延吉)に生まれ。【両親・兄弟はどのようなひとで、どのような生活環境でA保健婦は育ったのか】第二次世界大戦時、姉が国立病院看護婦をしていたため、「お国のために」と思って衛生兵の替わりに募集されていた陸軍病院に入隊した【なぜ姉の足跡を辿ろうとしたのか、看護の道にきょうみがあったのか】。しかし、教育中に終戦を迎えた。その後、国立病院看護婦養成所で卒業し、一九歳の折に看護婦の免許を取得した【看護婦になった後は、どこに勤めていたのか。どのような仕事についていたのか。その当時の自己の衛生観についてはどうであったのか。】。その後、看護婦だけで終わりたくない、努力して助産婦の資格も得たいと考え【なぜ助産婦の資格が必要となったのか】、神戸市立産婆学校に入学し、兵庫県の検定試験を受け二一歳で助産婦資格を得た。加えて、保健婦資格も取りたいと思い【なぜ、保健婦の資格が必要となったのか】、姫路市保健所にて公衆衛生を学びながら訓練に励み、兵庫県の検定試験を受け二二歳の若さで保健婦の資格を得た。その後しばらくの間看護婦【最初に勤めていた病院とは違う病院での勤務か。助産婦資格、保健婦資格を有している身として、そこでの看護婦の仕事はどのように感じていたのか。】として活躍するものの、昭和二六年に二三歳で結婚し仕事を一時辞めた。
その後、昭和三二年、二九歳から、兵庫県佐用郡石井村 (現佐用町)の診療所にて看護婦として再び復帰した【なぜ復帰したのか】。A氏は石井村診療所の出張診療所のある海内で診療所に泊まり込みで駐在し、地域住民の健康相談や往診などの勤務にあたった【海内での診療活動において何を学んだのか】【地域とのつながりはどうだったのか】。
昭和三五年、三二歳の時に佐用郡石井村に隣接する宍粟郡千種町で衛生環境の悪化が懸念され、町に新しく保健婦を置くことが決められたことを受けて山崎保健所の婦長【山崎保健所とのつながりはいつからあったのか、どういう仕事ぶりを認めていたのか】の推薦により、A氏がその保健婦になることが決まった【なぜその決心をしたのか。どういう思いでこの仕事を引き受けたのか】。A保健婦は始め千種町内の衛生環境を調査して歩き、地域住民の健康状態などをカードに記録しながら活動を進めていった【調査だけだったのか、それとも健康指導も行っていたのか】【行っていたとしてどのような方法で行っていたのか】。そうした中で昭和四三年千種町いずみ会や健康推進委員の設置により、活動をより強力なものへと展開させていった【地域のこのような団体との関係はどのように作っていったのか】。特に保健衛生の普及に尽力し、婦人会の総会があれば、足を運んでそこで講演をするなど積極的な活動を行った【具体的にどのような話をしたり、活動したりしたのか】。もちろん、これは彼女だけの活動ではなく千種町いずみ会や各地区の婦人会に所属するいずみ会会員、健康推進委員らも山崎保健所、生活改良普及員らの指導を受け活動に協力をしていた【どのように連携し地域活動を活発化していったのか】。
以上のようにやっていくと、調査当日何を聞くべきかがはっきりしてきます。また聞く順番も少しですがわかるようになります。このように私は、論文構成から「聞きたいことリスト」を取り出すことを考えています。
そこで私は質問表を作成し、意図的に質問の答えを引き出す感じで作成しています。これにはメリットデメリット両方がありますが、ここでは問わないことにしておきます。
私の質問表は「聞きたいことリスト」と名付けています。このリスト化にはまず論文を書き、不足している情報の個所を赤色で示すというやり方です。
例えば⇓…(これは実際に論文を構成していく作業中に思いついたまま赤を入れたのみですが)
第二節 A保健婦の足跡と公衆衛生への姿勢
(一) A氏の千種町保健婦としての道のり【詳しく】
A氏は、昭和三年、兵庫県佐用郡平福村(現佐用町延吉)に生まれ。【両親・兄弟はどのようなひとで、どのような生活環境でA保健婦は育ったのか】第二次世界大戦時、姉が国立病院看護婦をしていたため、「お国のために」と思って衛生兵の替わりに募集されていた陸軍病院に入隊した【なぜ姉の足跡を辿ろうとしたのか、看護の道にきょうみがあったのか】。しかし、教育中に終戦を迎えた。その後、国立病院看護婦養成所で卒業し、一九歳の折に看護婦の免許を取得した【看護婦になった後は、どこに勤めていたのか。どのような仕事についていたのか。その当時の自己の衛生観についてはどうであったのか。】。その後、看護婦だけで終わりたくない、努力して助産婦の資格も得たいと考え【なぜ助産婦の資格が必要となったのか】、神戸市立産婆学校に入学し、兵庫県の検定試験を受け二一歳で助産婦資格を得た。加えて、保健婦資格も取りたいと思い【なぜ、保健婦の資格が必要となったのか】、姫路市保健所にて公衆衛生を学びながら訓練に励み、兵庫県の検定試験を受け二二歳の若さで保健婦の資格を得た。その後しばらくの間看護婦【最初に勤めていた病院とは違う病院での勤務か。助産婦資格、保健婦資格を有している身として、そこでの看護婦の仕事はどのように感じていたのか。】として活躍するものの、昭和二六年に二三歳で結婚し仕事を一時辞めた。
その後、昭和三二年、二九歳から、兵庫県佐用郡石井村 (現佐用町)の診療所にて看護婦として再び復帰した【なぜ復帰したのか】。A氏は石井村診療所の出張診療所のある海内で診療所に泊まり込みで駐在し、地域住民の健康相談や往診などの勤務にあたった【海内での診療活動において何を学んだのか】【地域とのつながりはどうだったのか】。
昭和三五年、三二歳の時に佐用郡石井村に隣接する宍粟郡千種町で衛生環境の悪化が懸念され、町に新しく保健婦を置くことが決められたことを受けて山崎保健所の婦長【山崎保健所とのつながりはいつからあったのか、どういう仕事ぶりを認めていたのか】の推薦により、A氏がその保健婦になることが決まった【なぜその決心をしたのか。どういう思いでこの仕事を引き受けたのか】。A保健婦は始め千種町内の衛生環境を調査して歩き、地域住民の健康状態などをカードに記録しながら活動を進めていった【調査だけだったのか、それとも健康指導も行っていたのか】【行っていたとしてどのような方法で行っていたのか】。そうした中で昭和四三年千種町いずみ会や健康推進委員の設置により、活動をより強力なものへと展開させていった【地域のこのような団体との関係はどのように作っていったのか】。特に保健衛生の普及に尽力し、婦人会の総会があれば、足を運んでそこで講演をするなど積極的な活動を行った【具体的にどのような話をしたり、活動したりしたのか】。もちろん、これは彼女だけの活動ではなく千種町いずみ会や各地区の婦人会に所属するいずみ会会員、健康推進委員らも山崎保健所、生活改良普及員らの指導を受け活動に協力をしていた【どのように連携し地域活動を活発化していったのか】。
以上のようにやっていくと、調査当日何を聞くべきかがはっきりしてきます。また聞く順番も少しですがわかるようになります。このように私は、論文構成から「聞きたいことリスト」を取り出すことを考えています。
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